【落語ディーパー】を観た(2)「大工調べ」「明烏」「鼠穴」

NHK-Eテレの録画で「落語ディーパー!」を観ました。

「大工調べ」(17年8月28日放送)

火事と喧嘩は江戸の華。やっぱり、「啖呵」に注目した。怒っているのに、江戸弁の気持ち良さがあると東出さん。その中でも、やはり志ん朝師匠はすごい!ということで、番組では1分56秒の啖呵をテロップを付けて流した。(86年、志ん朝48歳)

なにをいいやがんだ、べらぼうめ。大きな声はこちとら地声だ。え、てめえの方が渡さねえからこっちはいらねえっていうんでい。今度は渡すたって素直には受け取らねえからそのつもりでいやがれ、この丸太ん棒!(なんだよ、人をつかまえて丸太ん棒って)丸太ん棒じゃねえか、てめえなんぞわな。目も鼻もねえ、血も涙もねェのっぺらぼうな野郎だから丸太ん棒ってんだィ。よく覚えておきやがれ、この金隠し。(いろんなことを言いやがるな。なんだ、金隠しってのは)四角くって汚ねえから金隠しっていうんだ。呆助、藤十郎、珍毛唐、芋っ堀り、かぶっかじりめ。てめえっちに頭を下げるようなお兄ィさんとお兄ィさんの出来がすこしばかり違うんだィ。てめえなんぞは誰のおかげでもって大家だの町役だのと言われるようになったんだい。昔のことを忘れるない。(なんだい、アタシが昔どうした)なにを、寒空ぇむかいやがって洗いざらしの浴衣一枚でもってガタガタガタガタ震えてやがって。どうぞみなさんよろしくお願いしますって、みんなの前で頭を下げたことを忘れやしめえ。幸いこの町内の人はみんなお慈悲深えや。かわいそうだからなんとかしてやりましょうって、てめえはここの錠番になったんだ、なあ。二文三文の使い銭もらいやがって、あっちいったりこっちいったり、てめえなんぞはつけえ奴だなあ。おう源六さん、この手紙持ってあっちいっておくれ、へえ、この手紙持って向こういっておくれ。いえ、向こうへは行かれません。どうしてだい。向こうの方から風が吹いてきます、あたくしはお腹がすいていますんで風にむかっちゃあ歩けませんっていうんで、風のまにまにふわふわふわふわ飛び歩いていやがって、こんちくしょう、この風吹きカラスめ。そのてめえの運が向いたのはなんでい。六兵衛番太が死んだからじゃねえか。六兵衛のことを忘れるっていうとバチがあたるぞ、なあ?そこにいるばばあはなんだい!元は六兵衛のかかあじゃねえか。その時分ぶくぶくぶくぶく太りやがって、色のなまっちろいいやらしいばばあだったい。そのばばあがな、六兵衛がポックリ逝っちゃった後、一人で寂しいばかりじゃあねえや、人手のねェところをつけこみやがって「ばあさん、芋洗いましょう薪割りましょう」ってんで親切ぼかしにこの家にずるずるべったり入りこみやがったんだ。二人してろくに食うものも食わねえでな、爪に火を灯すようにしやがって銭を貯めてよ。そいつを高けえ利息でもって貧乏人に貸し付けて、てめえのために何人泣かされてっか分かんねえだい、ええ。そんな恨みがかった金でもって家主の株買いやがって大家でござい町役でござい、なにいいやがるんだ、てめえなんて大悪だ。芋だってそうだい。六兵衛の売っていた芋っていうのは川越の本場の芋だ。厚っぺらに切って焚き付け惜しまないからうめえ芋だい。八つ時になってみろ、ほかの町内からわざわざ買いに来てな、六兵衛の家の前は黒山の人だかりだ。てめえの代になってからそんなことあったかい。場違いな芋を買ってきやがって焚き付け惜しむから生焼けのガリガリの芋じゃないか。その芋食って腹をくだして死んだやつが何人いるか分かんねえんだ、この人殺し!

現代の噺家代表ということで、柳家三三師匠の啖呵を次に出した。09年の月例三三独演の口演で、1分30秒。僕はぼんやりと落語を聴いているからわからなかったが、ディテールがかなり違うのが興味深い。

なにをいってやんでい?おう!丸太ん棒に違いねェじゃねえか。目も鼻もねェ、血も涙もねェのっぺらぼうな野郎だから丸太ん棒ってんだ。呆助、藤十郎、珍毛唐、かぶっかじり、芋っ掘りめ!テメエっちに頭を下げるようなあ兄ィさんとお兄ィさんの出来がすこうしばかり違うんだィ。なァにをぬかしやガンでい!「大きな面ァするな」とはなんだい。黙って聞いたら増長して御託が過ぎらァ。どこの町内のおかげでもって大家とか町役とか膏薬とかいわれるようになったと思ってやがんだ。この鱈の頭あんにゃもにゃ!いま、てめえの氏素性をそっくり並べて聞かせてやっからな。びっくりしてしゃっくり止めてバカになンな、よく聞けよ!いってえどこの馬の骨ともつかねえ野郎がこの町内転がりこんできやがった。その時のざまァ忘れやしねえだろう?洗いざらし浴衣一枚でもって寒空ェむかってガタガタガタガタ震えてやらあ。幸いなァ、この町内にはお慈悲深え方が揃っておいでにならあ。あっちの使い早まあ、こっちの水汲んだり、箒ィとっつかまってまごまごしてやがって、冷や飯の残りを一口もらって細く短く命をつないだことを忘れやしめえ!てめえの運の向いたのはよ、ここの六兵衛さんが死んだからじゃねェか。お前ェ六兵衛番太が死んだの忘れたらバチがあたるぜ。オイ、ええ?後ろにいるばばあ!元はといやァ、六兵衛のかかあじゃねえか。その時分にゃあ、ぶくぶく太って黒油つけて、乙ゥ気取りやがっていやらしいばばあだ。そのばばあが一人でもって寂しいばかりじゃあねえ、人手が足りねぇところをつけ込みやがって、「おかみさん、芋を洗いましょう、薪ィ割りましょう」親切ごかしにずるずるべったり入り込みやがって人夫と入り込みやがった。その時分のことをこっちゃあよーく知ってンだい。六兵衛はな、町内でも評判の焼き芋屋だ、川越の本場を厚っぺらに切って安く売るから、みろ、子供は正直だ。八つ時にならァ六兵衛の店の前は黒山の人だかり、わざわざとなり町から買いに来んだィ。手前ェの代になってそんな気ィのきいた芋を売ったことがあるけい!場違えの芋をしこみやがって焚き付けを惜しむからガリガリの生焼けで、その生焼けの芋ォ食って腹をくだして死んだやつが何人いると思ってんだ。この人殺し!

志ん朝師匠も三三師匠もすごいが、数えたディレクターもすごい。志ん朝師匠は1秒間に11文字、三三師匠は1秒間に9文字だそうだ。そのスピードに目がいきがちだが、一之輔師匠いわく「リズム、歯切れ。ゆっくり演っても、トントンといけば気持ちがいい」。一之輔師匠はこの噺はネタおろしの時につっかえて、2度目も同じところでつっかえ、3度目も同様だったので、「もうやらない」ことにしているそうだ。あと、この手の言い立ては暗記とは違う、と。歌を覚えるのと同じで、口が覚えるように反復してトーンで覚える。

「大工調べ」というと、この啖呵にスポットがあたるが、ここだけできればいいというものではない、とも。与太郎のキャラクターが大事。東出さんは映画「フォレストガンプ」の主人公と与太郎に同じ魅力を感じるとのこと。一直線。忖度しない。普通の社会だったら、弾かれてしまうような与太郎を包みこむ落語の中の社会の温かさ。のんびりいこうぜ。支え合っていこうぜ。そういう世の中のファンタジーかもしれない。

志ん朝師匠の口演で、棟梁が啖呵を切ったあとの、与太郎の「もう帰ろうよ」「どうも喧嘩らしい」「大家のくせに図々しいぞ、店賃取りやがって」と言った台詞に愛嬌がある。この与太郎的愛らしさこそ、現代において必要ではないかとも思う。

「明烏」(18年9月3日放送)

廓噺、初登場。吉原などの遊郭を舞台にした噺。一之輔師匠が「江戸、明治、大正と一般庶民に馴染んでいた文化を扱った」と、ふんわりと説明したのが良かった。お金を払って女性と一晩を過ごす。でも、花魁が振ってしまうような「五人廻し」や「お見立て」といった噺もあるんですよと。小痴楽師匠が、「廓で何をするかという部分は見せないのが、落語の上品さ」とコメントしていたが、本当にそう思います。

最初に花緑師匠の95年の口演(当時23歳)が流れ、続いて先代文楽の70年の口演が流れた。黒門町といえば「明烏」と言われ、末廣亭で15日間連続で「明烏」をかけたという伝説まで残っている。だけれども、番組出演者が口を揃えて、「最初はどこがいいのか、わからなかった」と正直なのが、この番組のすごいところだ。最初に聴くのは花緑師匠のようなわかりやすい高座がいい。それで、落語を聴く耳が出来てから黒門町を聴くと、そのすごさがわかるようになると。

時次郎が無断で外出したことを父親に詫びる場面と、お稲荷様に行こうと吉原に連れていかれてようやく騙されたことが判る場面を花緑、文楽で比較していたけれど、やっぱり初心者は花緑を聴いた方がいい。でも黒門町の高座には無駄がなく、洗練されていることが次第にわかる。それによって時次郎の真面目さが倍増する、と。

あとは甘納豆伝説。「明烏」がかかると、寄席の売店で甘納豆が売り切れたという。「朝の甘みは乙だね。これで濃い宇治があれば」という部分が流れたが、ここは黒門町の真骨頂だろう。だから、存命中は誰もかけることができない演目になってしまった。志ん朝師匠は「甘納豆の呪縛」から逃れるために、梅干しに変えた。「おばさんに貰った梅干し。乙だよ。ちょいと砂糖付けのね」。こういう工夫が今の落語界にも脈々と流れ、一之輔師匠などはその「古典に新しい風を吹かせる」旗手である。

「鼠穴」(18年9月10日放送)

人情噺、初登場。でも、「芝浜」「文七元結」「子別れ」といった人情噺とは一線を画すと一之輔師匠。東出さんも「感情を揺さぶられる。ドロドロした人間が出てくる噺」と言った。まさに。人間は欲深さ、汚さみたいなものを見せつけられながらも、最後は「いーい噺だなあ」と思ってしまう。

一之輔師匠は高校時代、談志師匠のカセットテープで「鼠穴」を聴いて、「落語で泣けるんだ」と思ったという。ホッとして泣いた。「芝浜」や「文七元結」では泣かなかったのに、と。

圓生の72年の口演(兄からもらった元手が三文と気づく場面)、談志の06年の口演(なぜ三文だったのかを、兄が弟に説明している場面)を続けて流した。出演者が口を揃えて言ったのは、「兄が談志そのもの」ということだった。気持ちが入りこんでいる。ガツン!と自分を投影している、と。

「文七元結」の長兵衛が文七に50両をやるところは、談志にはリアリティーがないが、志ん朝にはある。逆に「鼠穴」で鬼になって弟に元手を三文しかやらない兄は談志にリアリティーがあると。人間的にクセがある人の方が、この噺は合うのではないか、と。

ただ、一之輔師匠は「感情が入り過ぎないようにブレーキをかける」自分もいるという。そこは演者それぞれで、クサくできるのも技術だからと。

あと、番組で注目したのは、江戸弁がほとんど出てこない落語ということ。番頭さんくらいで、あとは田舎者もしくは田舎出身者で、江戸っ子がいない。それによって、田舎の人特有のハングリー精神みたいなものが表現できているのではないかという推測だ。江戸へ出て出世した兄も、その後に成功した弟・竹次郎も。江戸っ子は宵越しの金を持たないの逆ということか。

衝撃のラスト、夢オチについては、「この噺、夢にしないと収拾つかないですよね」。聴き手も夢になってくれたことで安堵し、いーい噺だったと思うのだから。一之輔師匠は「そんじょそこらの夢オチとは違う。もっと深い」と。御意。