三門柳「瞼の母」これぞ浪花節。生き別れた息子に意地を張っていた母親の情愛が最後に溢れ出す。

木馬亭で「日本浪曲協会 3月定席」を観ました。(2021・03・03)

三門柳師匠の「瞼の母」を聴いた。長谷川伸作、三門博脚色。番場の忠太郎の母に会いたいと探し求めている一心な思いと、やくざ者になった息子には会えないと頑固に意地を張る母親。その二つの点が最後につながる親子の情愛に、浪花節の原点を見たような気がした。

何者かに突き飛ばされた婆さんにそっと手を差し伸べた忠太郎は、1両を恵んであげて、「怪我がなくてよかった」と優しい声をかける。「お前さんぐらいの年頃のおふくろさんがいるんだが、長い間捜し歩いているがまだ会えない」。水熊という料理屋に、「江州に男の子を残してきた」と言っていた女性がいると教えてもらい、その料理屋を訪ねる忠太郎。

「番場の忠太郎という者でございます。私のような年ごろの男のお子さんを持ったことはございませんか?隠岐屋忠兵衛という旅籠にいらっしゃったことはございませんか?」。だが、その女性の反応は冷たい。「誰だい?」「忠太郎でござんす」「私にも生き別れた忠太郎という息子があった。5歳のときに隠岐屋を出ました。別れた人に未練はない」。だが、未練もあるようだ。「なんで忘れよう、この可愛さを。我が子の身を案じつつ、泣いて暮らしたこともある」。

忠太郎が言う。「産みの母親を捜し歩いているうちに、三十を越えました。おっかさん!」。すると、「お黙り!9つのときに流行り病で死んだと聞いているよ」。「この通り、生きているじゃございませんか」。冷たく突き放す母。「水熊の身代を狙った銭貰いだろう。世の中の表裏、それくらいのことはわかるよ」「なんで、あっしがそんなことを…」「さっさと帰ったらどうだい」。

「もう一度、念を押します。忠太郎はあっしじゃないと?」「そうなんだよ」。長い年月が双方の開きを作ってしまったか。「あっしは銭貰いじゃない。金には不自由していない。財布の中に30両。懐には100両ある。顔を知らない母親に巡り遇ったそのときに、豊かに暮らしていればよし。もしや困っているならば、手土産がわりにしようと、抱いて温めてきたこの金だ。きのうは東、きょうは西。流転するのも望みは一つ。どうか尋ねる母親に首尾よく会えるようにと」。

冷たくする母親が信じられない忠太郎。「おっかさん、恨みでござんす。枕を濡らし、夢に出てきた母親はこんな人じゃなかった」。すると、母親は言う。「お前得てれて、ぐれはじめ、堅気に戻るにはもう遅くなってしまった。裸一貫でやってきたことを切々と訴える。「上下の瞼の汗が、ありありと見えていたものを、わざわざ骨を折って消してしまった」。

「おっかさんには娘がいるらしい。恋しがってみたところで、立つ瀬がない。愚痴を言っても仕方がない。再び訪ねてはきません。ご安心なさってくださいませ」。母と呼ばれて深い縁。どこ吹く風か、親子は一世だと身に沁みる。

娘のおともが言う。「江州の忠太郎兄さん?」。母親は答える。「銭貰いだよ。お前の縁談の邪魔だ。強請りたかりだから、追い返したよ」。おともは返す。「うちの身代、うちの縁談なんてどうなってもいい。私は小さいときから可愛がられて育った。兄さんは違う。訪ね訪ねて、ようやく巡り会えたのに、なぜしっかりと抱きしめて、よく訪ねてきてくれたと泣いてあげられなかったの?・・・今すぐ呼び戻してください」。

この娘の訴えに母親もそれまで頑なに張っていた意地が一気に解ける。「迎えにいこう。駕籠を二丁頼もう」。今は希みの糸切れて、夜の隅田の大川を、寂しく辿る忠太郎。何を未練と言われても、思い出してはまたホロリ。ここで泣いたら江州男の名がすたる。目を瞑ろう、母は瞼の裏にいる。

忠太郎―!兄さんー!母と妹が呼ぶ。いくら呼んでも忠太郎は気づいているのか、いないのか。縁がないとはこのことか。もう一度、二人が大きな声で呼ぶ。「ざまあみやがれ。誰が会ってやるものか。何が忠太郎だ・・・だが、待てよ。今、ここで別れてしまったら、今度はいつ会えるのか」。

そして、忠太郎が叫ぶ。おっかさーん!

親子の情愛に思わず涙する、これぞ浪曲の美学だと思った。