宝井琴梅「よもすがら検校」世の中は金やモノじゃない。志には志を。五島慶太が愛した人生訓に耽る。

上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(2021・01・28)

宝井琴梅先生の「よもすがら検校」が良かった。長谷川伸が大正13年に発表した短編小説の講談化で、五代目宝井馬琴が得意としたそうだ。東急の創業者である五島慶太がこの読み物を好み、しばしば馬琴をお座敷(主に新橋「金田中」)に呼んでリクエストし、その数は100回を超えるという。世の中は金ではない、志には志を、というこの読み物のメッセージに涙していたそうだ。五島の経営者としての指針にも合致していたのかもしれない。

京都で名を馳せた琵琶法師の玄城検校は、その「平家物語」の語りを聴きたいという者が江戸にもたくさんいたため、江戸に長期滞在していたが、病気がちだった妻の違袖の代わりに友六という使用人を伴った。が、それが間違いのはじまり。玄城が盲目なのをいいことに、芝神明の水茶屋に入り浸り、遊女のおりよといい仲になるが、このおりよがまた悪女。ようやく京に帰ることになるが、江戸に下るときは東海道だったが、京に上るときは中山道を使いましょうと進言し、木曾福島の宿を出た後に、駕籠屋と結託して、玄城を雪の山中に放り投げて、江戸へ逃げてしまう。飼い犬に手を噛まれたとはこのことだ。友六は色香に迷ったのだろうが、それを利用して、主人から預かっている500両も持ち逃げしてしまう策略を考えたのはおりよで、酷い女だ。

たまたま通りかかった若造が玄城を助けたから良かった。世の中には酷い人間もいれば、優しい人間もいる。この若造が素晴らしく人間ができた男だ。寒い。情けない。これが私の運命か、と今わの際に「平家物語」を唸ったのが良かった。山田村の一軒家に玄城を招き、若造は薪をくべて身体を温めてあげた。玄米と味噌で作った雑炊を食べさせる。意識が戻り、生き返った思い。事の次第を話すと、若造は「過ぎ去ったことは諦めなさい」と諭す。京に帰る路銀を貸してくれないか、と頼むと、それよりも、琵琶法師なら、「平家物語」を語って金を稼ぐことを考えた方がいいと説く。若造も借金が溜まってしまい、夜逃げしようかと考えていたところだという。若造は風呂敷包みから先祖伝来の仏壇を出して、叩き壊し、それを炉にくべて、暖をとっていた。「道理で漆に匂いがすると思った」「人助けのためにはなるなら、それでいいんだ」。若造の言葉ひとつひとつが身に沁みる。

若造の了見の素晴らしさはまだまだ続く。二人は美濃の大垣へ出た。そこで玄城が琵琶演奏と語りを大道でおこない、瞬く間に金が集まった。玄城は「このまま一緒に京に行って暮らそう」と誘うが、若造は断る。「借金を返すために田地田畑を売り払ってしまった。それを取り返さなくてはならない。そのためには、自分の力で一生懸命働かなくてはいけない」。玄城に頼るのは良しとしないのである。玄城は若造の心持ちに痛く感激し、「私は玄城検校と言います。何かあったら来てください」という言葉を残し、二人は去る。

5年後の京。底冷えする寒さで、珍しく雪が降る。そこへ件の若造が訪ねてくる。あれから、常滑、近江、加賀と転々とし、今度は浪速に行くところを立ち寄ったという。「借金を返して、田地田畑を取り戻すのは自分の仕事だから」「一刻者だね」「俺は一刻だ」。紙に包んだものを妻の違袖から若造に「気持ちだ」と言って渡そうとするが、断る。「俺は乞食じゃない。こんなものが欲しくて訪ねたのではねえ」。

命の恩人を玄城はもてなそうと、風呂に入れ、料理を振舞い、柔らかな布団に寝てもらおうとする。が、若造は言う。「贅沢を覚えたらダメだ。銭を貯めて、必ず受け返す。貯まらなかったら、綺麗さっぱり諦める」。歳を訊くと、28だと言う。その歳で人間が出来過ぎている。玄城は命の恩人に何かして差し上げたいと思う。私の気持ちがすまないと。「わたしにできることはありますか?」「あの節回し、あのときの『平家物語』をじっくり聞いてみたい」。玄城は嬉しかった。どんな高貴な方の前で語るよりも張りがある。

若造は聴き入った。俊寛が島流しから帰ってくる場面。島下りの一曲の途中で、玄城は琵琶を弾くのをパタリとやめた。そして、琵琶に頬づりをし、その琵琶を柱に投げつけ、バラバラにしてしまった。「私は世の中、金、金、モノ、モノというのではないということを教わった。志には志ということを」。そう言って、バラバラになった琵琶を炉にくべさせた。そして、二人であの夜のことを話した。

ああ、すばらしき一刻者。大事な琵琶を叩き壊すことで、頑なな気持ちも砕けた。若造は今度は素直に金を受け取った。「この金で田地田畑を受け戻すだ」。助けたり、助けられたり、というのが世の中だなあ。

翌朝、若造が京を立って近江の国へ入る。琵琶湖の湖畔に一人の乞食とすれ違った。それは女に棄てられた友六の姿だった。浄玻璃の鏡に善事と悪事の両方が映し出された。それが人生というものなのだなあ、と思いに耽った一席だった。