【2月文楽公演】「冥途の飛脚」色恋と金はいつも付いて廻る。ダメ男は悪いことと判っていても女に走る。
国立小劇場で「2月文楽公演 冥途の飛脚」を観ました。(2021・02・12)
飛脚問屋というのは現在の銀行のようなものであろう。大和の百姓の家から「鑑と言はれた」飛脚問屋の養子に入った忠兵衛は順調に商売を手がけていたが、同時に遊びを覚えてしまった。「ゐながら銀の自由さは、一分小判や白銀に翼のあるが如くなり」。信用が第一の「銀行」の頭取が公金を横領してまで遊んでしまった。商人としての理性を失い、愛する女性=遊女・梅川と添い遂げたいという欲望、そして男としての体面を守るために、どんどんいけない道に走ってしまう忠兵衛はダメ男の典型だろう。
僕が着目したのは、親友の八右衛門の存在だ。忠兵衛は梅川に身請け話が浮上すると焦り、八右衛門の店に届けなくてはいけない五十両を身請けの手付金にしてしまう。それを知った八右衛門はそれを許して、しばらく貸すことにしてあげる。まあ、そこまでは友情と解釈できるが、その後がいけない。忠兵衛の母・妙閑に使い込みがばれたのをごまかすために、一芝居打つのに加担してしまう。
忠兵衛がその場にあった鬢水入れを紙に包んで、形だけの証文とともに八右衛門に渡す。妙閑は文盲なので、まんまとごまかされてしまう。僕が八右衛門だったら、母親にすべてはばらさないにしても、その場しのぎの偽証文ではなく、いつまでにきちんと五十両を返す約束を忠兵衛にさせる証文を書かせるのが真の友情ではないか。それがダメ男を更生する道ではないか。あぁ。
「淡路町の段」の終わりでは、忠兵衛のダメ男ぶりがさらに出る。江戸から届いた300両を届けると言って、懐に入れ、屋敷に届けなければいけないのに、どしても足が梅川のいる新町に向いてしまうのだ。恋に魂を抜かれて知らず知らずのうちに羽織が脱げてしまう、通称「羽織落ち」の場面はそれを象徴している。「一度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば六道の冥途の飛脚」。六道は地獄の入り口という意味。そこまでして、恋に堕ちるのかあ。
一方、八右衛門はさすがに「これではまずい」と思ったのであろう。「淡路町の段」では忠兵衛に加担してしまったが、「封印切の段」では親友としての役割を果たそう、忠兵衛を更生しようという気持ちが出ている。まだ忠兵衛が来ていない茶屋の越後屋に先回りし、遊女たちに忠兵衛使い込みの一件を暴露し、「忠兵衛のことを本当に思うのなら、今後はここに近寄らせないでくれ」と頼むわけだ。公金横領を重ねて、大門で晒し首にでもなったら大変なことだ。きっと八右衛門への五十両以外にも手を出しているに違いないという読みがあったのだろう。
この話を二階座敷で聞いていた梅川は胸が引き裂かれる思いだったろう、忍び泣きする。八右衛門がやってきて公金横領の話をする前から、梅川は忠兵衛がきっとそんなことまでしていたであろうと薄々感づいていて心が沈んでいた。悲しむ梅川を励まそうと周囲の遊女や禿が浄瑠璃を披露して場を明るくしていたことからもわかる。ああ、禁断の恋。
忠兵衛がダメ男なのはさらに続く。八右衛門が忠兵衛公金横領を暴露したことに怒って座敷に乗り込む。体面を取り繕うことしか考えない忠兵衛は、五十両や百両の金で親友に損はさせないと、懐にあった公金である三百両の封印を切ってしまう。この金は養子に来たときの持参金だ!という大嘘。身請けの残金など諸々の支払いをすべて済ませてしまい、遊女たちに祝儀をばらまく。もう、見栄を張る忠兵衛に目を覆いたくなる。
武士の急用金を使い込んだ忠兵衛は死罪を免れない。窮地に陥った忠兵衛は梅川に、一緒に逃げてくれと頼みこむ。そして、それを梅川は承知し、生死を共にする決意を固めるとは・・・梅川のダメ男を愛してしまった弱みかあ。
見栄で金を使い込む。親友の忠告は聞かない。江戸時代の市民はこの浄瑠璃を観て聴いて、他山の石にしたのかなあ。恋と金はセットになって悪事が生まれる。これは現代においても同じかもしれない。
冥途の飛脚
淡路町の段 口 竹本小住太夫/鶴澤清尤 奥 竹本織太夫/竹澤宗助
封印切の段 竹本千歳太夫/豊澤富助
道行相合かご 竹本三輪太夫・豊竹芳穂太夫・豊竹亘太夫・竹本碩太夫/竹澤團七・竹澤團吾・鶴澤友之助・鶴澤清允
亀屋忠兵衛 桐竹勘十郎/遊女梅川 吉田勘彌/丹波屋八右衛門 吉田文司/母妙閑 吉田勘市/手代伊兵衛 桐竹紋臣/下女まん 吉田玉佳