玉川奈々福「ソメイヨシノ縁起」「彼と小猿七之助」いとしきオロカモノたち、万歳!
渋谷ユーロライブで「玉川奈々福 ぜーんぶ自作♡新作フェス#4 いとしき、オロカモノたち」を観ました。(2021・01・28)
先日発売されたばかりの奈々福さんの著書「浪花節で生きてみる!」の「はじめに」に、こうある。
都会的洗練とは無縁で、泥臭くて、臆面もなく感情をほとばしらせる人たち。「便利」「お得」といった経済至上主義とは無縁な、非効率きわまりない人たち。それがリスキーであっても、どーしてもオノレの誠をゆずれない人たち。一般社会からはみだしてしまった人たちもいっぱい出てきます。いまはやりの「コンプライアンス」などという、他人様が決めた規範など一切気にしない人たち。もう、すっとこどっこいばかりです。でも、この貴いオロカモノの世界が、とてもいとおしい。
そうなのだ。浪曲の中にはたくさんの「いとしきオロカモノ」が出てくる。そして、それを愛する浪曲師や曲師にもいっぱい「いとしきオロカモノ」がいて、浪曲の歴史は形成されてきた。それらすべてを奈々福さんは愛し、自らも「いとしきオロカモノ」として八面六臂、縦横無尽に駆けずり回っている。おこがましい言い方をすれば、そういう浪花節を愛し、浪曲ファンになった僕もオロカモノであり、そのすっとこどっこいに入れていただけたら嬉しい。
さて、今回は全6回の新作フェスのなかでも、とりわけ「いとしきオロカモノ」な人物が登場する奈々福さんの新作だ。二席とも、「うん、うん、わかる」と頷きながら、聴き入ってしまった。
「ソメイヨシノ縁起」(原作:浦野とと)
染井村の植木職人・与兵衛の情熱に圧倒される。松が専門の政五郎親方の元で修行しているけれども、桜に惚れこんでしまう素直さが好きだ。染井村の植木職人たちの総括をしている丹羽次郎左衛門もそのことはよく理解していて、目をかけてやっているのがいい。苗場に不思議な桜が咲いた。オオシマの脇に狂い咲きしている。大ぶりで瑞々しくて、匂うような色っぽさがあり、妖しい色気を放っている。エドヒガンザクラが浮気したのでは?その情報を丹羽は与兵衛に教えるのは、やはり与兵衛に見込んでのことなのだろう。それが嬉しい。
早速見にいった与兵衛が桜と会話できるのも、浪曲らしい演出で面白い。容疑者のエドヒガンのところに行くと、エドヒガンが答える。「惚れちまったんだ。お前に任せる。大きく育ててくれ」。そして、その不思議な桜のところに行くと、天からの声のようにメッセージが聞こえた。私を見て。私は今しかないの。短い命を見て。与兵衛は時を忘れるくらいに、その桜に見入った。
その桜は7日で一斉に散ってしまった。涙が流れる、あとは与兵衛の根性だ。当然、松職人の政五郎親方は反対する。うちは代々、松を専門に扱っているんだ。出ていけ!そのときに援護したのが、政五郎親方の一人娘・おみよだ。藤堂家の庭の絵図面を描き、松の間に桜があったら素敵だと父親を説得する。桜と会話のできる与兵衛が夢中になるほど素晴らしい桜を育てさせてあげてほしい。娘の説得が功を奏し、与兵衛は5年の修行を許された。
認めれば、政五郎も男だ。自ら丹羽次郎左衛門のところに頭を下げに行き、あの桜を与兵衛に任せさせてくださいと仁義を切る。その代わり、寝る間も惜しんで働いてもらう、と。みんな、情に厚い人たちであり、妖艶な桜に夢を託すオロカモノたちなのだ。
夏は葦簀を張り、冬はこもを巻き、土壌を改良し、それこそ年中、与兵衛は恋人のように大切にして新品種であるヨシノサクラ、のちに染井村にちなんでソメイヨシノと名付けられる人気爆発の桜になったという。一つのことに夢中になって打ち込むことの素晴らしさを思った。
「彼と小猿七之助」(原作:川口松太郎)
芸に惚れる。言葉にするのは簡単だけど、それがどういうことなのか、それをまざまざと見せてくれるのがこの話だ。桃川圓林の講談に惚れたのは、金杉館という色物小屋の席亭の一人娘、おみち。席亭の父親である三之助に圓林と一緒になる説得をするには、力がいる。悟道軒圓玉に金杉の旦那を説得するように頼む。そのとき、圓林の「小猿七之助」を聴いて、「なるほど力になろう」と圓玉が思ったのだから、おみちの眼力も鋭かったのだろう。
圓玉が推す男ならば、と金杉の席亭も思う。だが、障害があった。寄席は活動写真に押されて不景気。この金杉館もその新しい芸に乗り替わろうとしているところだった。浅草で何十軒もの小屋を持ち、活動写真で飛ぶ鳥を落とす勢いの興行をしている国清彦兵衛が金杉館の窮地を救ってくれることになっていた。その条件として、一人娘のおみちを妾にすることになっているのだった。
それはいつしか仲裁に入った原組と国清とのヤクザの抗争に発展しかねない様相を呈した。おみちにとっては、これ以上は父親に迷惑をかけられない。意を決したおみちの度胸がすごい。国清親分の元に乗り込み、「金杉から来ました。ちゃんと身体で返します。ただ、好きな男との約束もある。年季を1年と区切って妾奉公させてくれないか」。すごい。この度胸に押されたのか、国清親分は条件を飲む。
圓林の部屋に戻ったおみち。「1年の辛抱をしてくれ」というのに対し、圓林は「死んだほうがまし」「一緒に死んでくれ」と弱腰。情けないよお。そこで切るおみちの啖呵もいい。「妾になる女が嫌なら、一緒になる約束は水に流そう」。こうまで言われちゃ、圓林も承知せざるをえない。「1年待とう」。
国清親分の元に身を寄せたおみち。生来の明るさで、家を切り盛りし、すっかり子分たちも懐いて、「おかみさん」の体だ。覚悟を決めたら、徹底的に尽くすおみちの心意気がすごい。1年後には、国清親分も、そしておみちも惚れた仲になっていたし、このままいけば幸せになれる確信もあった。だが、約束は約束。親分はおみちに千円を「礼がわり」に渡し、キッパリと別れた。どちらも潔い。
そして、おみちは圓林の住む根岸の荒物屋の二階に戻る。圓林の空気が抜けた風船のような風体に「この男のどこに惚れたのだろう」と思うが、「さあ、やってごらん」。あの「小猿七之助」を読む圓林。釈台の前の圓林は「愚かな男」の空気は消え去って、1年前とはガラリと違う見事な芸を見せた。やはりこの男を見込んで間違いなかったとおみちは思ったのではないか。
圓林は単なるオロカモノではなかった。そして、彼を見込んだおみちもオロカモノではなかった。それは「いとしきオロカモノ」だったのだなあ。