【カラやぶりの会】玉川奈みほと沢村まみ 浪曲師と曲師が切磋琢磨する勉強会は浪曲ファンの勉強にもなる。

東田端ふれあい館で「第4回カラやぶりの会」を観ました。(2021・02・20)

ほぼ同時入門の浪曲師・玉川奈みほ(師匠は奈々福)と曲師・沢村まみ(師匠は豊子)の隔月勉強会に行くと、浪曲ファン歴10年に満たない僕も大変に勉強になる。よく落語、講談、浪曲を古典芸能の三大話芸として括ることがあるけれども、浪曲は他の2つと比べて異質だ。浪曲師と曲師の二人芸であることは勿論なのだが、それゆえ音楽的要素が大きく占める。物語を節と啖呵で進めていく意味では話芸なのだが、歌うようにナレーション部分を唸る「節」は極端に言ってしまえば「歌」のように思う。聴いていて気持ち良いか、というのは物語の内容もそうなのだが、音楽を聴いていて気持ち良い感覚と同じ感覚の気持ち良さを伴うのではないか。

この日は奈みほさんが奈々福師匠の相三味線で「亀甲縞の由来」を、まみさんの相三味線で奈々福師匠が「愛宕山 梅花の誉れ」をうなった。どちらも好きな演題で、ストーリーは頭に入っているので、若い二人がどう頑張っているのかに注目して聴いた。当然だが、奈みほさんは「これからが勉強だよね」というレベルであることが音楽的センスも専門的知識もない僕にもわかりやすい。関東節と関西節の違いも正確にはわかっていない僕ではあるが。

厄介なのは、三味線の方だ。こちらは本当に専門的な知識がないと、まみさんは合格点なのか、そうではないのか、わからない。なにせ、奈々福師匠の口演が東田端ふれあい館の畳敷の広間に響きわたると、それはそれは素晴らしくて、まみさんの三味線もちゃんとしているのでは?と思ってしまう。いや、ちゃんと奈々福さんの浪曲にピタッとはまった三味線だったのではないか。もちろん、これが豊子師匠が曲師だったら、もっと良い浪曲になったのだろうけれど。素人の僕にはわからない。

二人の勉強の高座が終わった後の奈々福師匠の講評に耳を傾ける。奈みほさんに対しては非常に厳しかった。「関東節の基本形が全然できていない」。だから、今後は演題は3つ程度に絞って、それ以外はやらない覚悟で関東節を徹底的に仕込まなければいけない、と。「着地点が違うところが数箇所あった」。あり得ない音のところで降りている、とも。なるほど、素人の僕が聴いていても「気持ち良くないな」と思う箇所があったのはそういうことなのか。

「高い音のときこそ、顔を落とせ」。お腹に力を入れて、まさに腹から声を出せということなのだろう。これも何となくわかった。でも、奈々福師匠は優しかった。「駄目なところだらけだけど、稽古のときよりも、(きょうみたいな本番の)お客様を前にしたときの方が良い。それはお客様と一緒に育っていくということだ。あなたの気持ちは伝わっている」。奈みほさんの最初に浪曲と出会った演題が「亀甲縞の由来」だったことにも起因するのかもしれない。

まみさんに対しては、「いつも稽古しているの(演題)は良いね。稽古していないの(演題)は駄目だけど」。啖呵の受けを「上手い」と評価した。それは豊子師匠の上手い受けを完コピ(完全コピー)しているからだ、と。それは啖呵の受けに限らず、すべてについて言えることだそうで、だから、アドバイスは「豊子師匠の完コピを続けなさい」。その完コピが身体に身につくと、浪曲師の声を耳で聴いて、頭を通さずに、手が自然に動くようになる。素人の僕は概念としてはわかるが、それをどう実践していくのかはよくわからない。でも、まみさんはわかっているのだろう。

4月からはこの会とは別に「奈々福がまみを鍛える会」が全6回でスタートする。毎回まみの課題を設定、それを含んだ二席を演じつつ、間に浪曲の仕組みをお客様にも解説するという。「浪曲はどういう構成になっているのか」「節の種類は?」「譜面もない三味線をどう学ぶのか」「聞きどころのポイントは?」。浪曲ファンとして日が浅い僕にとっても格好の勉強会になりそうだ。