【英雄の哲学 イチロー×矢沢永吉】⑤一流の二人は、答えなきものを追い求めるクリエーター。その仕事を支えるのは「好き」という気持ちだ

BS―JAPANの録画で「英雄の哲学 イチロー×矢沢永吉」を観ました。

きのうのつづき

対談は最終盤。プロフェッショナルとしての矜持が垣間見える。

矢沢 人に見られる仕事をしている人は壁にぶつかるんですよね。自問自答するんです。こんなはずだったかなあ。俺はビートルズになりたかっただけなのに、なぜ居心地が悪いんだ?というところに一回は行き着くんですよね。そこから抜け出せない人と、それをちゃんと消化してね、こんなの嘘だよって、仕事はもちろん頑張るし、これからももっといいステージをやるし、もっとヒットを打ってやるし。僕の場合は50に入って、また別の、そうか、僕は皆に支えられて、そういう人たちのための矢沢永吉であるんだと思えた。イチローさんの話を聞いていると、その段階で一つ出来ているね。

イチロー 一応、野球選手として自分に厳しくして、恥ずかしいことはしないようにしていきたいというプライドがあります。それを自覚して、人にどうやったら喜んでもらえるだろうとプレーしてきたんです。でも、そういうときって、お客さんが来てくれないんです。喜んでもらえない。じゃぁ、お前ら、見とけ。俺は今まで通りやる。俺が好きなように。ついてこれるなら、ついてこい。一ファンとしてついてこれるようなら、ついてきてみろ。というような気持ちが芽生えてきた。そうすると、子どもみたいな雰囲気が出るみたいなんです。野球をする姿が本来の姿に戻っていく。そうすると、見てる人も喜んでくれる。それをちょっと今までは順番を履き違えてきたのかなあと。

でも、その回り道をしないと、結局そこに辿り着かないということだと思うんです。近道をしたいし、簡単にできたら、楽なんですけど。そんなことは一流になるためには不可能なことで、一番の近道は遠回りをすることだと思って、今はやっているんですがね。それが唯一の道じゃないか、と。

矢沢 やっぱり、ナマモノというかな。しょっちゅう変わっていく、動いていく、変化していく。右に変化したら、こちらもそれに対応するように考えなくちゃいけないし、だから面白いんじゃないですか。やることがあるんですよ。対応の仕方を変えなきゃいけないし、だから、やり続けられるし。これが変化もなくなって、パターン化したら、つまんないじゃないですか。変える必要もなくなったら、熱くもないし、本当に終わっちゃうんじゃない?

声のこの張り、このキーのここが出てる日と出てない日。僕にしかわからないことがありますもん。ワァー、出ているよ、きょうの声。その差をオーディエンスにはわからなくても、僕は最高!というのがあります。それがいいんです。ナマモノなんです。どこまで歌えるか、わからない。自分でわかるでしょうね、もういいなって。でも、「もう、いいな」って、ないかもしれないよ。もうそれで終わるんじゃないかな。

イチロー 僕らの世界も、形で、これがいいというのはないんですね。同じ結果だとしても、そこに至るプロセスは絶対に違うし、その形も違う。肉体的にも変わってくるし、精神的にも変わってくる。形は同じに見えても、そこで表現されているものは全然違ったものだったりする。それを常に見つけたいし、今はこれでいいと思うけど、一週間後にはそれは変わってくる。それをまた見つけなくてはいけない。その繰り返しが面白い。野球を続けられるモチベーションなんです。

終わりがない。しかも、バッティングは10回で3回成功すれば一流と言われる世界。7回は失敗できる。これが9回打たなくてはいけない世界だと、かなり苦しいですよ。7回も失敗できるところに救いがある。その中に、色々な可能性が含まれている。それをこれからも探していきたいし、その気持ちがあれば、野球が好きだという気持ちが薄れることはないと思うので。ここまで野球が好きなので、これからも薄れることはないと思うんです。

どこかで揺らいでいる自分がいたら、もう終わっているはず。でも、ここまで来ているので、その気持ちを大切にしたい。いつまでも子どものような気持ちで野球に向かっていけたら、最高ですね。

対談の終わり、矢沢がつぶやいた。「結局、好きという気持ちだよね」。ミュージシャンもプロ野球選手も、答えのないものを追い求めるクリエーターだと思う。その仕事を支えているのは、「好き」という気持ちに他ならないだろう。一流の二人から学ぶことは、僕みたいな小さな人間でも、「好き」という気持ちを捨てずにぶつかっていくことだと思った。

おわり