桂宮治 爆笑王・・・でも、繊細で心優しい天才落語家は人情噺も怪談噺も素晴らしい

朝日新聞出版の「AERA 3月1日号」で「現代の肖像 落語家・桂宮治」を読みました。

2月中席から桂宮治さんが真打に昇進した。落語芸術協会では29年ぶりの抜擢真打だ。うれしい。抜擢と報道されても、2年も3年も前に昇進する実力や人気を持っていたので驚きはない。だからこそ、うれしい。落語をあまり知らない人たちに「桂宮治」という名前が浸透し、その落語の面白さが知れ渡るきっかけになればと思うから。実際、新宿末廣亭からはじまった昇進披露興行は整理券を配るのを待つ行列が朝早くからできているそうで、体力的時間的にそれができない僕はまだ寄席に行っていない。座席指定券を買った国立演芸場には行く予定だ。

08年に入門。前座のときから輝いた高座だった。寄席定席の開口一番では前座は「基本に忠実な前座噺」しか許されないが、ホール落語と呼ばれる単独興行の開口一番だと、その会の主役である真打が「自由に演っていいよ」と言うと、前座は新作をかけたり、古典でも独自の工夫をした噺をかけることが許される。僕は桃月庵白酒師匠だったか、三遊亭兼好師匠だったか、横浜にぎわい座の地下にある「のげシャーレ」で独演会を定期的に開いていたときの前座時代の宮治さんの高座を観て、「この人はすごい!面白い!」と思っていた。12年に二ツ目に昇進するやいなや、NHK新人演芸大賞を受賞。その後も若手の賞をたくさん受賞されている。

爆笑落語が売り物だけれど、神経はこまやかで繊細だ。サービス精神が旺盛なのも、木戸銭を払って来ていただいたお客様みんなに笑ってもらい、幸せな気持ちになってもらいたいという思いがあるからだ。僕は数年前の仕事で宮治さんの優しさで救われたことがある。詳しいことは書けないが、芸人の不文律みたいなものを超えてしまった僕に対し、宮治さん自身が直接関わる仕事ではなかったのに、とても親切な対応をして頂いて、今でも感謝している。

2月7日の京王プラザホテルでの真打披露パーティーの開催も、このコロナ禍の中、中止という選択肢もあったが、宮治さんらしい配慮だなあと思った。飲食の提供はなく、テーブルの上には水分補給用のミネラルウォーターのペットボトルのみ。乾杯もグラスのない“エア乾杯”。でも、お土産に超豪華弁当。「前例がないだけにどうやったらできるかずっと悩みました。正解か不正解かわからない。それでも応援していただいたお客様に一度きちんと御礼が言いたかった」と。

宮治師匠(ここからは師匠と書きます)は高校を卒業して、舞台俳優をしていた。生活費を稼ぐために、スーパーなどのワゴンの化粧品の実演販売をアルバイトではじめた。すると、その天性の話術で販売セールス日本一までになった。でも、宮治師匠は悩んだ。「これでいいのか。要らないものを要ると騙して買わせる商売は人を不幸にしているのではないか」。繊細である。この経験をベースにした新作落語「プレゼント」を聴いたとき、涙があふれた。

背中を押したのが奥様の明日香さんだ。「もう好きなことをしたら。私はまた働くから」。公演で知り合った舞台女優だった。アエラの記事によれば、「これから一生続けられる好きなことはなにか」、ノートパソコンでユーチューブを開いたそうだ。そこで出会ったのが、関西の爆笑王と言われた二代目桂枝雀の「上燗屋」。10回は繰り返し観て大笑いして、これだ、落語だ!と確信したという。落語など聴いたこともなかった男の運命の出会い。だから、先日の末廣亭での披露目の大初日に「上燗屋」をかけた。

「令和の爆笑王」と呼ばれるが、しんみり聴かせる人情噺も秀でたものがある。2013年に横浜にぎわい座の「のげシャーレ」ではじまった独演会、「よこはま宮治展」で、僕は「藪入り」「文七元結」「芝浜」「紺屋高尾」を17年から18年にかけて聴いて、すごい!と思った。「宮戸川」通し、「江島屋騒動」など、大ネタでうならされたことも多い。

爆笑王として快進撃はこれからどんどん続くだろう。気持ちの優しい宮治師匠は人情噺も素晴らしいし、繊細に描く大ネタももっと聴きたい。爆笑王という称号が消えてしまうくらい、ますます人気者になるであろう宮治師匠のこれからに大いに期待したい。