【2月文楽公演】「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」松王丸と千代。武部源蔵と戸浪。2組の夫婦が織りなす決断と苦悩と悲哀が感動を生む。

国立小劇場で「2月文楽公演 菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」を観ました。(2021・02・19)

この物語には二つの現代ではあり得ない発想と、それゆえに発生する二つの苦悩が存在する。だからこそ、長編通し狂言「菅原伝授手習鑑」の中でも、この「寺子屋の段」が人気演目となり、しばしば上演されるのだけれども。

まず、武部源蔵と戸浪の夫婦である。菅丞相から預かった息子の菅秀才を助けるために、自分が営んでいる寺子屋の教え子の中から身替りを差し出すと決めたことである。他人様が「息子をよろしくお願いいたします」と通わせている子どもを、その親の許可もなく(許可する親もいないだろうが)、無断で首を撥ねて、「これが菅秀才の首でございます」と、藤原時平の命令とはいえ、できるだろうか。いや、もうそれは偉い方からの命令だから仕方ないと割り切るとしても、他人の首を菅秀才の首だとごまかしきれるだろうか。

もう、それはハラハラもので、首実検をした松王丸が「菅秀才の首討つたは紛いなし、相違なし」の判定が出たときは、ホッと胸を撫でおろしただろう。「夫婦は門の戸ぴつしやり閉め、ものをもえ言はず青色吐息」だもの。でも、その後には身替りに差し出した生徒の母親が戻ってくるのだ。さあ、どうしよう!である。うまく切り抜けたようで、実は次に問題を先送りしただけだから、苦悩は続くのである。

次に、松王丸と千代の夫婦である。前の夫婦と同じように菅秀才を救うのが目的。そのために我が子の小太郎を犠牲にする作戦に出たわけである。我が子が可愛いに決まっている。だけど、大恩ある菅丞相に報わなければならない。だから、菅秀才の身替りに我が子をわざと武部源蔵の寺子屋に入学させたのだ。すごい作戦である。きっと小太郎が身替りに使われるだろうという読み、これがまんまと当たるからすごい。村人の子と武士の子だと見た目も歴然と違っていたのだろう。それに、首実検をするのは松王丸であるから、そこまで読んでいたのか。

だけど、こちらの夫婦の苦悩はもっと大きいはずだ。だけど武士の妻というのは覚悟が違うねえ。寺子屋に戻った千代は、武部源蔵が口封じに殺そうとすると、「我が子は身替りの役に立ちましたでしょうか」と問うんだもの。そして、首実検で一旦去ったはずの松王丸が再び登場し、武部源蔵夫婦に事情を話す。苦悩に苦悩を重ねた結果、身替り作戦が成功したことを喜ぶ松王丸夫婦はすごい。

「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に、何とて松のつれなかるらん。女房悦べ、倅はお役に立つたぞ」と聞くより『ワツ』とせき上げて、前後不覚に取り乱す。「ヤア未練者め」と叱り付け、ずつと通るは松王丸。見るに夫婦は二度びつくり『夢か現か夫婦か』と呆れて詞もなかりしが。

このあたり、もう胸が締め付けられてしまう。そして、我が子の最期はどうだったか?と松王丸が武部源蔵に訊くところ。「につこりと、笑うて」「アノ笑ひましたか、ハヽヽヽヽヽヽ、アヽヽハヽヽヽヽヽアハハ出かしおりました、利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで親に替はつて恩送り、お役に立つは孝行者、手柄者と思ふから」。小太郎を讃える泣き笑いに心が震える。

松王丸を遣った吉田玉助さんは、「寺子屋の松王丸は勉強会などで2回ほど勉強させてもらっていますが、本公演では初役」とのこと。「この役は大役中の大役で、まさか僕にお鉢が回ってくるとは思いませんでしたが、気合だけは充分で、空回りしないかを気を付けて演じました」とおっしゃっていた。肚の大きな役をしっかりと遣っていた玉助さんに拍手を送りたい。

菅原伝授手習鑑

寺入りの段 豊竹希太夫/鶴澤清馗

寺子屋の段 前 豊竹呂太夫/鶴澤清介 後 豊竹藤太夫/鶴澤清友

松王丸 吉田玉助/女房千代 吉田蓑二郎/武部源蔵 吉田玉也/女房戸浪 吉田清五郎/春藤玄蕃 吉田玉輝/菅秀才 豊松清之助/小太郎 吉田蓑之/よだれくり 吉田玉翔