澤孝子「からかさ桜」人間の運命は廻り廻りて、どうなるかわからない。希望をもって生きなさいと力をくれた。

木馬亭で「日本浪曲協会定席 二月公演 二日目」を観ました。(2021・02・02)

澤孝子師匠の「からかさ桜」(曲師:佐藤貴美江)が素晴らしかった。人間の運命の不思議さ、凄さを圧倒的かつ重厚感あふれる唸りで聴かせてくれる高座に、幕が閉まってもしばらく立ち上がれないほどの感動を覚えた。

明和3年3月15日。向島の銘木、からかさ桜。その枝ぶりは見事で、花の盛りを迎えている。その木で首を吊って死のうとした北野屋の伊兵衛と、木の下で心中を図ろうとした侍風の男と芸者風の女の運命的なめぐりあわせからこの話は展開する。50両工面しないと北野屋は立ち行かない、「おっかさん、先立つ不幸をお許しください」と半分身体を枝に括った伊兵衛なのだが…。木の根元では「追っ手はここまではこないだろう。お花、ここが二人の死に場所だ」と男女が覚悟を決め、心中の後始末をしてくれる方にと100両包みをそこに置く。これを聞いた伊兵衛はビックリ。それなら俺は死ぬのをやめて貰うよ、と木の上から落っこちた!若い男女は追っ手だと思い、逃げてしまう。

長屋に戻った伊兵衛を迎え、事の経緯を聞いた母親の心得に頭が下がる。この100両は二人にはすまないが一時拝借しよう。だが、あくまで拝借だ。心中をしそこなった男女はいないか、と町から町へと江戸中を探す。だが、見つからない。と同時に稼ぐに追いつく貧乏なし。北野屋は100両の借金を2年で返してしまった。そして、明和7年には神田三河町の裏長屋から表通りに出て、八間もある立派な呉服屋を建てた。それでも、初心忘るべからず。毎年3月15日になると、あの男女に会わせてください神様に祈る。店も特別に休みにした。

そして、運命の再会だ。10年目の3月15日。北野屋の店の前に二丁の駕籠が止まる。中から出てきたのは立派な武士と婦人。「倅の七五三の袴地がほしい」と買い求めにきた。品定めをする顔を与兵衛が横から覗くと、どこか記憶がある顔。お住まいは?本所割下水だ。お名前は?山田幸之進。お歳は?三十七だ。奥様のお名前は・・・?花江だ。ここまでしつこく訊かれると、男も「無礼な!」と怒る。袴地を買い求めるのに、住所や名前や年齢まで訊く商人はいないよなあ。

ここで伊兵衛は打ち明ける。実は長い間尋ねている人がいる。その方によく似ているもので。10年前に向島長命寺の「からかさ桜」で心中しようとしたお武家様では…と。ピタリ、当たった。お懐かしゅう。あのとき、木から落ちた慌て者です。あのときの100両があればこそ、今の身代を築けたと伊兵衛は感謝する。「無断で拝借して申し訳ございませんでした。今、お返しします。利子として三万両の身代を熨斗をつけて差し上げます・・・ただ、お願いがあります。磨き上げた北野屋の暖簾をこのまま頂ければ幸せです」。その感謝の気持ちは比類ない。

お武家様は「一旦捨てた金は受け取れぬ」と言って、恥を話さなければいけないと、心中の顛末を語り出す。若気の至りで親の許さぬ恋をして、この世で添えぬならあの世でと心中しようとしたときに、人が木から落ちてきた。追っ手と思い、逃げたが、他に死に場所が見つからなかった。死に損なったら、なかなか死ねぬものじゃのう。番町の叔母のところを頼った。叔母の計らいでお花を親許身請けしてくれ、夫婦になった。しかし、父上は許さず、口を利かない。家風に合わぬ、とご立腹の一点張りを貫いた。花が男の子を産んだ。孫の顔を見れば、父上様も和らぐだろうと思ったが、そう簡単ではなかった。「卑しい腹から出た子供。泣き声までも卑しい」と言う。夫婦は辛い日々を送った。

ところが、である。子どもが這うようになったら、自分から父上の傍に近づくようになった。最初は「あっちへ行け。卑しい。お前は孫でもないし、わしは爺でもない」とあしらっていたが、子どもがそれでもしつこく懐いてくると、「何が可笑しい!爺は怒っておる!ん?笑いよるな。そうか、可笑しいか」と変わり、ついには「憂い奴だ。爺が悪かった。可愛い孫だ」と抱くまでになった。相好を崩す父上、一度抱いたら堪らない。あれほど嫌っていたお花までも「良い嫁じゃ」と呼ぶようになり、今では和やかな暮らしをしているという。

一度は首吊りまで考えた伊兵衛の店は商売繁盛。悲恋になりそうだった侍夫婦は親にも認められた良い仲に。「お互いに死なずによかった!」。ここにある100両をどうするか、思案した挙句、長命寺の住職に相談。伊兵衛と侍夫婦の3人で塚を建てることになった。「三廻塚」と名付けられた。一本の桜の木が尊い命を三つ助けた。人の運命は廻り廻ってどうなるかわからない。希望を捨てずに生きることが肝要と教えられたような気がした。