【落語ディーパー】を観た(5)圓朝スペシャル「牡丹燈籠」「死神」

NHK-Eテレの録画で「落語ディーパー!」を観ました。

若い世代が落語を知らないなんてもったいない!落語に魅せられた東出昌大が春風亭一之輔たち落語家と、毎回ひとつの演目をとりあげ、深~く語り合う番組。今回は2019年9月2日・9日に放送された「圓朝スペシャル」(柳家喬太郎師匠がゲスト)を観て、知ったこと、感じたこと、学んだことを記したい。

「牡丹燈籠 お札はがし」(2019年9月2日放送)

三遊亭圓朝(1839~1900)をゲストの喬太郎師匠は「永久欠番にした方が良い名前」とおっしゃった。三遊亭、柳家、関係なく噺家の頂点にある人だから、この名跡は「自分が生きている間は誰にも継いでほしくない」と。毎年8月11日の命日には、谷中の全生庵で圓朝忌が営まれる「落語の神様」のような存在だ。今回取り上げる「牡丹燈籠」は圓朝が23~25歳のときの作品というから畏れ入る。

東出さんは厠から出てきた新三郎にお露が手ぬぐいを渡し、手が触れあって恋に落ちる部分に惹かれるという。儚い淡い美しさに見惚れ、恍惚としてしまうと。その部分を六代目圓生の1973年の口演で流した。また、恋い焦がれ死んだお露が新三郎を訪ねてくる場面も。「円朝百席」のスタジオ録音だが、それがまた逆にいい。

喬太郎師匠いわく、恨めしいと思って出る幽霊は落とすことができるが、恋しいと思って出る幽霊は落とすことができない。生きていればストーカーですよね、そうやって現代に置き換えることもできる、と。怪談噺を演るときにどんんな了見で演るのか?という質問に、人物たちの思い、心持ちを自分の中に落とし込むと同時に、その状況を俯瞰して見る自分もいると。「怖がらせよう」とあざとい気持ちを持っていると、逆に空回りしてしまう。自分の表現から聴き手に何かを感じてもらえればいいと。亡くなった扇橋師匠はお露新三郎を「悲恋物語」として描いた。演者それぞれの考えで演じることだと。

あと、「笑わない客席」を我慢する勉強をしなくていけないとも。手応えを感じるときというのは?という質問には、「拍手の雰囲気でしょうか」。万雷の拍手もいいが、拍手を忘れてしまうくらいの放心状態での小さな拍手。噺が終わっても、まだ噺に浸っているというような。素敵である。

番組では、圓朝が語った「怪談の極意」を紹介して、興味深かった。

怪談ものの極意は「水」でげすな。聞いている時は水のようになんでもない。寄席は明るいし、周りに大勢人がいます。怖い訳あいのもんじゃありません。それが聴き終わったお客さんが一人で家へ帰ります。その道すがらとか、家に帰って一人になって噺を思い出して、おお怖いとなる。そうなると怖くてしょうがありません。こう言う風にいかなくては「怪談」じゃありませんな。

圓朝の怪談には「じめじめ」した描写が多いと一之輔師匠。喬太郎師匠は「真景累ヶ淵」の「宗悦殺し」を例に出して、「昨年の今月今夜も雪でしたな」と表現するよりも、「みぞれまじりに降りましたな」とする方が怖いでしょう?と言った。06年の歌丸師匠のお米が伴蔵に「お札を剥がしてください」と頼み、伴蔵が「100両くれれば剥がす」と約束する映像が流れる。喬太郎師匠いわく、「幽霊の出る怖さは前段階であって、今度は人間の怖さが出てくる」。

「牡丹燈籠」は長い。岩波文庫で約300ページ。圓朝はそれを15回に分けて口演したという。で、「お札はがし」の部分は、その7分の1に過ぎない。喬太郎師匠は全篇の口演をしたことがあるが、8回に分けて演ったと(僕の記録では、20011年9月3日・4日昼夜4公演@本多劇場)。なぜ圓朝に惹かれるか?それはいっぱいドラマが入っているからだ、と。残忍な殺しも沢山出てくる、人間のドロドロした気持ち悪い部分も出てくる。だけど、最後に聴き手にスカッとさせてくれる。それが圓朝の魅力ではないか、と。僕もそう思う。

「死神」(2019年9月9日放送)

死神と出会った男の数奇な運命。ヨーロッパ由来の噺であるだけに、日本人的でない発想が盛り込まれているとゲストの喬太郎師匠。怪談っぽいけど、落語。一之輔師匠は年に一度演るかどうか、メジャーな噺ではあるが、しっくりこないところがあるという。先人たちの不気味さの演出を真似しないでできるようになりたい、とは喬太郎師匠。四代目三木助は「マントを翻して、颯爽と現れる死神ができねえかな」と言っていたが、実現せずに天国に逝ってしまったと。

3人の噺家による、「死神登場の場面」の聴き比べ。

圓生(68年)おせえてやろう。俺だよ。木の陰から出てきたのを見ると、歳は80以上にもなろうかという。頭は白い薄い毛がポヤッと生えて、鼠色の着物の前をはだけて、あばら骨は一本一本数えられるように痩せこけて、藁草履を履いて、竹の杖をついた…

先代圓楽(02年)おせえてやろう。木の陰からフッと出てきた男。歳は100か200か300か、わからない。着ているものと言ったら、鼠色の肌が透けて見えるような痩せ衰えて、顔は頬骨がとんがって、ゲソッとこけて、眼光炯々。頭には髪の毛が申し訳なさそうにフワッと、風に吹かれたらタンポポのようにフワフワと…。

志らく(17年)死んじゃいな。死ね、死ね。死んじゃいなよ。柳の木の後ろからヌーッと出て参りましたのは、ゲッソリと痩せたおじいさん。真っ黒なボロボロの布を巻き付けてみたような、手には汚い鍬を持ち、首には立派な数珠がぶらさがって、頭の毛はポワッと。鷲鼻で、頬が落ちて、黒目は針で突いたような、あとは全部白目という、なんとも汚いヨボヨボのおじいさん。

スタジオの感想は、「圓生は意外と軽いんだ。人間味もある」「圓楽は強そう」「志らくは西洋に寄っている。お前を死に導いてやるというような」。死神の様子は、自分の地の説明によって、自分の像を絞って、それで演じている。喬太郎師匠はそう言っていたが、まさに三者三様で面白かった。

死神が足元にいたときの消し方の呪文の楽しみというのも。圓生(68年口演)アジャラカモクレン、紅衛兵、テケレッツのパ。志らく(17年)アジャラカモクレン、談志が死んだ、下から読んでも談志が死んだ。圓生の「紅衛兵」というのは、中国の文化大革命のときの青少年組織のことだそうで、当時の時事ネタ。時事ネタを呪文に取り込むのは今でも多くの噺家さんがやるが、まさか圓生師匠が!ビックリ!

「死神」の原案、イタリアオペラの「クリスピーノと死神」(1850年初演)とも、グリム童話の「死神の名付け親」(1812年初版)とも言われている。圓朝はオリジナル作品のほかに翻案も多く、このほかに「錦の舞衣」はオペラ「トスカ」、「牡丹燈記」は中国の小説、「名人長二」はモーパッサン原作。死神の台詞の「俺とお前は因縁があってな」というのは、グリム童話の「死神の名付け親」からきているという喬太郎師匠の解説がとてもわかりやすかった。死神は貧富の差をつけない公平な神様だから、男は生まれたときに死神に名前をつけてもらったという。

番組の締めの喬太郎師匠のコメントがよかった。伝統芸というのは、元々あるものを受け継いでいくのは大事なことだけれども、圓朝だって新しいことにどんどん挑んでいる。神様と崇めるだけでなく、あの時代に生きていた卓越した噺家だったんだ、圓朝だって芸人なんだ、と思うことが大切ではないかと。先人にリスペクトを持った上で、自分の落語を創ってみなさい、平成、令和、お前たちの時代に合わせて落語をおやりなさいと言われているようだ、と。大変に意義深い内容だった。