【宿命を背負い、歌舞伎に生きる 市川海老蔵】コロナ禍が収束し、十三代目團十郎を襲名する日を心待ちにしている(下)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 宿命を背負い、歌舞伎に生きる 市川海老蔵」を観ました。(2018年10月29日放送)

きのうのつづき

海老蔵は父・十二代目團十郎について、こう語る。

父は大きな役者だった。團十郎とはこうであろうという、おおらかさというものと、細部にまで行き届いた考え方、その團十郎の重みのことに関しても私も感じていますよ。僕なんか歌舞伎もしなかったりとか、稽古もしなかったりとか、何かそういう仕事がなかったら、ろくな者になってなかっただろうなと思いますけど。今も別にろくな者じゃないんだけれども。常に時間軸が歌舞伎中心なんで、歌舞伎にはもう迷惑かけたくないな、歌舞伎のためにやっていきたいなというのがあります。

2018年歌舞伎座七月公演では、息子・勸玄と「三國無雙瓢箪久出世太閤記」「源氏物語」で共演した。350年をつないでいくために、勸玄に経験を積ませることを常に考えている。

歌舞伎役者というのは、大事なのは“匂い”とか、“家柄の香り”、技術とかももちろん大事なんですが、香りや雰囲気、そういうものをどうやって身についていけるかっていうのは、お家お家でさまざま違う。成田屋の場合は荒事、歌舞伎十八番、新歌舞伎十八番を所有している家柄として、おおらかな華のある存在感のある人物でいつもいることが大前提。これは環境です。子どものときからの環境です。

残すのは功績ではなく、人だという。

残すのであれば、名誉的なものでもなく、建物を残すとか、何か事業を成し遂げたとか、そういうことではなくて、「人をやっぱり残す」ということが一番重要なことかな。今、私がやっていることは、私がやっているかのようですが、父や先祖たちがおこなった行為がそのまま私になっている。

芸術っていうものはなくてもいい。ですが、なくてはならない部分がある。「日本人の根本にあるDNAとは何か」ということを伝統化してきたというのが、日本の歌舞伎役者というものだと思う。それは「心」。喜びも悲しみも感動も落胆も、「心」をお客様に提供できることが、いろんな意味で何かの役に立つのではないかな。

番組では、最後に海老蔵に「プロフェッショナルとは?」と問いかけた。

方向性を間違えずに、きちんと努力できる人だと思う。諦めずに。今の時代に合っているのか、合っていないのか、ということをちゃんと見ることができて、真っ直ぐに、諦めずに努力できる人。

なるほど。これは歌舞伎の世界に限らず、古典芸能に限らず、すべての職業の世界に通じることだと僕も共感する。だけれども、この至極当たり前なことが、現代社会において、現代の職能制度において、否定されてしまっている危惧を近年感じている。方向性もぶれず、間違ったことでもなく、一所懸命努力して、現代にマッチした新しいことができる人、もしくは、そうしようと努力している人が報われる社会に戻ったらいいなあと切望している。

そして、コロナ禍が一日も早く収束し、十三代目團十郎がめでたく誕生することを祈っている。

おわり