【春談春】立川談春という噺家の凄さと優しさを観た(1)

紀伊國屋ホールで「春談春~お友達と共に~」を観ました。(2021・01・06&07)

立川談春師匠のナマの落語は去年、4席しか聴いていない。コロナ禍前に「替り目」、コロナ禍後に「三軒長屋」(上)、「天災」、「五貫裁き」。いずれも独演会ではなく、寄席への出演もしくはゲスト出演であった。一昨年が17席聴いたが、大半は独演会に足を運んで聴いていたから、大きな違いがある。そして、令和3年1月に5日間連続で全9回の独演会を13年ぶりに紀伊國屋ホールで開催するという。そのうちの7回に行った。

大初日昼は、今年真打に昇進する桂宮治さんと春風亭正太郎さんがゲストだった。談春師匠がトリの高座を終わって、二人と弟子のこはるさんを招き入れ、三本締めする際に送ったエールが印象に残った。「今、こういう時期にお前らが真打になることは、とても意味のあることだ」。「(将来の)落語界のために何が出来るかを考えてくれ」。宮治さんは2月11日から、正太郎さんは九代目柳枝を襲名して3月21日から真打昇進披露興行がスタートする。ちなみに、二人とも紀伊國屋ホールで落語を演るのは初めてだったそうだ。

「初天神」桂宮治/「引越しの夢」春風亭正太郎

宮治さんはオリジナルの古典をすっかり独自のカラーに塗り替えた爆笑の高座に。寄席でも笑いの渦で客席をかき回すだけかき回して、温める役割を大いに期待されていると思う。だが、トリを務めたときは、しっかりと噺を聴かせる実力を持っている。この二つを両方できる噺家はなかなかしない。いかに使い分けるか、楽しみだ。

正太郎さんは天性の勘の良さを持っている。リズムとメロディがある。聴いていて心地よい。なおかつ、この噺はこういう演出にして、こういう風に聴き手に伝えたいというお考えやこだわりをそれぞれの噺にお持ちなので、まさに談春師匠がおっしゃるように「未来の落語界」の屋台骨になっていく逸材だと思う。

「棒鱈」立川談春

田舎侍の鮫塚様が絶好調。芸者見習いのミーちゃんもハーちゃんも勉強になる。学べ!で、12カ月の唄は覚えちゃった。1月は松飾り。2月はテンテコテン。3月は雛祭り。4月はお釈迦様。5月は田植え唄。6月は雨が降り、7月は七夕で、8月はアッチッチ!9月は月が出て、10月は風が吹く。11月は七五三。12月は大晦日。

「黄金の大黒」立川こはる

「小猿七之助」立川談春

滝野屋の芸者・お滝が、船頭の七之助に心底惚れている様子が手に取ってわかる。ご法度だった一人船頭一人芸者にあえてしたお滝を乗せた船の上。イカサマ博奕で30両取られた鹿島屋の幸吉の身投げを一旦は助けた七之助が事情を訊き、そのイカサマ師をとっ捕まえて倍の60両にして返してやると息巻いたが。そのイカサマ師が深川相川町の網打ちの七蔵とわかると態度を急変し、幸吉を川に再び突き落としてしまう。現場を目撃したお滝も口止めのため殺そうとしたときの、お滝の覚悟と口説き。「惚れた男の殺されるなら本望」とばかりの、河竹黙阿弥の芝居台詞がこの噺の芯か。談志が愛した美学を今、談春が受け継ぐ。

二日目昼。田辺茂一氏と懇意にしていた談志が、紀伊國屋ホールで「独演会」とせずに「ひとり会」と称して開いたことが、このホールで落語が開かれた始まりだとか。その所縁のホールで談春師匠がこうやって連続独演会をできることに意味がある。

サブタイトルに「お友達と共に」としたのは、「俺は噺家の友達がいないから、後輩をあえて『お友達』と称して、ゲストに招いた」とは、談春師匠の弁。まあ、洒落なんだろうけど。芸人同士、物理的に期間や距離が空いていても、心通じるものはあるのだろうと僕は思う。この日の兼好師匠含め、「お友達」同士の間で「俺たち、友達なんだ」と笑っていたとか、いないとか。

「たらちね」立川こはる

「鰻の幇間」立川談春

幇間・一八がまんまと騙される様子が実に愉しい。旦那と思っていた男の口八丁。「気を遣わないのが本当のいい仲じゃないか。気づまりなのは嫌なんだよ」と無礼講を装う手口あっぱれ。騙されたと判ってからの一八の女中にぶつけるしかない怒りが爆発するところ。「言って聞かせなきゃいけないことが山ほどある!」。お座敷で習字をしている子ども。シャリシャリの冷酒。お香こがキムチ。鰻は脂っこくて、噛むと弾む「田鰻」。米は細長い。どう見ても、日本じゃない国を想像するじゃないか。掛け軸は「鈴と鳩と、それからわたし。みんな違って、みんないい。金子みすゞ」!

「壺算」三遊亭兼好

談春師匠は兼好師匠を「一流の幇間」と称した。一流は無駄な口を叩いたり、動きをしない。存在そのもので、場を持たせることができる。その人がいれば、万事その場は和やかに進む。これが一流の幇間だと。僕は6年ほど前にラジオ番組で久保田万太郎作・和田尚久脚色でラジオドラマ「釣堀にて」を演出したことがあるが、そのときの登場する幇間役を兼好師匠に担っていただいたことがあるが、あながち間違いではなかったのかもしれない。

「白井権八」立川談春

2012年、勘三郎丈の声がけで平成中村座で談志一周忌の追善落語会があったときに談春師匠が掛けたのを聴いて以来。

因州因幡の若侍、実は白井権八のスッとした出で立ちと剣豪ぶり、匂いたつ色気と顔立ちの美しさまでもが頭の中でイメージとして広がる。神奈川宿の茶屋で煙草を吸っているところを、「あれは本当は女形の役者だ。刀は竹光だ」と駕籠かきが踏んで付け狙われるところから、いかにも美男子の若侍が想像できる。雲助がしつこく駕籠を勧め、刀を抜かれ断られると、雲助元締めの藤兵衛が乗り出すが、やがてこれは本物の武士だと諦める。若侍も刀を抜くが、「座興だ」と笑い、二分を渡してやるところなど、カッコイイ。

その様子を旅籠桜屋の二階から眺めていた幡随院長兵衛、子分の闘犬の権兵衛に若侍の後をつけさせるが。長兵衛の名前は西国までも聞こえていると軽くあしらわれ、暮れ六ツが過ぎたら出ない六郷の渡しを船頭に二分を握らせて金の力で渡り、鈴ヶ森へ。焚火にあたる山賊が「鴨がネギ背負ってきた」と喜んだのも束の間、若侍は妖刀村正でバッタバッタと斬り倒す大立ち回りでさらにカッコイイ。

その後を追ってきた幡随院長兵衛が「お若えの、お待ちなせい」。前日の「小猿七之助」に続き、芝居掛かり!と聴き手をワクワクさせて、切るところも講釈好きの談志DNAが。