【柳家三三 あのときの高座】②「ちきり伊勢屋」(2009年3月23日)

きのうから柳家三三師匠の過去の高座を振り返っています。きょうは2009年3月23日に紀伊國屋ホールで開かれた「三人集」から談春師匠、市馬師匠、三三師匠の3人による「ちきり伊勢屋」のリレー口演をプレイバックします。以下、当時の日記から。

「円生百席」でCD二枚組みになっている、この長い噺を一人およそ30分ずつに分けて聴いたら、「なるほど、こういう噺だったのか」と大変興味深かった。ひとつは噺をきちんと整理してわかりやすくしていたこと。もうひとつは微妙に色合いが違う演者がリレーすることによって、ともすると冗長になりがちなところを、全く聴き手を飽きさせなかった。この手の噺は、一人の演者でたっぷり、みっちりと聴く楽しみもあるかもしれないが、こうしてリレー落語で聴くのは大変面白い試みだと思う。ちなみに僕は、この日のAプログラムに行ったのであるが、翌日のBプログラムでは、三三師匠と談春師匠の順番が入れ替わって、こちらも素晴らしい口演だったそうだ。当代の実力派三人衆による、こうした取り組みをこれからも積極的にやってほしいと願う次第だ。

立川談春「ちきり伊勢屋」(上)
夏の暑い盛り。質屋と両替商を営む伊勢屋の番頭が、旦那・伝次郎のところに行くと、額に汗をかいて、浮かない顔をしている。どうかしたのですか?と尋ねると、旦那は白井左近という易者のところに行ってきたという。白井左近と言えば、よく当たる、いや、はずれないと大層評判の日本一との呼び声高い大名人。伝次郎は25歳。そろそろ嫁をもらわねば、と相談に行ったところ、「あなたは嫁をもらってはいけない。あなたは死にます。来年2月25日に命を落とします」と言われたのだという。

人の生き死には占ってはいけない、と奉行者から禁止令が出ている。だが、伝次郎の顔には明らかな死相が現れている。こんなにも、はっきりとした死相を見たのは初めてだ、と左近はあまりにも驚いて言ったのだ。ちきり伊勢屋と言えば、江戸で知らない人はいないというくらいの大きな店。その身代は、伝次郎の父親と番頭で築き上げたものだ。その父親は、店を大きくするために人の恨みを買うようなこともしてきた。世間では、この店のことを「乞食伊勢屋」と陰口をたたくくらいだ。

そんなに親父は情知らずだったのかい?と旦那が聞くと、番頭は言葉を濁して、うつむいてしまった。そういう父親を許せないという念が、息子の伝次郎を短命にしたのだと、左近は言った。そして、「無理をして散財をしろ。酷いことをした分、施しをしたらどうだ」と進言された。「一生懸命、人を救いなさい。父親の悪事を払えば、今度生まれてくるときには、長生きができる。自棄をおこしちゃいけない。これは因縁です。来年2月25日までは一生懸命生きなさい。道楽もしなさい。金を残さず、自分のために使いなさい」。

伝次郎は番頭に千両を渡し、奉公人にはすべて暇を出して、施しを始めた。乞食に粥を食わせる。貧民窟に出かけて、金を恵んでやる。だが、この温情に便乗して、わざと困っているふりをする人間が増え始め、伝次郎は人の誠(まこと)というのがわからなくなる。それならば、とことん遊んでみよう。遊び人として知られる従兄弟の遠州屋の正太郎に、「私が死ぬ二月まで、遊びに付き合ってほしい」と頼む。正太郎は「一生懸命遊ぶというのは難しいもの。湯水のごとく金を使い、酒に女に溺れていると、やがて飽きるし、身体も疲れる。本物の遊び人は、くじけちゃいけない。その覚悟ができているなら」と引き受ける。

二月の節分の豆まきを幇間たちとして、お参りをした帰り道、伝次郎たちは心中の相談をしている家族4人を見つける。見逃すことができない伝次郎は、4人を連れて蕎麦屋に入って、「ワケを話してくれないか」と聞く。心中をしようとしていたのは、日本橋米沢町の洗い張り屋、山城屋徳兵衛。火事を出して、お客さんの品物を燃やしてしまった。その弁償をするために、娘2人を吉原に売って、品物を返して詫びようと考えたが、そんなことするくらいなら、いっそのこと親子4人で死んで償いをしようかと考えていたところだという。

事情を聞いた伝次郎は「いくらあったら、元のように商売を始められるのですか?」と問う。山城屋が「250両あったら」というところ、伝次郎は「では、300両お貸しします」。そして、続ける。「私は死ぬことが決まっているのです。だから、世の中の困っている人を助けようと思いました。だけど、人を助けるというのは大変です。お金がなければ死んでしまうという人もいれば、乞食の方が楽だという人もいる。どこから先は救って、どこからは救わないなんてことは、神様のすることなんですね。今、私の金が初めて生きる。私の金で皆が救われる。それが嬉しいのです」。そして、翌日、伝次郎は山城屋に300両を届ける。山城屋はその金で、品物を燃やしてしまった人に詫びをした。すると、災い転じて、福となす。山城屋は再興し、娘のうち妹の方が、腕のいい職人を婿に取った。すると、父親は安心したかのように、2月25日に息を引き取った。助けてくれた伝次郎を拝むようにして、死んでいったという。

柳家三三「ちきり伊勢屋」(中)
伝次郎の吉原通いは毎日続いた。日が経つにつれて、遊びが派手になった。だが、白井左近に「死ぬ」と占われた2月25日が近くなると、吉原通いはパッタリと止め、お通夜が始まった。当人はピンシャンしているが、奉公人には暇を出してしまったし、親類も近づかなくなったので、家にいるのは、芸者や幇間ばかり。吉原から麹町に場所を変えて、連日の大騒ぎだ。死の前日の24日には、伝次郎は贅沢な白羽二重の装束に着替えて、棺桶の中に座り込んだ。退屈なので、酒を持ってきてくれと注文をする陽気な仏様だ。

そして、いよいよ25日。伊勢屋の門には「忌中」の札が貼られた。向かいの煙草屋の高田屋では、「誰が亡くなったんだ?伝次郎さんかな?遊びすぎで死んだのでは?」と、吉蔵を使いによこした。「どなたがお亡くなりに?」「伝次郎さんが・・・そろそろだと思うのですが。仏様に聞いてきます!」。すると、棺桶の中から「まだなんだよ!」と声が。吉蔵に対して、「吉さん、久しぶりだね!まだ生きているんだよ。でも、きょう、死ぬんだ。お宅の旦那は色々意見してくれた。ありがとうございました、と言っておいておくれ」。やがて、棺桶は弔い行列で深川の霊巌寺に運ばれ、読経され、葬儀が終る。寺男が穴を掘り、棺桶は地中へと埋められてしまった。暮れ六つの鐘が鳴る。「まだ、生きているじゃねぇか!」と伝次郎。棺桶の蓋を開けて、立ち上がり、墓場から抜け出した。店は人手に渡した。金は使い果たした。以来半年、伝次郎は行方不明になった。

ある日、その伝次郎が正太郎の元を訪ねた。「正太郎さん!俺だよ!」。驚く正太郎に、伝次郎は続ける。「俺はただ白井左近が恨めしい。野郎のお陰で、情けない思いをさせられた。白井左近をとっちめてやる!」。正太郎によれば、左近は死を占って人心を惑わした罪で、お上からきついお咎めを受けた。大名人と評判だった男が、今は赤羽橋で無料で人相を見る易者をやっているとの噂だという。早速、赤羽橋へ駆けつけた伝次郎。左近を見つけ、「見つけーたぁ!俺だ!俺のツラを忘れたのか!ちきり伊勢屋の伝次郎だ!俺はお前に会いたかった。てめえのせいで、家も金も何も無くなっちまった。どうしてくれる!」と激しく迫る。

すると、左近も「私も不思議でならなかった。千に半分、万にひとつも見間違えたことのない私が、あんな死相を見たことがなかったものだから・・・。なぜ?心にあなたのことが引っかかっていたのじゃ。死相を診たことで、わしは江戸を追放されてしまった」。改めて左近は伝次郎の顔をまじまじと見つめ、「死相が消えている。影も形もない。あれだけの死相が出ていたのに」。そして、思いついたように、こう言う。「人助けをしましたな。4人か?4人のうち、1人はこの世のものではない。旅立つ折りに、あなたの死相を引き受けて逝きなさったのだ。あなたは、長生きをなさる!82までは請合う。大きなことを言うようだが、千に半分、万にひとつも見間違えたことのないわしが言うのじゃ」。

「人の命を何だと思っているんだ!何にもなくしちまった俺が、どうやって長生きしろというんだい!」と伝次郎。「人には運命がある。それに従うのが人。あなたは自分で自分の運命を変えた。辰巳の方角へ行けば、運が開ける」と左近は占った。「わしは眼力に頼りすぎた。いい勉強をさせてもらった。ここに一両ある。納めてください」と言い、「わしは上方へ旅立つ。伝次郎さん、お達者で。心を強く持って。辰巳の方角ですぞ」という言葉を残して去っていった。そして、伝次郎は従兄弟の正太郎の元へ。

柳亭市馬「ちきり伊勢屋」(下)
茶店で待つ正太郎のところへ伝次郎がやって来た。そして、左近と会ってきた一部始終を話す。「いい知恵はないか?」「品川の“いろは長屋”と呼ばれている百軒長屋が辰巳の方角だ」「よし、そこに住ませてくれ」。この百軒長屋は狭くて汚い、貧乏人の集まりのような長屋。そこで、毎日のそのそしていた伝次郎と正太郎に大家が「二人で駕籠屋をやって稼いで、地道に暮らせ」と助言する。

そして始めた駕籠屋。派手な着物を着た客が「品川の土蔵相模までやってくれ」。ヨイショ、ドッコイショ。揺れる駕籠に客はウトウトと居眠りをはじめた。駕籠を担ぐのに疲れた伝次郎と正太郎は、途中で一休みして、熱燗とおでんで一杯やる。「くたびれるね」「ごくろうさん」と、もう一杯。「色々、人生あったなぁ。不思議なものだなぁ」と話しているうちに、夜が明けてしまった。日の出を拝む二人。駕籠の中の客を起こすと、その客は旧知の幇間・都家半平だった。

「ちきり伊勢屋の旦那じゃないですか!」。運命の再会。「水くさいじゃないですか!どうして私を訪ねてくれないんですか!」に、「今じゃ、立場が逆転して、落ちぶれてしまった。痩せても枯れても、俺はちきり伊勢屋の伝次郎よ!」と見栄を張る。とは言いながら、背に腹は代えられない。伝次郎は半平に3両渡され、その上、来ている着物や帯まで貰った。

品川の百軒長屋に戻り、貰った3両を困っている貧乏人に振舞った。長屋から子どもの病人が出た。助けるには人参が必要だという。男気のある伝次郎は、半平から貰った着物を持って亀屋という質屋に行った。「命がかかっているんだ。頼む!」と言う伝次郎に、番頭は「扱いかねます。お預かりすることはできません」と断る。高級な着物と、伝次郎の身なりを見比べて、これは盗んだものだと疑ったのだ。すると、「俺は痩せても枯れても、ちきり伊勢屋の伝次郎!ふざけるな!」と捨て台詞を吐いて、その場を去った。

その時、伝次郎の去る後姿を見た若い娘がいた。そして、亀屋の番頭が伝次郎を追うようにやってきて、「無礼をしました。申し訳ない」と謝罪する。「当家の主が『お詫びしたい』と、鰻屋の二階で待っています。お願いです、会ってやってください!」。鰻屋で待っていたのは亀屋の主人と娘・お鶴。娘は養女で、元は日本橋米沢町の洗い張り屋の山城屋の娘だったという。「心中しようとしているところを、命を助けて頂き、ありがとうございました」と伝次郎に礼を言うお鶴。

「あなたは命の親です」と言う主人は、山城屋徳兵衛の兄だったのだ。「会いたい、と夢にまで見ました。一緒になってください」とお鶴。「どうか、嫁にして、私の店を引き継いで、ちきり伊勢屋の暖簾で商売をしてください」と養父の義兄。伝次郎にとっては、夢の中にいるようで、願ったり叶ったりの話だ。すぐに、仮祝言の三々九度を酌み交わし、お鶴と伝次郎は所帯を持つ。「白井左近は、何という名人か」と感心した、伝次郎はお鶴を連れて、上方へと旅立つ。

素晴らしい人情噺だ。三者三様の演じ方で、(上)から(中)、そして(下)へ、二転三転するドラマチックな展開で、観客を噺の世界にグイグイと引っ張り込む手腕は、実に見事だ。時には惑い、時には怒り、時には恨み、時には驚き、そして最後は胸が喜びでいっぱいになる。伝次郎の運命に翻弄される人生が、まるで他人事とは思えない。涙こそ出ないが、心を打たれるというのはこういうことなのか。素敵なリレー落語だった。