三遊亭萬橘「らくだ」下戸と言いながら実は酒乱だった屑屋と丁の目の半次の立場逆転の面白さ!
日本橋社会教育会館で「萬橘スペシャル」を観ました。(2021・04・09)
三遊亭萬橘師匠の「らくだ」が素晴らしかった。「らくだは殺しても死なない」とか、丁の目の半次ならぬ「チョウザメのパンジー」とか、「良かったら樽に中身を入れたまま返す?うちはらくだの漬物はやっていない」とか、そういう個々のフレーズも面白かったが、屑屋が漬物屋から樽を借りてきて、「まあ、一杯やれ」と半次に酒を勧められてからの屑屋が徐々に豹変していく様子が実に良かった。
「甘口の酒はスース―入っていくから」とか、「表面が盛り上がっているのは良い酒の証拠」とか、「下戸。飲めないんです」という屑屋に半次が「お前、飲めるだろ?」と突っ込むのが可笑しい。一杯、二杯、三杯と嫌がりながらも、寿司屋の湯呑に注いだ酒を一気に飲み干してしまう屑屋がすごい。で、一言、「本当にいい酒だ。こんないい酒出す大家じゃない。よっぽど、カンカンノウが効いたな」。
屑屋は今度は半次を褒める。「何にもなくて、これだけの面倒を見ちゃうのは大したもんだ。兄弟分と言っても、本当の兄弟じゃないんだろう?」。そして、自分の話。「しがない屑屋をやっているけど、昔は道具屋の親父だったんだ。酒でしくじった。飲まない人は飲む人のことが嫌い。飲む方からしたら、飲まない奴がもっと嫌い。人間なんか、猿からきた地続きだ」。この表現、すごい。
で、「もう一杯、もらおうかな」「大丈夫か?」「大丈夫だよ。見てわからないのか?」。半次がこれ以上飲ませたらまずいと思ったのを見透かす。「酒、ないんだよ」「あるよ!一番いい酒を隠しているだろ。酒飲みをなめるんじゃない!」。あああ、ここで本音が出た。「どこが下戸だ!」。
屑屋はからむ。「注げ!死にゃあ仏?らくだなんか、生きていたことない。働いてはじめて生きているんだ。あいつはカンカンノウで初めて稼いだ」。長寿庵の丼の揃い、左甚五郎の蛙、らくだには散々酷い目に遭わされた。甚五郎の蛙だから魂が籠っているんだと、1両を出さない俺をズルズルと台所へ引っ張りこみ、柱に額をガツンと当て、額から血が出た。「そのときに、殺ってやろうと思った」。鋭い屑屋の眼付が想像できる。
でも、できない。家にはカカアとおふくろ、3人のガキがいる。「なめんじゃねーぞ!注げ!コノヤロー!」。半次がそろそろ商いに出ないと釜の蓋が開かないんじゃないかと言うと、ブチ切れる屑屋。「俺を誰だと思っている。麒麟の久さんだ!」。半次に「懐に入っている香典を出せ」と迫る。「俺が稼いだんだ!」。
逆に屑屋が半次に酒を勧める。「飲め!」。渋る半次に「お前、下戸なのか?俺が飲めるようにしてやる。優しく言っているうちに飲めよ!」。完全なる立場逆転だ。マグロのブツを魚屋から貰って来い!と命令すると、「兄貴、俺、魚屋知らないよ」。もはや、半次は屑屋を「兄貴」と呼んでいる。
そこに、戸を開けて「こんばんは!」と入ってきたのは、大家が握り飯を持ってきたのだった。酒乱の屑屋を見て、大家は「らくだが生き返ったのかと思った」。それを聞いて、屑屋が「俺が魚屋行って、カンカンノウを踊ってくる」でサゲ。オリジナルのサゲも秀逸だが、徐々に酒乱になっていく屑屋の人物描写に、萬橘師匠の落語の上手さを見た。