【追悼 本田誠人】脚本家として、演出家として、俳優として、素晴らしき才能が若くして天国へ逝ってしまった。
本田誠人さんが亡くなったことを知った。ショックだった。ペテカンのホームページを開くと、「ペテカンよりみなさまへ」と題して、こう書いてあった。当劇団所属 演出家・脚本家・俳優の本田誠人が2021年1月30日早朝、自身の47歳の誕生日に、宮崎県の自宅にて家族に見守られながら、人生という舞台の幕を閉じました。(以下略)日付は2月4日だった。
芝居には詳しくない僕がペテカンという劇団を知ったのは、柳家喬太郎師匠が「このすばらしき世界」に客演したときだ。2015年の上演。小さな劇団だけれども、本田誠人さんが手掛ける脚本と演出によるお芝居はとても面白かった。強烈に印象に残っているのは、2017年の「スプリング、ハズ、カム。-THE STAGE-」だ。男手一つで育てた娘が東京の大学に入学するために一人暮らしのアパートを一緒に探す父親役を喬太郎師匠が演じた同年に公開された同名の映画を舞台化したものだが、映画のときから脚本に加わっていた本田さんがペテカンの芝居として脚本・演出を担当した。
これは舞台にだけあった場面だけど、アパートの畳に座って、父親の肇(喬太郎)が言う。「初めて母さんと暮らしたのは畳敷きのこんなアパートでな。風呂がないから、銭湯通い」。♪小さな石鹸カタカタ鳴った~と「神田川」を歌うと、新婚当時の回想シーンになる。
映画「植村直己物語」を一緒に観てアパートに帰ってきたところ。あの倍賞千恵子のセリフは良かった、と言って「植村と一緒に暮らせて幸せでした。巡り会えて良かったと思います」。すると、妻は「肇さんと・・・」と、このフレーズをなぞる。そして、今度は生まれてきた璃子を連れて「こどもの国」に行こうと言う。まだ生まれてきていない子を女の子と決めて、「璃子」という名前までつけちゃう。そして、璃子の誕生と引き換えに彼女は天国に逝ってしまった。もう、涙が溢れる。
そんな思い出を語る肇をパシャパシャ、一眼レフで撮る璃子(河野ひかり)に向かって、「やめんかい。お母さんはずるいよ。うちら遺して亡くなっちゃうんだもの。一緒にティーカップに乗りたかった」という肇のセリフが沁みた。
2019年には喬太郎師匠の新作落語「ハンバーグができるまで」をペテカンで舞台化。このときも当然、本田さんが脚本・演出だ。お芝居の冒頭、喬太郎師匠が「ある落語家」として登場、このお芝居のテーマともいえることを喋る。
近頃は嫌なことがあると、こんな風に考えるようになりました。どっかで誰かが演出をしているんじゃないかと。お客様はそんな風に思われませんですかね。空の上かなんかに、天国かなんか知りませんがね、神様かなんかわからないけれども、我々を見下ろして演出をつけている奴がいると。例えば、宝くじが当たった人は、それは運が良くて当たったんじゃない。空の上の人生の演出家、いいですね、人生演出家と呼ぶようにしましょう。人生演出家がね、こいつに宝くじを当ててやろう、そうするとこいつがどうするか見てみようなんて。
いいことばっかりじゃないですよ。悪いことも、病気でもなんでもそう、大きな病気になるというのも、お酒の飲みすぎですとか、ストレスとか、そういうことばかりじゃなくて、こいつに病気という課題を与えたらどうなるか、見てみようと。お芝居の演出家は登場人物の機微を描き出す。しかし、その人生演出家というのが我々の人生をあぶりだしているんじゃないか、機微を演出しているんじゃないか。そういう風に考えると、日々の暮らしが一味違って面白く思えるんじゃないかということもあるんではないですかね。以上、抜粋。
人生演出家という発想の素晴らしさに痺れたが、この時点で本田さんはガンとの闘いをしていたわけで、本田さんの人生演出家はなんと残酷なことよ。本田さんは先月25日に自身のブログで、2017年にすい臓がんの告知を受け「この時点で伝えられたのはステージ4」だったと明かしているのだ。
ブログ「本田誠人の『余った命』一日一笑」より(2021・1・25)
私自身、すい臓癌と戦って来たこの4年間でした。
直ぐにピンと来た人、来ない人もいるかと思います。がんの中でも特に厄介なのがこのすい臓がん。極めて進行が早く、早期発見が難しいがん。見つかった時点で手遅れということをよく耳にしますし、転移や再発も非常にしやすい。俗にいう5年生存率を数字で表すのならば、8%未満という、不治の病とよく形容される病気。そんなすい癌とここ4年間、オイラは向き合っていました。
「君の膵臓をたべたい」ですね、2015年に小説や映画で話題になった、略して「キミスイ」っていうんですか?ただ、あんなふうに高校生の爽やかな余命いくばくもない青春ドラマはそこにはなく、その当時、43歳のオッサンが事実として突きつけられた病名、それが「すい臓癌」でした。
その時のオイラの話を続けます。幸い、転移もなく、手術もできることが分かり、少しでも前向きに自分の置かれている状況を皆さんにお伝えしたいという一心で、SNSを通じて癌であることをお伝えしたのが2017年4月22日のことでした。この時、写真にこう思いを添えました。
「今回、皆さんにお伝えしたのには訳があります。これから癌と向き合いながら歩いていく私、本田誠人を、包み隠さずに知っていて欲しいと思ったからです。皆さんにお知らせしちゃったことでご心配をおかけするとは思いますが、とにかくなんか、隠したくなかったんですよね。(中略)どうぞ皆さま、新たなスタートラインに立った私、本田誠人をこれからもよろしくお願い致します。以上、抜粋。
ところが、なんということか。その5日後に本田さんは天国へ逝ってしまった。ペテカン主宰で、四半世紀の付き合いである濱田龍司さんがホームページにこう書いている。
本田誠人の人生劇場第一幕は幕を閉じましたが、これだけ舞台を愛して舞台に愛された(どこかで聞いたセリフ)人です、きっと今頃僕らの知らないどこか遠くで本田誠人劇場第二幕が幕を開けているに違いありません。
そしてそう遠くなく開かれるであろう「本田誠人のお別れ会」、タイトル「一日一笑、本田誠人と共に合笑」~手と手を合わせて笑い合おう~(仮題)。
では、本田誠人の笑い話やら本田誠人劇場第二幕のストーリー予想なんかで盛り上がり、みんなの笑顔で花を咲かせたいものです。出来ましたら本田誠人の第二幕にも変わらぬご声援を頂けたら幸いです。(最高の笑顔で)
ペテカン主宰 濱田龍司
本田誠人劇場第二幕に大きな声援を送りたいです。