【柳家三三 あのときの高座】③「柳田格之進」(2011年11月17日)

おとといから3回にわたって柳家三三師匠の過去の高座をプレイバックしてきました。きょうは2011年11月17日に日本橋公会堂で開かれた「懐古趣味」の中から「柳田格之進」を取り上げます。以下、当時の日記から。

その昔は、独演会というと一人で何席も演ったそうだ。夏目漱石も敬愛したという三代目柳家小さんは独演会で四席演じ、さらに余興で唄まで歌ったという。五代目三升家小勝に至っては、五席演ったという記録があるという。それにならって、三三師匠は大ネタ「柳田格之進」のほかに三席。寄席の踊りも披露して、2時間に収めたのはさすがである。ほかに「花筏」「佐々木政談」「短命」。今回の企画にはよほど思い入れがあるのだろう。どれも師匠独自の可笑しみが出ていて、面白かった。寄席芸人としての本領を発揮したプログラムだった。

柳家三三「柳田格之進」
彦根藩の武士だった柳田は物事を真っすぐに通そうとする男。融通が利かない。水清ければ、魚棲まず。暇を出されて、浪人の身となり、男手ひとつで育てた娘きぬ(17)と浅草安倍川町に長屋住まいだ。「暇を出された理由が知りたい。何がいけなかったのだろう?」と悶々とする日々。娘のきぬに「お出かけになっては?材木町の碁会所へ行かれたら?」と勧められて行く。そこで出会った両替商の萬屋源兵衛とは、勝ったり、負けたり。碁の実力も同じ位で、良き碁仲間となる。気が合って、毎日刻限を変えずに、相手も変えずに、打つようになった。ある日、「手前どもの家は近所でございます。こちらで碁を打ちませんか?」と萬屋が誘う。「かたじけないが、身共のような浪人があがると、ご迷惑がかかるといかん」と、柳田は固辞する。「他の者への気遣いもいらないし、席料もかかりません」という萬屋の誘いに最後は乗って、店で二人は碁を打つことに。

奥の離れの八畳間。初夏で、打ち水をした風心地よい。石の音だけが響く。時を忘れて碁に夢中になる。「もう、こんな時間ですか。ご無礼をば」「このあと、ご用は?」「わしは浪々の身。なにもござらん」「奥に支度をさせました。私は酒の方も目がないのです。私のわがままにおつきあいを」。酒、肴が運ばれ、酌み交わす。いい心持ちになって、柳田は帰宅する。そして言う。「馳走にあずかるのは良くないこと。以後、慎もう」。しかし、翌日になると小僧が迎えに来る。断ると、「困るんです。私の藪入りがなくなっちゃうんです。よろしいではないですか?」。また、碁を打ち、酒をご馳走になる。「これはいかん。深入りは良くない。しかし、何にも替え難い楽しみ。出世の暁には、何倍にもして返そう」と思う。

ある日、番頭の徳兵衛が旦那の部屋にやって来る。「昨日お渡しした50両はいかがいたしました?水戸様のお掛けです」「50両?」。忘れてしまっていた旦那。「離れに置きっぱなしでは?ない?」。見つからない。「ひょっとしたら、柳田様がお持ちになったのでは?」「馬鹿なことを言うな。あんな清廉潔白な方はいない。碁を打てば、なおさらわかる。まるで、心が洗われるようだ。まぁ、いい。50両は主人入り用としておいてくれ」。忠義一筋の番頭・徳兵衛は納得がいかない。

「ごめんください!」。柳田の家を訪ねてしまう。「お尋ねしたいことがあるのですが・・・。昨日、離れで主人が碁を打っているときに50両をお届けしたのですが、それが紛失してしまったんですよ。ご存知ありませんか?」「知らん」「昨日、離れにいたのは柳田様と主だけ」「わしが手をかけたと申すのか?」「ひょっとしたら、煙草入れと間違えて・・・」「馬鹿を申せ!金子と煙草入れを間違えることなどない!知らん!」。烈火の如く怒る柳田。すると、番頭は言う。「50両という大金です。お上に届けます。柳田様の名前も出ます。お取り調べがあるかもしれません」。慌てる柳田。「それは困る。浪々の身。迷惑だ」「致し方のないことです」「離れでなくなったのか?ここに来ていることは源兵衛も承知か?天地天命に誓っても知らん。だが、その場に居合わせた、この身の不運。明朝、参れ。その時に、50両の在り処を定めておく」「お金が出れば、こちらも安心です」。この言葉を聞いて、番頭は去る。柳田は呟く。「やはり、町家に出入りするのは間違いであった」。

娘・きぬを呼ぶ柳田。「番町の叔母のところへ手紙を届けてもらいたい。どうだ?きょうは泊めてもらえ。ゆっくり、話をしてこい。明日、昼過ぎに帰ってくればよい」。すると、きぬは気丈に答える。「父上、お腹をお召しになるようなことだけは、おとどまりください」「なぜ、わしが腹を斬る?」「私にはわかります。紛失した50両をどうなさるおつもりですか?お父上はそのようなことができる人か、私がわからないとでも思っているのですか?お父上はお腹を召して、身の潔白をお示しになるつもりでしょうが、商人にはわかるわけがありません。50両を盗んだのが現れたから、腹を斬ったのだと言われるに違いありません。どうぞお腹を召すことだけは、おとどまりください」「お前に隠しごとはできぬか」「お上の取調べがあれば、人の口からいずれ殿の耳に入る。それでは申し訳が立たない。だから、腹を斬る」「無駄でございます。お腹立ちはごもっともです。父上!もう一つ、お願いがございます。親子の縁を切ってください」「わしを疑ってか?」「疑ってなどいません」「ならば、なぜ?」「柳田の家名に傷がつきます。私は吉原に身を沈めます。そして、その金を萬屋にお渡しください。その50両は必ず、出てきます。その時に、無念をお晴らしください。萬屋の首を討たれればよいのです。私は柳田の、父上の娘でございます」。娘・みつの決心が並大抵でないことが、この台詞から伝わってくる。柳田が言う。「私はこれまで曲がったことはしてこなかった。主のためにと思ったことが、かえって迷惑をかけるか。許してくれ。わしは腹は斬らん。そして、親子の縁も切らん」。柳田は先祖伝来の名刀を売り払い、金子を整えた。

翌日。番頭が再び、柳田を訪ねる。「ここに50両ある。待て!わしは50両は盗んではおらんぞ」「出てさえくれば、こちらは良いので」「必ず、50両は他より出てまいる。そのときは、主人・源兵衛の首をもらう。その覚悟があるのなら。渡すぞ」「何だったら、私の首も差し上げましょう」「その言葉、忘れるな」。番頭は店に戻り、旦那に報告する。「旦那様、50両、出てまいりました。やはり、柳田様でした。今朝、50両を受け取ってまいりました」。すると、旦那は烈火の如く怒る。「馬鹿!お前は何ということをしてくれたんだ!50両のことは、もう二度と言うなと言ったろう!それを、お前は・・・主人思いの主倒しとはこういうことを言うのだ!」悔しい思いでいっぱいの萬屋の心中が察っせられる。 安倍川町の柳田の家に行くと、すでに釘が打ってあり、貼り紙がしてある。「これまでお世話になりました。ゆえあって、越すこととなりました」。柳田は行方知らずになってしまった。

師走13日。煤払い。離れを掃除していた小僧の定吉が「離れの額をはずしましたら、こんなものが出てきました」。50両である。「どうして?」、膝を叩く旦那。「番頭を呼びなさい!こっちへ来い!8月の50両が出てきたぞ。私がいけなかった。店の金を碁を打ちながら、もらった。夢中になり、厠へ行くときに額の裏に置いたのだ。次の手ばかり考えていて、50両のことをコロッと忘れた。柳田様が盗ったのではないのだ。柳田様を捜して来い!」「捜すのはおやめになった方が・・・手にかけぬ金子は必ず出る。もし、出てきたときは私の首をもらい受ける。主人の首ももらい受ける。どうぞ、 おやめください」「番頭さん、お前のしたことは私のしたこと。とにかく、今することは柳田様を捜すことだ。掃除は構わない。褒美を出そう」。だが、柳田は見つからない。

年が改まって、正月四日。番頭が鳶頭と一緒に年始回りをしていると、湯島の切り通しのところで、坂の下で駕籠から出てきた侍がいる。ゆっくりと登って来るのは、駕籠屋への配慮であろうか。「あのお武家様、よほどの方だな。南蛮羅紗を腰に差している」。そのお武家が番頭に声を掛ける。「そこにおいでは、萬屋のご支配ではないか?」「どちらさまですか?」「柳田格之進でござる。新年早々にご貴殿にかようなところで会うとは思わなかった」「お久しぶりでございます」「萬屋殿は達者でござるか?」「店の者一同、達者です。柳田様も立派になられて」「仕官が叶って、江戸留守番役300石を預かりおる」。「のう、ご支配。心に欲せぬことがあり、無沙汰をしておった。湯島は美味いものを食させる料理屋がある。ご同道願いたい」。番頭は鳶頭に言う。「アレが柳田様だ。先に戻って旦那に伝えてくれ。遅くなる。戻るのは、お盆の13日・・・」。

「一献、参ろう。盃を酌み交わそう」「ご酒を頂戴する前に、話さなければいけないことがございます。紛失した50両は・・・」「よせ、よせ。きょうは、その話はよそう」「あの50両が出たんでございます!暮れの煤払いの時に、離れの額の裏から出てまいりました!」「出たか!出たか!きょうは何たる吉日。めでたい。さぁ、一献」「寝る間忘れませんでした。あのとき、掛け合いに行ったのは私の一存です。お手討ちは、私一人に。主人は知らぬことなのです」「何も言うな。汚名の晴れためでたい日。改めて、挨拶に参る。めでたい酒だ」。

翌日。萬屋の旦那は番頭に品川の吉田屋に急な商売の話があるから、朝一番で行ってくれと命じて、柳田が訪れるのを待った。「久しぶりだな」「ご無沙汰しております。ご出世、心よりお喜び申し上げます」すると、萬屋は柳田に訴えるように話す。「早速ですが、柳田様に掛け合えと言ったのは、私でございます。番頭は私に言われるまま、何もわからずに行ったのです。私一人をお手討ちに。あれは忠義一筋の真っすぐな男。お助けください」。そこに番頭が現れる。「旦那!何をおっしゃる!あれは私の一存。私をお手討ちに!」「いえ、申しつけましたのは、私です!私を!」。

柳田は二人を制す。「黙れ、黙れ!両名、控え!」。「お手討ちは覚悟の上です。番頭さん、よいね?取り乱して、失礼しました。どうぞ、ご存分に」「覚悟をいたせ!」。振り下ろした刀は、二人の首ではなく、床の間の碁盤を真っ二つに割った。「なぜ?」「わしは無念を晴らそうと思った。だが、主人が奉公人を思う気持ち、奉公人が主人を思う気持ちに感じ入り、切っ先が鈍った。この碁盤さえなければ、こんなことはなかった」。なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍、柳田の堪忍袋の一席でしたでサゲた。娘・きぬが吉原に身を沈めるのではなく、先祖伝来の名刀を売り払うことで50両を都合するという型は、講談で旭堂南湖先生が「月例三三独演新春公演」で演じたのを今年1月に聴いたが、そのときは娘自体が存在せず、柳田は独り者だった。落語でこの型を演じる噺家がいるのか、存じ上げないが、娘・きぬが吉原に身を売るという悲劇的な、後味の悪い部分は解消される。しかし、娘・きぬが辛い思いをしたからこそ、ラストシーンで柳田の無念を晴らすか、主従を許すのかという決断のドラマが生きるという考え方もあると思う。今回の三三師匠の演出がいいのか、悪いのか。議論の分かれるところだとは思うが。