天光軒満月「涙の門出 召集令」戦争という悲しい人間ドラマに、令和の時代に学ぶべき人の情けを見出した。
木馬亭で「日本浪曲協会 3月定席」を観ました。(2021・03・05)
天光軒満月先生で「涙の門出 召集令」を観ました。舞台は明治37年、日露の国交が断絶した年である。松岡幸三が明日には満州へ行かなくてはいけない。その妻子との別れを描いている。死ぬも生きるも国の為、という価値観があった時代をテーマにしているのだが、古臭さを感じることなく、素直に現代でも受け入れられるのは、そういうことを超えた夫婦愛や人々の情けが沁みるからなのだろう。
松岡にはたねという妻と二人の子どもがいる。たねはこの三年、長患いで寝たきりだ。畑仕事を終えた松岡は妻を励ましたあと、「税金の払いが少し滞っているから、金の工面をしに行く」と嘘をついて、息子を連れて出かける。行き先は組頭のところ。召集令状が来たので、この子を預かってくれないかと頼みに行ったのだ。しかし、組頭は冷たい。「帰ってくれ」。おむすびを食べている組頭の子どもを指をくわえて見ている息子を見て、「貧乏人根性だ。卑しい」と叩く。
だが、表に出ると、「痛かったろう」と撫ぜてやる。これも意地なのだろう。「自分は甲斐性がないのに、罪がない子に手をかけた。抱いてやるから、さあ来い」。やつれた子を抱きしめ、むせび泣く姿は悲しい。萎れて自分の家へ帰る。「金の工面はできた。安心しろ」と言うが、返事がない。灯を点けると、妻のたねは庖丁で喉を突き、最期を遂げていた。
書置きがあった。先立つ私を許してください。召集令状が来ていたのは知っておりました。残った2人の子もあなたの手で私のところへ送ってください。松岡は西に向かって南無阿弥陀仏。そこに金子巡査が現れる。「早まるな!」。死んだ女房は仕方ない。だが、いかに我が子と言いながら、手をかけたら大罪だ。それほど気がかりなら、俺が面倒を見てやる。出征した後、巡査を辞めてでも養ってやる。
金子巡査の情けに松岡は男泣き。出征する松岡を駅で見送る人たち。哀れな親子に別れを言わせてくださいと。松岡幸三君!門出はめでたい、と金子巡査。これが別れだ、一目だけ、君に見せたいものがある。それは可愛い女房の位牌だった。子どもに言う。「父ちゃんに手を握ってもらえ。泣いちゃいかん。人が笑うぞ」。これが大事の松岡だ。「よく見なさい。絶対、この世で会うんだぞ」。2人の子どもは両手を挙げて、万歳!
松岡は広島師団から海軍として出動し、満州へ。激戦を乗り越えて、帰国。85歳で2人の子どもに見守られながら大往生したという。戦争という悲劇の中に光る人情というものを、令和の現代でも忘れてはならないと思った。