【落語ディーパー】を観た(7)「花見の仇討」「愛宕山」

NHK-Eテレの録画で「落語ディーパー!」を観ました。

若い世代が落語を知らないなんてもったいない!落語に魅せられた東出昌大が春風亭一之輔たち落語家と、毎回ひとつの演目をとりあげ、深~く語り合う番組。きょうは2020年に放送された2本を観て、そこで知ったこと、感じたこと、学んだことを記したい。

「花見の仇討」(2020年3月9日放送)

バカな若者あるあるだと東出さん。花見の趣向でドッキリ企画をやって、花見客をワッと盛り上げようという発想が何ともバカバカしくて良いのですね。春の空気をまとったバカな男たちの噺だと。一之輔師匠は男子校の部室落語と言っていたし、吉笑さんは江戸版フラッシュモグだと。

ストーリー展開を過去と現在の名人の高座でつなぎながら紹介していたのも良かった。まず、趣向の提案の部分を先代金原亭馬生師匠の77年の高座、そして、それで仇討ちの稽古をする部分を柳亭市馬師匠の2015年の高座で。馬生師匠には品があり、市馬師匠にはダイナミックさがあると、出演者がコメントしていた。

コントしようぜ!と集まるのは現代的感覚にもマッチしている。浪人役の熊さん、六十六部役の六ちゃん、巡礼兄弟役の松ちゃんに金ちゃん。それぞれのキャラクターがいきいきとしているから面白い。一之輔師匠は「ドリフターズのようなもの。役割分担もしっかりしている」とおっしゃっていた。

続いて、巡礼兄弟役の二人が稽古しながら上野の山に向かう場面を四代目金馬師匠の04年の高座、侍に仕込み杖をぶつけてひと悶着の場面を三代目金馬師匠の59年の口演で。三代目金馬は音声のみだけれど、きちんとキャラクターが立っているのが音から判る。で、浪人役の熊さんが煙草を吸いながら待ちくたびれて、ようやく巡礼兄弟役を見つけるところを遊雀師匠の08年の口演で。一旦噺を肚に落として自分の言葉で喋っているのがわかると、一之輔師匠が言っていた。

こうして見ると、「花見の仇討」という噺は筋立てがしっかりしていることがよくわかる。そして、登場人物のキャラクターもバラエティーに富むから、群像劇として、映画を撮ることも出来るのではないかと一之輔師匠。それを話芸で演るすごさが、落語の魅力なんだと思う。

一之輔師匠がホワイトボードを使って、登場人物の位置関係を記し、花道と舞台に分けて解説したのが分かりやすかった。人物は全員、下手の花道からやってくる。それを上下を切って目線で演じる。ちょっとした芝居を一人の噺家が話芸で演じ切ってしまう凄さを痛感した。

「愛宕山」(2020年3月16日放送)

京都の山へピクニック。アクション満載の上方落語。現実ではありえない噺をダイナミックに展開する面白さがある噺だ。特別ゲストに桂吉坊さんを迎えて、上方落語と江戸落語の「愛宕山」の比較をしながらの番組展開は興味深った。三代目三遊亭圓馬が上方から江戸落語に移植したとのこと。

幇間の一八の尻を繁蔵が押しながら山登りするところ、一之輔師匠と吉坊師匠がそれぞれに演じたのが興味深い。ハメモノが入ると山登りも実に派手で賑やかになる。ちなみに、三味線:恩田えり、太鼓:柳亭市好、鉦:三遊亭歌かつを。見台に小拍子、膝隠し。小拍子を叩いてハメモノを止めるきっかけにする。

聴き比べは続く。同じ93年の高座で、東の志ん朝、西の枝雀。かわらけ投げの代わりに小判を投げるのは、上方だと大坂人の一八が京都人の旦那にけしかけるのがきっかけ。江戸だと、江戸からやってきた旦那と一八という設定で、旦那が趣向で小判を投げ、それを勿体ないと止めるのが一八。東西の至芸が交互に観られて愉しい。

枝雀師匠の荷物を背負っての一八の山登りは激しい動きで客席が沸く。志ん朝師匠はかわらけ投げの仕草に芝居心を感じる形の良さがある。どんなに熱演しても「顔には汗はかかんもんや」と人間国宝だった桂米朝師匠は言っていたという。そのあたりのそれぞれの美学を感じられるのも興味深い。

そして、この噺のクライマックス。一八が茶屋で傘を借りて飛び降りる場面を五代目桂文枝師匠の高座で紹介。さらに小判は見つかったがどうやって上に上がるか思案の挙句、絹物の着物を裂いて縄をこしらえ嵯峨竹に引っ掛けて、その反動で生還する場面を志ん朝師匠の高座で見せた。落語の嘘の愉しさがある。メルヘンと出演者が言っていたが、ウソをマコトにする面白さは東西を問わず、この噺にはあるのだと思った。