春風亭一之輔「おせつ徳三郎」通し お嬢様と奉公人の無鉄砲だけど強くて深い純愛。心地よい一之輔節に乗せて見事な仕上がり!

本多劇場で「下北のすけえん」を観ました。(2021・01・06)

春風亭一之輔師匠の「おせつ徳三郎」(通し)のネタ出しである。過去10年間を遡っても、僕が通しで聴いたのは、さん喬師匠、喬太郎師匠、花緑師匠、志らく師匠、談笑師匠の5人しかいない。一之輔師匠は「花見小僧」と「刀屋」で分けて、中入りを挟んで演じた。一之輔カラーが随所に見られ、色々な意味で興味深い演出の高座だった。

春風亭一之輔「おせつ徳三郎」から「花見小僧」

おせつと徳三郎の噂話を湯屋で聞いた旦那が恥ずかしくなって、なかなか湯から上がれなかったと番頭にぼやき、「何かあるのか?」と問うというスタイルで噺が始まる。番頭が忠告をしたとか、入れ知恵をしたとか、というのではなく、自然に「今年3月の向島の花見」のことだったら、小僧の定吉に訊いたらいかがですかという流れで、とても自然だ。

婆やに口止めされている定吉は最初は知らぬふりをするが、喋らないと灸を据える、喋れば休みとお小遣いをあげるということで、あっさりと今年3月のことを話し始める。途中に何度も「あとは忘れました」ということはせず、寧ろ、興に乗って唄を歌ったり、話を脱線したりして愉しく喋っている風で、旦那に威圧的なところがないのが好印象だ。

この噺の最大のポイントである「おせつと徳三郎のいい仲」については、一之輔師匠独自の工夫か、果たしてそういう型があるのか、不明だが、これまで僕が聴いてきた噺家さんとは随分と異なる演出で新鮮だった。お嬢様がかなり積極的なのである。

柳橋の船宿から船に乗っていくと、向いの船に乗っていた芸者衆を見て、徳三郎が「綺麗だなあ」とつぶやく。すると、つかさず、おせつは嫉妬して、「あの船の中に馴染みの芸者でもいるんでしょうよ」と拗ねる。徳三郎は誤解を解くために、頭をペコペコと下げて謝るが、これに対して、おせつは「将来の亭主になろうって人が、女房に手をついて詫びるのはおかしい」と言う。この発言にはかなりビックリした。

その後も、「お前が剣なら、私は鞘」と言ったり、船が揺れると「怖いっ」と言って徳三郎が手を差し伸べると、「徳三郎なら願ったり叶ったりだわ」と言ったり。かなり大胆ではないか。

徳三郎も負けていない部分も。茶屋でのゆで卵。半分食べて、「この残りを、売り出し中の歌舞伎役者だったら食べてくれるだろうが、私のでは誰も食べてくれないだろうなあ」と仕掛ける。当然、定吉の表現を借りれば、「割って入ったのはあの女!」「目を離した隙にあの女が!」。相思相愛も、かなり深い段階に入っていたことがわかる。

もう一つ、この四人組は、「旦那の切れ痔治癒を願って」「牛の御前様」にお参りに行っている。向島にある牛嶋神社だ。これも初めて聴いた。で、定吉はその流れで赤坂の山王祭の描写を興に乗ってやるのも、噺に笑いを沢山入れている一之輔師匠らしい演出だ。そこにいるのはおせつじゃないか、そういうお前は徳三郎…。からくり人形を真似た身振り手振りをして愉しい。最後は旦那のからくり人形まで現れ、電信柱の電線に引っ掛かっちゃう。

春風亭一之輔「おせつ徳三郎」から「刀屋」

いきなり徳三郎が夜分に刀屋を訪ねるところから始まる。めちゃくちゃに良く斬れる刀を下さい!と、殺気立っている徳三郎をそっとたしなめる刀屋主人が良い。「生きていると、人間は色々とある。惚れている女に裏切られて、この女を殺して、自分も死のう、なんて考える。でも、悲しむ親兄弟、周りの人のことを考えていない。だから、無闇に刀をください、なんて言うもんじゃない」。まるで、徳三郎の心を見透かしたようにたしなめる主人の落ち着きがよい。そして、この言葉。「刀は人と人との縁を切る道具だ」。

徳三郎が23歳と訊き、自分にも同い年の倅がいたと言う主人の身の上話。道楽三昧で勘当して3年。あんな馬鹿野郎でも、倅が今何をしているか考えると身を切られる思いだと。それに比べて、あなたはしっかりしている。だから、刀を売りたくない。悲しむ人がいるから。そういう優しい言葉をかけられると、徳三郎も刀屋主人のことが親のように思えてくる。それが、「私の友達の話」として、打ち明けるきっかけとなるのがいい。

お店のお嬢様と、奉公人の割りなき仲に刀屋主人は「とんでもないことだ」と言う。たぶらかしたわけではなく、自然とそうなったとしても、だ。奉公人は暇を出され、お嬢様はすぐに婿取りしたと聞き、「偉い」と感心する。心中とか、駆け落ちなんて馬鹿のすることだ。ましてや、婚礼の場に乗り込み、お嬢様を殺して、自分も死のうなんて大馬鹿野郎だと諭す。

そのあとの「本当に愛し合っていること」とは、を説く刀屋主人は見事だ。お嬢様の心持ちを、その男は本当にわかっているのか。訊いていないなら、察してあげることができないか。堅い約束をしたのなら、嫌々婿取りをして、心の中で泣いているに違いない。よしんば、婿取りを喜んでいるのなら、その男はもっと綺麗な嫁さんを探せばいい。若いというのはうらやましい、と。すごい説得力。

最終盤、両国橋でのおせつと徳三郎の再会。無理やり婿取りをさせられたのが嫌で逃げ出した、この世で添い遂げられないなら、蓮の葉の上で一緒になろう。大川へ身投げ。ここで、死んでしまう終わり方もあるが、一之輔師匠はハッピーエンドを選んだ。では、どうなったか?は聴いてのお楽しみに残しておきましょう。

一席目に「加賀の千代」を演じて、そのまま高座に残り、「おせつ何三郎だっけ?なんか勢いでネタ出ししちゃったけど…」と、照れながら「花見小僧」に入った一之輔師匠の落語の美学が垣間見えたような気がした。