「SWITCHインタビュー 達人達」篠原ともえ(デザイナー・アーティスト)×春風亭一之輔(落語家)高校生のときに夢見た職業についた二人の思いとは

NHK-Eテレの録画で「SWITCHインタビュー 達人達 篠原ともえ×春風亭一之輔」を観ました。(2021・01・23放送)

春風亭一之輔はアイドル時代の篠原ともえのファンだった!そして、その篠原は今やファッションデザイナーとして第一線で活躍している。古典落語の肝を大事にしながらも大胆にアレンジした高座が圧倒的な人気を誇る一之輔と、デビュー当時はシノラーと呼ばれたアイドルがデザイナーへと華麗な転身を果たした篠原の対談。まさに「高校生のときに夢にみた職業になった二人」の対談は非常に興味深いものだった。が!録画したハードディスクから円盤にデータ移行する際にトラブルを起こしたのか、前半の25分しか観ることができなかった!つまり、聞き手が一之輔で篠原がインタビューに答える前半のみしか観ていない。無念なり!でも、それでも興味深かったので書きます。

まず、篠原に一之輔が「あの頃(アイドル時代)を振り返って」と訊く。ただただ、楽しかった。中学生でエンタメの世界に憧れ、高校生でその世界に入り、夢中になって楽しんでいた、と。一之輔は「フワちゃんは上からきて、馬乗りになるけど、シノラーは下から揉み手しながら『です、ます』調でくるだよね」と振ると、懐き癖があるのかもしれない、大人が怖くなかったと答える篠原。一之輔が「俺もそのうち、シノラーになりたいと思っていたもん」と。八王子の女子高生と野田の男子高生がいま、原宿(篠原のアトリエ)で話している、不思議だね。

篠原はアイドルとして多忙を極めながらも、衣装は自分でデザインしていた。いつかデザイナーになりたいと、デザインの学校に入学した。毎日、デザイン画を描いていた。「1000枚ドローイング」という課題があって、当時描いたデザインのスケッチブックを篠原が一之輔に見せる。ポップな女の子の洋服のイメージ。それが基礎にある。篠原は振り返る。人前に出るのが好きだった。デザインの道に行けないだろうな、でも行きたいな、とずっと悩んでいた。絵を描いているときだけ、デザイナーになれた、と。

一之輔が自分の高校時代との共通点を見出す。春日部図書館で借りた落語のテープで覚えた落語をぶつぶつ喋っていた。落語家になるつもりでうあっていたのかもしれない。聴いてくれるのは高木君一人だったけど。これを受けて、篠原が「その時間は宝物ですね。その時がなかったら、今はない」。

篠原に転機が訪れたのは2012年。自分のラジオ番組にゲストで来た松任谷正隆がユーミンのコンサートツアーのステージ衣装をオファーしたのだ。「POP CLASSICO TOUR 2013-14」。2回目のコンサートツアーのときはプレゼンがあった。3人のデザインの競合。篠原は、衣装と同時に演出プランもちょっと入れて、衣装にちなんで提案したという。見事、採用。

一之輔がそのステージを客席から見たとき、どうでした?と訊く。考えたもの以上のパフォーマンスで、観客は総立ち。私はこのカケラであることが嬉しい、と思った。私が出て、拍手をもらって、「私!私!」というのが嬉しかったはずなのに、自分が出ていなくても、自分のこと以上に嬉しかった、と。そのとき、デザインの仕事をやっていけると思った。その拍手のうねりの中のカケラでも嬉しいんだもの。演出の中にちょっとでもエッセンスを入れられる喜びだ。

去年7月に個展を開いた。「SHIKAKU-シカクい生地と絵から生まれた服たち-」。本来なら捨てられてしまう生地を集め、無駄があまり出ないように四角いパターンにして作られた作品群だ。「持続可能なデザイン」を強く意識したという。今の時代に寄り添いながら、普遍的に残されるデザインだ。篠原が語る。今までは説明しないと不安だった。わかりやすくしないと届かないと思っていた。でも、作る物語を大事にすると意外とお客様に通じるんだ。お客様を信じることの大切さを知ったという。

徹底的にやることの大切さ。エンタメでも、メディアの仕事をしていると、そっちを優先しちゃって、デザインの仕事がないがしろになる。これは違うな、と。そこで夫のアートディレクター・池澤樹とデザイン会社を立ち上げた。ブラッシュアップが好き。満足しても、これでいいのか?と常に問う。リニューアルを繰り返す。それを徹底的にやりたい、と。そして、衣装だけじゃなくて、色々なデザインもしたい。保育園のプロデュースとか、形に残るものを作りたいと夢を語った。

で、後半の一之輔への篠原からのインタビュー部分は新宿末廣亭でおこなわれたのだが、そこからほぼ全部データが消えてしまい、見られなかった。ただ、エッセンスはオープニングなどで、いくつか一之輔の発言が出ていたのでそれを列記したい。

前座の4年間は楽屋でずっと落語が聞こえてくる。全身で落語を浴びる生活。いま、お客さんに向かって落語家がやっている生きた落語を聞き続けることは良い修行だった。

お客さんのご機嫌を伺うのではなく、自分がご機嫌になった方が、お客さんがご機嫌になる。

岐路はそろそろ50手前くらいに来るような気がしなくもない。

最終的に俺がしゃべったことが全部落語だっていう状況が一番いい。

一之輔はもっと色々な落語観を喋っていたんだろうなあ。また、篠原のユニークな視点からの質問も聞きたかった。残念、無念!