澤孝子「母子河童」船の安全を守る河童信仰。故郷・銚子を愛する孝子師匠ならではの浪曲を堪能した。

木馬亭で「日本浪曲協会 3月定席」を観ました。(2021・03・04)

澤孝子師匠の浪曲はいつ聴いても面白い。この日は「母子河童」という演目だった。曲師は佐藤貴美江師匠。この日のテーブル掛けが孝子師匠の故郷・銚子から贈呈されたものだったので、ご常連には演目が推察できるでしょう、とおっしゃっていた。銚子は河童の伝説があるらしい。そして、師匠は銚子の観光大使をしているらしい。木馬亭に行くと、色々なことがわかる。

銚子は水運の町。旅の人々で賑わっている。武蔵屋の旦那と若旦那が商用でやってきた。父は「さあ、お得意参りだ」と商売熱心だが、倅は「疲れた」と言って反発する。商人は頭を使って金儲け、だという。利根川には河童が住んでいる、それを捕まえて、両国の見世物小屋に売りつければ、大儲けできると不遜なことを言って、夕間暮れに外に出た。

「河童、出て来い!」。そう言っても、簡単に出てくるわけがない。去年まで親父の伴をしていた卯兵衛が言っていた。「銚子の人たちは河童が船を守ってくれていると信じている」。若旦那・芳次郎は船に石をぶつける。すると・・・「オヨチナサイ」。子どものような声が聞こえてきた。「誰だ?どこだ?」。頭の上に皿を載せて、くちばしが尖がった子河童が川の中にいるではないか。

「こっちへおいで。いいものをあげるから」。芳次郎は子河童をおびき寄せる。そしてヨチヨチと近づいてきた子河童を細引きで縛り上げる。芳次郎はその子河童を小脇に抱えて宿に寄り、「急用ができた。江戸へ帰る」と言って、舟乗り場へ。江戸行きの船に飛び乗った。舟が出るぞぉー、という掛け声。ここのところ、曲師の貴美江師匠の好プレー。

ところが、途中で船が動かなくなってしまった。グルグル回る。船頭が「大変だ。沈んでしまう」。すると、河童が一匹現れて、「もし、そこの若旦那、私の倅を返してください。あなたが捕らえた子河童は私の倅、川太郎」。

その昔、奥州陸奥守が大新河岸を築いたとき、縄で吊るした大石がグラリザブンと川に落ち、春の日長の川底へ。河童の先祖が皿を割って、河童の川流れ。命を失くそうとしたとき、銚子の人たちが医者や薬で介抱し、命を取り留めた。恩を忘れちゃいない。銚子の人たちを守れという母の教えを川太郎は忘れない。悪いことなどしていない。縄で縛って見世物とはあまりに惨い。母の一念、河童の神通力。舟を沈めて川太郎を救う。先祖に背くことはできない。どうぞ、倅の縄を解いて助けてください。この通り、と言って目に涙。

母河童の切なさ、辛さに胸を打たれた船頭や船に乗る客たち。「とんでもない。早く縄を解いてやれ。さもないと、川へぶちこむぞ」。反省する芳次郎は「悪かった。ごめんなさい。お返しします」。やっぱり父の言う通り身体を使って金儲けをしなくちゃいけないと改心した。「真面目に稼ぐ商人になります」と。

縄を解かれた川太郎は船の上から「おかあちゃん!」。母子に二匹の河童は手に手を取って嬉し泣き。以来、銚子では「河童が船の安全を守る」と信仰され、母子河童の銅像もあるという。孝子師匠ならではの面白い浪曲を聴くことができて嬉しかった。