【プロフェッショナル 吉永小百合SP】私はプロではない。いつまでもアマチュアでありたい(4)
NHK総合の録画で「プロフェッショナル仕事の流儀 吉永小百合SP」を観ました。(2019年10月26日放送)
きのうのつづき
吉永小百合は自分を“魂の抜けた人形”と責めた。20代になり、本当の苦しみを味わう。成熟した大人の演技とは?役に入り込めない。「優等生」「つまらない女優」と揶揄される。私は何のためにカメラの前に立つのか?突然、声が出なくなった。
過労とストレス。ストレスの方が大きかったかもしれないですけど、本当につらくて、毎日泣いているような、そういう生活でしたね。強い自殺願望とかじゃないんですけど、そういうことを思ったこともあって。
空虚で中途半端な自分が嫌で仕方がなかった。精神的に限界だった。それを打ち破ったのが結婚だった。1973年、28歳。母親の強い反対を押し切り、15歳年上の相手と婚姻届けを出した。
名前が変わらないとダメなんだということを強く思っていたので、名前が変わるってことは「人間に戻る」っていうことなのかもしれない。そんな気がして、それで強行しました。そのとき初めて親に「NO」と言って。
事務所を辞め、全ての仕事をキャンセルし、もう映画の世界に戻れなくていいとまで思った。でも、心の内に忘れられない光景があった。演じることがただただ楽しかったあの学芸会…。気が付けば、また映画に出ていた。
33歳。吉永の運命を変える映画と出会う。「動乱」。高倉健との初共演だった。撮影現場で見た驚くべき光景…休憩の間も吹雪に身をさらし、役になりきろうとする高倉の姿だった。一年間におよぶ撮影で、吉永は高倉と本当の夫婦のような不思議な感情を覚えたという。
高倉さんの受けの芝居、それを受け止めて私がまたしゃべって、そういうキャッチボールをやっていて、震えるような感動があったんですよね。
それは夫婦の永遠の別れのシーン。ワンカットおよそ3分というシーンだ。「私を許してくれ」という高倉に「私は幸せです。あなたの妻になって」という吉永。映画史に残るシーンと言われている。吉永は心の内が満たされ、感情が零れ落ちた。自分は人形じゃない。命を与えてくれたのは、映画だった。
吉永が語る。
映画が本当に好きになった、そのときに。ああ、こんな映画作りができるんだ。私ももう一回、映画の世界でしっかりと歩いて行きたいって、そのときに思って、できるかぎりのことをして、俳優としてというか、人間として歩けるかぎり歩いて行きたいと。
それからだった、吉永が変わったのは。事務所に属さず、自分一人で心が動く仕事だけを受けることにした。役にまつわる土地を訪ね、その役を生きることのみに没頭した。気が付けば、60年。最後のスターという存在になっていた。それでも吉永は「自分はプロではない」という。
山田洋次監督のコメントだ。
小百合さんは「プロフェッショナル」なんて言うと、一番ね、抵抗を感じる方かもしれませんね。「私はプロじゃないわよ」なんて。またプロでありたくないって一生懸命思っている人でもあると思うね。つまり「アマチュア」でいたいと。本当に映画俳優としての、映画スターとしてのプロだなというも思う。だけど、小百合さんは「プロでありたくない」って思っている人ですよね。
吉永が語る。
自分の気持ちに素直になろうという風にかえってきてるのかもしれない。いろんなことに感動することとか、新しいものに出会ったときに、あっというような喜びをもつこととか、そういうことに関しては素人でありたいと思うんですけど。仕事の現場ではプロフェッショナルになりたいと思います。だから、素人とプロの狭間にいるのかもしれない。
素人とプロの狭間で揺れ続ける吉永小百合。それが映画の世界に彼女が求められる理由かもしれない。
つづく