【歌伝説 ちあきなおみの世界】活動休止から来年で30年。喝采はいまだ鳴りやまない・・・。

NHK-BS2の録画で「歌伝説 ちあきなおみの世界」を観ました。

この番組の初回放送は2005年11月。1992年に突然芸能活動を休止した、ちあきなおみの魅力をたっぷりと伝える90分の番組は大反響を呼び、6回の再放送を重ねた。今見ても、実に優れた構成で、NHKに残るアーカイブスを上手に積み重ねて、彼女の半生をドラマチックに描いている。エンターテインメントではあるが、ドキュメンタリーとしてもお手本になる番組である。

僕にとっても一番鮮明に記憶に残っているのは、72年の「喝采」だ。作詞:吉田旺、作曲:中村泰士。

いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに 届いた報せは黒いふちどりがありました あれは3年前 止めるアナタ駅に残し 動き始めた汽車にひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ 喪服のわたしは祈り言葉さえ失くしてた

僕は8歳だったが、「あれは3年前」というフレーズが小学生にも深く耳に残り、悲しげな歌だなあと印象に残ると同時に、その歌唱力に圧倒された。日本レコード大賞、そして紅白歌合戦での歌唱と二度、大晦日に聴いたのを覚えている。

作曲家の船村徹がインタビューでこう言っている。「彼女はファルセットが苦手だった。裏声。そこが美空ひばりと違うところで、だから彼女には語って歌う、シャンソンっぽい歌い方をするような曲を作った。おたまじゃくしの裏側を歌える。おたまじゃくしをなぞる歌い方は誰でもできるけど、彼女は文章で言うところの行間を読む、それができる人だった」。

1947年東京板橋生まれ。4歳でタップダンスを習い、5歳で日劇で初舞台を踏む。さらにジャズ喫茶で歌う。19歳でレコード会社のオーディションに合格。69年に「雨に濡れた慕情」でレコードデビュー。当時は「魅惑のセクシーアイドル」として売り出された。翌70年に「四つのお願い」がヒット。紅白歌合戦に初出場する。僕が6歳のときだが、この歌も耳に残っている。

一つやさしく愛して 二つわがまま言わせて 三つさみしくさせないで 四つ誰にも秘密にしてネ

これが二番になると、より艶っぽくなる

一つやさしくキスして 二つこっそり教えて 三つあなたの好きなこと 四つそのあとわたしにしてネ

近所のちょっと色っぽいお姉さん、という気持ちを抱いていたのだろうか。それが、72年の「喝采」で路線が「ドラマチックシンガー」に変わる。73年の「夜間飛行」も「最後の最後まで 恋は私を苦しめた」というフレーズが耳に残っている。74年は「かなしみ模様」だ。

「矢切りの渡し」の一件は知らなかった。76年にリリースした「酒場川」のB面に収録した「矢切りの渡し」が大衆演劇の梅沢富美男の目に留まり、題材を「お富与三郎」に変えて、舞踊のための曲にしたのだ。「下町の玉三郎」ブームは僕もよく覚えているが。7年後に有線放送にリクエストが殺到し、1位の座がしばらく続いた記録が映し出され、驚いた。梅沢富美男いわく「ちあきさんにはいい意味でのいやらしさがある。そういう色気がないといけない」。この曲は様々な歌手が歌い、83年に細川たかしが日本レコード大賞を獲っている。この歌は滅多に歌わなかったちあきの、「歌謡パレード89」での歌唱が流されたのは良かった。

順調に見える歌手生活だが、ちあきには歌手としても悩みがあった。好きな歌が売れない。売れる歌を歌わないといけない。そこで、ステージやLPでそれを歌おうと考えたという。好きな歌を自分らしく歌いたい、と。ファンの間で絶品と呼ばれたがアメリカ民謡に和訳(浅川マキ)をつけた「朝日のあたる家(朝日楼)」だ。

愛した男が帰らなかった あんな時私は国を出たのさ (中略)時々想うのはふるさとの あのプラットホームの薄暗さ

さらにちあきは音楽の幅を広げていく。デビューした69年はまさにフォークソング全盛。そうした同世代のアーティストの曲に急接近。77年の紅白歌合戦で歌った「夜へ急ぐ人」(作詞・作曲:友川かずき)は衝撃を与えた。

燃える恋程 脆い恋 あたしの心の深い闇の中から おいでおいで おいでをする あんた誰

昭和の良い作品を歌いたいという思いも強かった。「粋な別れ」(67年)「星影の小径」(50年)「港が見える丘」(47年)「帰れないんだよ」(69年)が番組では流され、彼女のコメントがついた。「名曲というのは何年月日が経っても古さを感じさせない。昔からある人の心の触れあいとか優しさとかがミックスされて、歌っていても温かい気持ちになれる」。

彼女の新境地は続く。一人芝居への挑戦だ。伝説のジャズ歌手、ビリー・ホリデーの栄光と挫折を描いた「LADY DAY」。まるで、ちあきがビリー・ホリデーと同化しているかのような舞台と絶賛された。作家の村松友視は語る。「単なる芝居でもない。単なる歌でもない。その両方を合わせたというのとも違う。歌は3分間の芝居というが、役者とは違う感じで役に入っていき、そこに醸し出される芝居の気配なんです。その演じ方が他の歌手と比べて、比類ない」。その延長線上にあるのが、その後に流された「ねえ、あんた」(作詞:松原史明、作曲:森田公一)だろう。演じて歌うこの曲は、ちあきの新境地の真骨頂ではないでしょうか。

78年に俳優の郷鍈治と結婚。歌手生活を2年間休止。81年にシャンソンをテーマにした新しい取り組みをする。アルバム「それぞれのテーブル」発表。さらにジャズ、そしてポルトガルのファドへと活動の幅を広げた。魂を揺さぶる嘆きのメロディーである「霧笛」は、これぞ、ちあきなおみの世界と言えるのではないか。

しばらく女優として映画やドラマに出演していたが、88年に本格的に歌手として活動を再開。アルバム「伝わりますか」の中の一曲、「かもめの街」は彼女が好んで歌った曲だ。その年の紅白歌合戦に11年ぶりに出場。作詞:吉田旺、作曲:船村徹の「紅とんぼ」を歌う。

しんみりしないでよ ケンさん 新宿駅裏 紅とんぼ 想い出してね 時々は

92年9月に夫であり、プロデューサーだった郷鍈治が他界。以来、一切の芸能活動を休止した。91年にリリースした「紅い花」以降の録音はない。

暗闇の中 むなしい恋唄 あの日あの頃は今どこに 今日も消える夢ひとつ

作詞:永六輔、作曲:中村八大で水原弘のために作った「黄昏のビギン」。これをちあきなおみが歌ったバージョンが、彼女の引退後の99年にネスカフェのCMソングとして使われ、異例のロングセラーになった。2005年、この番組の放送当時にはまだその余韻があった。その曲が番組の最後に流れたのが良かった。

雨に濡れてた たそがれの街 あなたと逢った 初めての夜 ふたりの肩に 銀色の雨 あなたの唇 濡れていたっけ

この番組のラストコメントが秀逸だった。

沈黙が続くちあきなおみの世界 喝采はいまだ鳴りやまない・・・。