鳳舞衣子「孝子庄吉」神崎与五郎の少年時代。年齢に関係なく流れる武士としての意地、覚悟、そして人情。

木馬亭で「日本浪曲協会定席 二月興行 三日目」を観ました。(2021・02・03)

鳳舞衣子師匠の「孝子庄吉」が大変興味深かった(曲師:伊丹秀敏)。赤穂義士の中ではスターとも言える、神崎与五郎の幼少時代のエピソード。フィクションなのか、ノンフィクションなのか、わからないが、そんなことよりも、物語として心打たれるものがあった。

演目にある「孝子」は親孝行という意味だろう。上州高崎で浪人をしていた父親・坂田庄左衛門が赤穂藩の足軽に取り立てられるが貧乏暮らし。母親は病床にあり、なにか栄養になるものを食べさせたいと息子・庄吉は堀の水門へ行って、鯉を釣りにいく。鮒は数匹連れたが、鯉が釣れない。そこへ、同じ年格好の目付役・神崎与左衛門の息子、与三郎がやってくる?「釣れるか?」「鮒が数匹」。しばらく二人で釣りをしていたが、与三郎は全く釣れない。「場所が悪い。交換しよう」。すると、庄吉が八寸の鯉を釣り上げた。「若様、釣れました!」。

悔しい与三郎は、わがままだ。庄吉を突き倒し、鯉を奪ってしまう。その上、釣り竿で庄吉の額を打ち、気が付くと流血していた。「母への天からの恵みを!このまま済ますわけにいかない!」。庄吉はその場で男泣き。すると、声をかける武家がいる。「喧嘩でもしたのか?」「いえ、釣りにきたんですが、石に躓いて、転んだんです」。額の血を見た武士は、傷薬だと言って膏薬を塗れと渡す。庄吉が名前を訊く。「神崎与左衛門だ」。「この薬、お返しします!」。庄吉にも意地がある。

庄吉の思いはもっと強いものだった。帰宅すると、破れ布団の母のやつれた姿をを見ながら、「これがこの世の別れか」と、父親の小刀を懐にしのばせ、神崎の屋敷へ。門番に「若様は?」と訊くと、桜の馬場へ稽古に行ったとのこと。庄吉は駆けつける。足軽の子どもと言えど、親からもらった大事な身体だ!という思いを込めて、与三郎の太ももを一太刀、さらに肩先を一太刀。与三郎を斬り殺してしまった。これで恨みは晴らした。

人の命の尊さはわかっている。その上で殺めた。幼いながらも、武士の面目、男の意地がある。自分も腹を切って、冥途の旅の道標にしようと、脇差を腹へ突き立てたが、ハッと思う。そうじゃない。なんで若様を殺めたか、訳も言わずに死んだら親不孝になる。我が家に帰り、詳細を話し、その上でこの身に縄を打って神崎様に差し出そう。父上様がこの首を討つというなら、それもよいだろう。

帰宅し、その思いを父の庄左衛門に告げる。父曰く、「親の手で首は討てない。縄を打ち、神崎様へ差し出そう。それでよいな」。母は驚く。二人を止めるが、振り払う。可愛い我が子に縄を打つ、わしの心の苦しさは 胸に焼き金、五寸釘、それよりもなお辛い。落ちる涙に血が滲む。

神崎邸へ。「ごめん!お願い申し上げます。私は坂田庄左衛門でございます。倅の庄吉を召し連れました。御主人様に伝えてください」。神崎与左衛門は庄吉だけを庭へ通した。すると、「そなたは先ほど、膏薬を投げ棄てた…」。言葉に詰まる。「いくつだ?」「十一でございます」。そして、庄吉はなぜここに来たのかをすべて話す。訊いていた与左衛門は「我が子を殺めたこと、そのまま許すわけにいかない。手討ちにいたす。覚悟はいいな」。一刀の元に、エイ!

その死骸に50両の弔い金を庄左衛門に受け渡す。庄左衛門は帰宅し、妻に「庄吉はお手討ちになった」と告げる。せめて我が子の死に顔を…とコモにくるまっていた死骸を見てビックリ。違う!これは若様だ。他人の倅と我が子を間違えるなんて、どういうことか。合点がいかぬ。神崎邸へ戻る庄左衛門。

神崎家は高張提灯が下がり、鼓の音が聞こえる。奥庭は百目蝋燭だ。与左衛門と奥方の間に、庄吉が黒羽二重の紋付を着ている。夢ではないか?「庄吉、きょうより我が倅、与三郎だ。いや、名前を改めよう。与五郎だ」。そして、めでたいと、親子固めの盃を酌み交わす。庄左衛門は思わず手を合わせ、男涙にくれたという。

庄吉の武士としての意地と覚悟。そして、神崎与左衛門の大きな肚。そこには後に赤穂義士討ち入りとなる武士の魂がすでに宿っていたのだ。神崎与五郎の幼少時代のエピソードに胸が打たれた。