【続々・あのときの高座】⑤立川談春「文七元結」(2010年12月22日)

11日から5日間、過去に印象に残った高座をプレイバックしてきました。最終日のきょうは、2010年12月22日@有楽町よみうりホールの立川談春「文七元結」です。以下、当時の日記から。

一昨年の暮れに同じよみうりホールでおこなわれた談春独演会で聴いた「文七元結」。あのとき、これほどまでに感動的な「文七」を演じられるのは他に誰もいないだろうと日記に書いた。あれから、2年。あの感動が蘇った。それも、さらにスケールアップして戻ってきた。人の命の尊さを胸ぐら掴んで、叩きつけた最高の高座だった。文七の「親だったら、生涯、子どもの尻ぬぐいで不憫な思いをしなきゃいけないんですか!」という台詞が胸に響く。長兵衛親方の「死んじゃった奴の分まで生きるんだよ。俺も諦めない。お前も奥歯を噛みしめて、一生懸命生きてみろ」という台詞が胸に熱いものをこみ上げさせる。終演後も、素晴らしい「文七元結」に、暫く呆然として、余韻を楽しんだ。

立川談春「文七元結」
長兵衛が帰宅する。「誰もいないのか?」「いるよ」「メソメソして。満面の笑みで迎えられないのか?」「細川様の半被一枚で帰ってきて」「灯をつけろ」「油がないんだよ」」「買ってこいよ」「お金がないんだよ」「俺は博打で自分の風が吹いてくるまで、ジーッと待っているんだ。何か、出せ!」「お久がいなくなっちゃったんだよ!昨夜からいないんだ」「見つけにいけよ」「捜したよ」「心配しなくていいよ。あいつも十七だ。色男かなんか、できたんだろう」「あの娘は私の娘。そんなふしだらじゃないよ!」「俺の血だって入っている。ウチに嫌なことでもあるのか?」「嫌なことだらけだろ!お前さんに愛想を尽かして、行っちゃったんだよ。あの娘にもしものことがあったら、私もこの家にいないからね!」。

そこに「こんばんは」と、佐野槌の番頭、藤助が訪ねてくる。「女将さんが顔を貸してもらいたいと。つきあってもらえませんか?」「仕事も中途半端になっているのは、わかっている。取り込みごとがあるんだ。必ず明後日、行くから。うまく言ってくれないかい?「その取り込みごとって、娘さんのこと。それなら、ウチにいますよ」。長兵衛は「すぐ行くから」と藤助を返し、「ざまぁみろ。俺が帰ってきら、わかったんだ」「何で、あの娘が佐野槌に?」。「着物、脱げ。こんなもの着てけないだろう?」と、女房の着物を奪う。「女将さんは物腰は柔らかいが、おっかない人なんだ」。腰から下が何もなくなっちゃった女房。「腰巻まで売った?買った奴がいるの?」。藤助が「どうせなら、一緒に行こうと思って。凄いナリしているね」と、羽織を貸してくれる。

佐野槌。女将さんのところへ。「すかりご無沙汰しています。貧乏暇なしで、あっちこっち飛び回っていまして」「お前さん、この娘、知ってるね?」「バカ!お久、こちら様に来るなら、書き置きくらいしていったらどうだ。また、汚い乞食みたいなナリして。箪笥の三番目の右の奥の着物があったろう!」「お前さん、小言言えるナリかい?」「あっしはお馴染みですから」「気が短いんで勘弁しておくれ。乞食みたいな娘がいるから、誰なの?と訊いたら、『達磨横町のお久です』って。綺麗になった。器量ばかりでない、心も優しい。『お父っあんが博打に狂っています。私を買って、意見をしてください』と。何やっているの?」。答えに窮する長兵衛。

女将さんの説教が続く。「博打なんか、やっちゃ駄目だ。儲からないから、やめな。儲からないんだよ。堅気で稼ぐ方が、よっぽど楽なの。運が向いているとか、そんなんじゃないの。博打打ちという商売は負けない仕組みになっているんだ。技を持っている。早い話がイカサマだよ。大して勝たないけど、毎日負けない人がいる。職人の比じゃないよ。技は教えてもらえるものじゃないんだ。博打を面白がっている人に、儲かる人はいない。堅気で生きていけない人が博打をやっているんだ。お前さんは博打打ちじゃない。遊び人って、言うんだよ。5年先を考えな。どうするの?眼の配り、賽の動き。手先が震える。博打で食っていけなくなったら、どうするの?年を取ったら、何もなくなるのが、博打打ちなんだよ」。博打とはいかにつまらない遊びなのか、その世界の裏はどんな怖いものなのかを、女将が非常に説得力のある台詞で、長兵衛を諭していく場面が実に心に沁みる。

「借金はいくらあるの?」「50両です」「今まで取られたお金じゃないよ。借金で返さなきゃならないお金だよ」「50両です」「へぇー。偉いね。冗談じゃないよ。親分という人がいるだろ。なぜ親分って呼ばれるかわかるかい?人を見る目がはずさないんだ。こいつは100両貸しても取れるな、と値踏みをするんだ。100両まで払える男に、50両しか貸さないことを悔やむんだ。負けたというんだ。それが渡世人だよ。生き馬の目を抜く親分が、お前さんに50両返せる男と値をつけたんだ。10両盗めば首が飛ぶ世の中に、50両つけたのは職人としての腕でしょ?私はよくお客さんに『お宅の壁は誰がやったんですか?』と訊かれるよ。落雁肌って言うんだって?江戸に数えるほどしかいないと聞いたよ。取れると思ったんだよ。ここまで育ててくれた、師匠や兄貴分に申し訳ないと思わないのかい!今なら戻れる。やめられるね?」。強い言葉で長兵衛に訊く。

「亡くなった旦那の着物の端切れで作った財布だよ。持っていきな」。50両を渡す女将。「あげるんじゃないよ。貸すんだよ。いつ返してくれるんだい?」「桜の散る時分には目鼻を・・・」「笑っているときは、怒っているときだから。誰の前で見栄を張っているの?吐いた唾は戻せないんだよ。3か月で返せる金なら、お久ちゃんがここで泣いてなんかいないんだよ」「来年の大晦日。1年、待ってくれませんか?」「そう。だったら、もう1年待って、2年にしてあげる。再来年の大晦日」。話がつくと、長兵衛が言う。「おい、お久!帰るぞ」「ちょいとお待ち。そんな虫のいい話があるかい。私、この娘をカタに預かるよ」「あれだけの御託を並べて、50両で娘を店に出そうって言うんですか!」「違うよ。この娘は、気持ちの優しい、いい娘だよ。私の身の回りの世話をしてもらうんだよ。お茶やお花とか、一通りのことは仕込んであげる。再来年の大晦日、一遍に耳を揃えて、持っておいで。この娘を傷ひとつつけずに、一人前にして返すよ。でも、もし、賭場に出入りしているという噂が耳に入ったら・・・その晩のうちに店に出すよ。器量がいい娘だ。悪い病を引き受けて、身体を壊すかもしれない。命を落とすかもしれない。そのときに恨まないでおくれ。博打をやめられないというなら、この娘を連れて帰りな。50両返すというなら、50両持って帰りな。二つに一つだ。性根を据えて、返事をしな!」。凄い迫力である。

「この娘に礼を言いな」「すまなかったな。お父っあん、博打やめるから。2年なんか、待たせやしない。辛いことがあると思う。意地悪な連中もいるかもしれない。でも、辛抱しろ。お父っあん、本当に一生懸命働くから」。お久が答える。「お父っあん、私のことなんかいいの。ズーッと考えていたの。それで、女将さんのところに来たの。心配しなくていい。おっかさんを労わってあげてね」。「お願いします!」と長兵衛が言うと、「辛抱するのは、この娘じゃないよ。博打は骨がシャリになっても、やめられないものだよ。そのときは、この娘の目と顔を思い出すんだ。振り返るんじゃないよ。行きな!」と女将。藤助の「女将さんを鬼にしたら、本当に怖いからね」という言葉を受けて、羽織を返し、うつむいて駆けだす長兵衛。大門を抜けて、見返り柳。土手八丁から吾妻橋へ。

「何があっても、再来年の大晦日より前に返してやらぁ」と、堅く決意した長兵衛は、靄が立って何も見えない奥に、身投げをしようとしている文七を見つけ、引き止める。「勘弁してください。ごめんなさい。死ななきゃいけない訳があるんです!」。「どうぞ行ってください」「その訳を言えよ。こんな汚いナリをした男に話をしてもしょうがないか?俺も江戸っ子だ。女に振られたか?」「お金、盗られちゃったんです」「3両か?5両か?」「50両です」「脅かすなよ。何で?お店者か?暮れの28日。銭のためなら、親の首でも絞めちゃおうという人間がゴロゴロしている世の中だ。気をつけなくちゃ駄目じゃないか。でもな、よく聞け。死んでも駄目だよ。死んで金が出てくるわけない。金が出てきても、死んじゃぁ、しょうがない。金が無くなって、お前が死んで、おめでとうと言えるか?店に帰ってみろ。死ねとまでは言わないよ。50両を扱わせるんだ。ちゃっちぃ店じゃないんだろう?帰って、訳を話してみろよ。大丈夫だよ」。長兵衛が説得を必死に試みる。

「50両、作ってみろ。駆けずり回って、1両でも作って、頼んでみろ。親に頼め」「親は死にました。親がいるからって、50両なくなったから助けてくれと、甘ったれたことが言えますか?親はなんでもしてくれるから、できない。親は自分の命を質に入れても、50両を作るでしょう。だから、できないんです。親は子どものために、生涯、不憫な思いをして、尻ぬぐいをしなきゃいけないんですか?親がいるから、そんなことが言えるんだ!」「それでも親は子どもに生きていてほしいと思うんだ。子どもの方が先に死ぬ、こんな不幸はないぞ」。孤児同様の文七を、旦那は身内のように育ててくれた。「初めて50両任されて・・・店に迷惑はかけられないし・・・」。これを聞いた長兵衛は「ツラ、見せろ。おかしいと思ったんだ」と言って、何の躊躇いもなく、財布を渡す。「持ってけ!50両入っているよ。お前にやるから、持ってけ!そりゃぁ、そうだよな。このナリでおかしいと思うよな。博打に狂って、借金だらけ。このまま毎日博打をやっていたら、そのうち誰かが殺してくれるだろうと思った。殺してくれないんだよ。お久が吉原に身を売った50両だ。汚い金じゃないよ。くれてやるよ」。

「頂けるわけないじゃないですか!」「お前に言われて、今、気がついた。俺は狂っていたんだな。娘の命の金だ。働いて返せば済むと思っていた。でも、50両返したって、娘には生涯、取り返しのつかない傷をつけているのかもしれない。お前は何も悪くない。死にたくないだろう?だから、やるって言っているんだ!」「返せるんですか?」「正しいよ。返せないからって、死ぬんじゃない。諦めちゃ駄目だよ。俺も諦めないんだよ。奥歯噛みしめて、一生懸命生きろ。生きなきゃいけない。死んだ方がいいことがあるとか、そういうことじゃないんだ。(不本意に)死んじゃう奴がいるんだよ。その死んだ奴の分まで生きるんだよ。俺も、女房も、お久も、貧乏しても死なないんだ。お前は死ぬんだろ。だから、持っていけ!できることなら、ウチの娘が悪い客を取って、悪い病を引き受けて、身体を壊さないように、祈れ。金毘羅様でも、お不動様でも何でもいい、贔屓の神様に拝んでくれ。持っていけ!」。50両を投げつけ、逃げるように去っていく長兵衛。文七は男泣きに泣いて、橋の先を見つめるばかりだった。「死んだ奴の分まで生きるんだよ。死んじゃ駄目なんだよ」という台詞が、僕の胸に食い込んで、離れない。

文七がお店に帰ると、50両は水戸様から届けられている。「いずれは覚えさせなきゃいけないが、時期が早かったな。だから、こういうこともあるんだ」。文七を問い質す旦那と番頭。「どうしたんだ?この金は?汚い女の着物を着た男が、50両をめぐんでくれた?」「娘さんが吉原の何とかという店に身を売って・・・」「何か訳がある金ではないのか?」「綺麗な金だと言っていました」「見ず知らずの方が・・・?どこのどなたか」「知らないんです」「命の恩人だよ。何か思い出してみろ。お嬢さんの名前とか、歳とか、身売りをした店の名前とか」。思い出せない文七。ここで番頭が問う。「旦那様、そんな大きな金を動かせるのはよほどの大店です。数は限られています。ゆっくりでいい。文七、思い出すんだ。角海老?」「違います」「三浦屋、玉屋、大文字、松葉屋、稲本楼、佐野槌、・・・」「あっ!佐野槌です!」「佐野鎚か!」「お久さんです!十七になる娘さんです!」「旦那、わかりました。」「私が知っている近江屋の番頭さんは大変堅いと・・・」「吉原細見で読みました・・・」「お手柔らかにに頼むよ」。

翌朝、旦那と文七が長兵衛の家を訪ねる途中に、吾妻橋を通る。「文七、昨夜は眠れたか?お前は酒も女も博打もやらない。碁将棋は道楽じゃないと思っているのか?本当にしくじると、命をなくすことだってあるんだ。一人前になるまで、やめなさい」。酒屋で角樽と二升の切手を買い求め、長兵衛親方の家を尋ねると、「昨夜から夫婦喧嘩していますよ。喧嘩を頼りに行けばいい」。長兵衛宅では、夜通し、怒鳴りあいが続いている。「聞こえるねぇ。なかなか派手な喧嘩だ」。「だから、どこの誰にやったんだい!」「頭、悪いのか!何度言ったら、わかるんだ。聞かなかったんだよ」「何なの?その話は。何で50両あげるの?」「死んじゃうって言うんだよ。可哀相だろ?」「お久はどうなるの?」「俺がビシッと50両返せばいいんだろ?」「借金が50両、佐野槌から50両。合わせて100両だろ!100両返せるわけないよ。これから2年の間、お久の気持ちを考えてくれ!」「俺だって考えたから、やったんだ!」。

訪問する旦那と文七。「私、横山町三丁目、近江屋善兵衛と申します」「鼈甲問屋だろ?ウチは鼈甲どころじゃない!」「左官の長兵衛親方のお宅では?」。長兵衛が女房に言う。「隠れろ。長半纏一枚なんだろ」「何だったら、私、このままで佐野槌の女将さんと話すよ!」。近江屋善兵衛が訊く。「この若者に見覚えはありませんか?」「知らないよ!」「この者でございますよ」「殴られたのか?俺に。酔っていたんだよ。諦めろ」「文七、この方に間違いないのか?」。すると、文七が「親方!昨夜はありがとうございます!お陰で命が助かりました」。長兵衛も文七に気づき、「あ!お前だ!大きな声で、ハイ!と言え!昨夜、吾妻橋で50両、やったよな?」「ハイ!」。衝立の陰に隠れている女房に向かって勝ち誇ったような長兵衛が可笑しい。「きょうは、お礼とお詫びかたがた、参りました。50両盗られたと思ったのは、この者の粗忽。実は、置き忘れてきたのです」「何を?置き忘れたぁ?だから、てめぇに言っただろ。てめぇが死んじゃいけないって!スラスラ言う、あんたも許せない。こんな男に50両なんて金、扱わせるんじゃない!」。

「50両、お返しに上がりました。お納めください」と言う旦那に、「いらないんです。これ、やっちゃったんです。俺のものじゃない。そういうものなんだ、江戸っ子は。理屈はどうでもいいんだ。将来、店を出すときの暖簾代の足しにしてくれ。江戸っ子が一回やったものを、懐には戻せねぇ」と見栄を張る長兵衛。衝立の向こうの女房が必死に首を引っ張ったり、絞めたりする様子の描写が細やかで笑いを誘う。ついに折れる。「この50両、貰ってもいいですか?助かったぁ。でも、世間には内緒にしていてくれよ。この金のために、昨夜は一晩も寝てないんだ」。

さらに、両親がいない文七の親代わりになってくれと頼まれ、「馬鹿?俺が親になって、どうするの?見込みのある若者なんだろ?この度のことで、感じ入りました?この度のことしか知らないだろ?もう一度、考えた方がいいぞ。本人が承知ならいいよ」。そして、「もうひとつお願いがあります」「またお願い?」「いえ、昨日の出来事、眠らないでしみじみ考えました。今の私に見ず知らずの人間に50両を渡すことができるか?親方と私で、親戚付き合いをお願いしたい」「馬鹿がこんがらがっちゃった?洒落になんないよ。お供えのやりとり?金、借りに行くよ!」「ご入り用の節はどうぞ」「ここ、笑うところだぞ!そうすか。嬉しいね」。そして、身祝いだと小西の角樽と二升の切手を渡され、「肴を見つくろってきました。お気に召しますかどうか」。番頭さんに声をかけると、黒塗りの四つ手駕籠に乗った娘・お久が文金の高島田の花嫁姿で綺麗に化粧して登場。「お父っあん、ただいま!私、近江屋さんに身請けをされたの」「お気に召していただけましたか?」「大好物です!」。「おっかさんは?」の声に衝立の奥の女房も居ても立ってもいられない。立ち上がり、親子三人抱き合って涙にくれる。やがて文七とお久が一緒になり、元結屋を開いたという、「文七元結」の一席でございました、でサゲた。

談春版「文七元結」の聴きどころは、やっぱり佐野槌の女将さんが博打の馬鹿らしさと怖さを説くところと、吾妻橋で長兵衛親方が文七に「死んじゃ駄目なんだ」と命の尊さを必死に訴えるところだろう。2年前に聴いたときも、そこに一番感銘を受けたのだが、こうして2010年版をメモを基に書いてみると、この二つの場面の両方において、かなり台詞回しを含めた演出の変更がなされているのがわかった。より説得力のあるものにバージョンアップし、そのメッセージはより力強いものになっている。談春版「文七元結」は進化して、僕の心を揺さぶり、終演後もしばらく座席から立てないほどの感動を覚えた。素晴らしい高座だった。