【志村が最後に見た夢】志村けんは人間の喜怒哀楽が描けるコメディアンだった(下)

NHK総合の録画で「プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 志村が最後に見た夢」を観ました。

おととい、きのうと志村けんさんがいかに人間の喜怒哀楽が描けるコメディアンだったかについて、番組の流れに沿いながら考えてきました。その志村さんの才能と見識が、70歳になってこれまで断ってきたドラマや映画出演への依頼を受けることになったことで、結実するかのように見えた矢先の急逝でした。あまりにも残念でなりません。きょうは喜劇俳優としての志村けんさんについて書いて締めたいと思います。(以下、敬称略)

連続テレビ小説「エール」に小山田耕三役としての出演をオファーしたのは、「となりのシムラ」で演出を担当した吉田照幸だった。二つ返事で快諾したことに驚いたそうだ。そして、吉田が見抜いた俳優としての資質は如何なく発揮されたという。

「やっぱり余計なことはしないですね。小山田耕三だから、でかい存在だから、何かでかく見せようとかじゃなくて、その無表情でたたずんでるっていうことでの圧で表現されている。裕一(主人公)に嫉妬していますと説明し、その怯えっていうものを少し持たしてくださいって言ったら、瞳の奥がちょっと恐れた顔をされるんですね。その後に、振り返った後に、怯えた顔をするとか、そんなんじゃないんです。本当に余計なことはしない。だから引き算の人でしたね」。

映画監督の山田洋次は「キネマの神様」を原作に、70歳の志村けんを主人公にした映画を撮ろうとしていた。山田監督は語る。

「初めて志村っていう人を間近に見て、彼といろんな話をしながら感じたことは、この人は本物のコメディアンだなってことね。おしゃべりする人じゃないよ。どっちかと言えば、口数は少なくて、僕の目を見てしゃべることなんか、ほとんどなかったね。うつむいて、ぼそぼそぼそぼそという話し方をする人。それが僕にとってはすごいやっぱり魅力的だったね。非常に危険なところをいつも歩いてなきゃいけないっていうか、際どいところを一歩足を踏み外したら奈落の底に落ちてしまうようなところを恐る恐る歩いているようなそんな人生を喜劇俳優はたどらなきゃいけませんっていうのは渥美清さんの説なんだけれども、僕は志村さんがうつむきにぼそぼそぼそぼそっと話す姿勢を見てて、ああこの人はその危険な道をね、必死に歩いてるコメディアンだなというふうに思ったね」。

さらに山田監督は続ける。

「滑稽な人間を演じること自体がね、悲しいことなんだよ。みんなが思わず吹き出してしまう、本当に人間ってみっともない人だなと思うような芝居をする人ってのは、どっかで命懸けみたいなとこがなきゃいけないね。しかもそれを演じる人ってのは人間の深い悲しみがよく分かってなきゃできないことだよね。この人はすごいなと。僕に言わせれば、最後の喜劇俳優だな、って感じがしたね」。

しかし、去年4月に撮影に入る直前に、志村は帰らぬ人となってしまった。人間の喜怒哀楽を演じる俳優・志村けんをスクリーンで観たかった。

志村けんが遺してくれたものは何か。「となりのシムラ」そして「エール」で演出をした吉田照幸が語る。「つながりですかね。ドリフ、見た?志村さんのあれ、見た?って言ったときに、同世代の人とか、上から下から、子どもから皆その話で盛り上がれる。幅も年の差も含めて、志村さんはそれをつないでいると思います。僕らをつないでくれたのが志村さんの存在だったんじゃないですかね。一生涯をかけてやられた方の生きざまが人のつながりを生んだじゃないかと思います」。

最後は志村けんの笑いに対する思いのインタビューだ。

「最後までずっとこういうドタバタというか、やりますね。好きですもん、だって。結局、こういうことが。この歳までやっていることがうれしいね。でも、まだまだ、まだまだだなっていうのがあるしね。一生続くもんですね。結局、100点が取れてないんですよね。100点が取れるまではやろうと思うんですけど、絶対100点は一生取れないと思うんですよ。まだまだ、ひよっこですから」。

さらなる笑いのクオリティーを求める旅は天国に逝っても、きっと続けているに違いない。志村けんというコメディアンはそういうコメディアンだったと思う。