シリーズ【あのときの高座】③柳家喬太郎「死神」(2012年8月28日)

2012年8月28日。紀伊國屋ホールの公演から。
喬太郎師匠の「死神」は今までに幾度となく聴いてきた。ところが、一昨年(2010年)だったろうか。日独交流150周年記念落語会というのがあって、僕は行かなかったのだが、そこでこれまでとは違う趣向の「死神」を演じたのだという。「死神」は三遊亭圓朝がグリム童話を原典に翻案して作った作品と言われているが、そのグリム童話により近い形になっていたという。死神に救われる男が、死神の名付け親だった?男が禁じ手を使っても一度は死神は許してくれる?聴きたい!聴きたい!その思いがこの日の公演で叶えられた。会のタイトルは「晩夏幻夢 落語と踊りが出会う夜」で、舞踏家・田中泯氏とのコラボレーションという企画だったが、僕はずっとスポットライトが当たった喬太郎師匠の高座を見つめ、聴き入るばかりであった。素晴らしかった。トーンをグッと落として演じられる「死神」は、人間の儚さをより際立たせていた。

柳家喬太郎「死神」~グリム童話「死神の名付け親」より
「オイ!大丈夫か?オッカァ!」「大丈夫よ」「元気に生まれたのか?」「玉のような男の子」「でかしたな!」「堪忍しておくれ」「何を言っているんだ」「だけど、これで13人目だよ。ただでさえ食えないのに」「授かりものだ。罰が当たるぞ」「飲まず食わず。どうしようかね?」「一生懸命、働くから」「いいよ。間引いても」「つまらないことを言うな。可哀相だ」「どうしたらいいかね。明日はお七夜だよ」「名前のことまで思い浮かばなかった。誰かに付けてもらうと礼をしなくちゃいけない。どうしようか。正直、困った。名前を付けなきゃ。思いつかない。どうしようかな?」。

「コレ!それなる男!」「あなたは何です?」「その方たちが神仏と申す、その神だ」「神様?」「困りごとがあるようだな」「子が生まれ、暮しに窮しています。神様に会えるなんて。一人じゃないんですか?」「八百万といって、意外と多い」「神も仏もない。これからどうすればいいのか」「余が名付け親になってやろう」「よしましょう」「嫌か?」「本当に神様がいるのかどうか。働いても、働いても銭が貯まらない。金は金持ちのところにどんどん回る。金のない人間より、金のある人間を幸せにする。それが神様だ。そんな奴に大事な子どもに名前なんか付けてもらいたくない。貧乏で賽銭が払えなくてご利益がない。今更、何を?」。

「オイ!」「あなたは?」「見ればわかるだろう。地獄の鬼だよ。ここで会ったのも、何かの縁」「冗談じゃない!鬼は人を騙す、殺す。どこかへ行ってくれ!豆撒くぞ!どいつも、こいつも」。「オイ!浮かねぇツラしているな。どうした?」「あなたは誰?」「聞いたら驚く。信じられないかもしれない。死神だよ」「本当にいるんですか?人を忌み嫌う」「また生まれたか。弱っておるな」「神様!うちのガキに名を付けてください」「俺は死神、いいのか?」「あなただけだよ。金持ちも、貧乏も、分け隔てない。そういう人に付けてもらいたい」「人じゃない神だ」「お七夜なんです。いい名前を」「これも縁だな。名付け親になるか」。

「お前さん!」「ぐっすり寝ちまった」「寝汗びっしょり」「妙な夢を見た。思い出した。お七夜にいい名前を付けてくれる」。どこかのお爺さんが来た。竹の杖をついて、痩せこけて、背の高い、薄汚い爺さん。「頼まれた」「頼みましたっけ?」「死神だ」「死神?さぞやいい名前を付けてくれるんでしょう」「巳之吉だ。今年が巳年だから」「意外と普通なんですね。何でもないのがいいのかもしれない。ちょいと銭ができたら、神棚を吊ろうかな」。一生懸命働く。暮し向きは良くならない。子どもは奉公や嫁に出す。両親を死んでしまう。巳之吉は独りぼっちになってしまう。借金の山で、坂道を転がるように転がり、先がない。食うや食わずの生活。

「あぁ、何をやっても駄目だ。仕事はうまくいかず、借金だらけ。生きていてもしょうがないや。死のう。生まれてこなきゃ良かった」と死に方を思案しながら道を歩いていた巳之吉。川に飛び込んでも、水を飲んで苦しい。枯れ木に首を括ろうにも、縄が調達できない。「死ぬこともできない。情けない」。すると声がする。「巳之吉!」「誰です?」「久しぶりだな」「どこかでお会いしましたか?」「俺は実は死神だよ」「お前がいるから、死のうと思ったんだ。どこかに行ってくれ!」「邪険にするな。お前とは深い縁があるんだ。親父から聞いていないか?俺はお前の名付け親だよ」「みすぼらしい格好をした人が」「目の前で言うな。寿命が尽きれば、お前の親と同じように、あの世に逝く。お前はまだ寿命がある」「金も仕事もなくて困っているんです」「仕事を世話してやろう」「どうして優しくしてくれるんですか?」「名付け親だからさ」。

「巳之吉!医者をやってみないか?いいぞぉ。儲かるぞぉ」「脈も取れないし、薬も調合できない」「ついて来い。こっちだ。」「こんな森がありましたか?」「足元を見ろ」「見事な草だ」「みんな、薬草だ。これを飲ませれば、病人は治せる。ただし、治せるものと治せないものがいる。死神が枕元にいたら、病人は助かる。寿命がある。薬草を煎じて飲ませろ。だが、病人の足元に死神がいたら、薬草が効かない。治そうなんてしちゃいけない。俺たちのものだ。若かろうが、そいつは寿命だ。助からない。手を出すな。お前が死神を見えるようにしてやった。半信半疑か?やってみるか?」。「妙な味がする」・・・「変な夢を見た。気味の悪い夢。変な味がするな。うたたねしちまった。昼から寝るか」。押し入れを開けると、草が生えている。「エ!?本当かい?」。

「いしや」と看板を出した男のところに、「旦那が長患いなんです。江戸中の医者が匙を投げた。これでは奉公人が路頭に迷う。易の先生にここを出て辰巳の方角に歩いて最初の看板の医者を訪ねろと言われた」と、大店の番頭が最後の望みの綱にすがるように訪ねてくる。「主の命を何とか・・・」「ハイハイ」。薬草を懐に入れ、出かける。「ちょいと拝見」。幸い、死神は患者の枕元にいた。「ありがたい!・・・旦那様は治りますよ」「江戸中の名医が匙を投げたんですよ」「その匙を拾います。私は治ると思います。席をはずしてください」。薬草を病人の口元に持っていく。まるで草の方から入っていくかのよう。ペチャペチャ。血の気が戻る。死神が消える。病人を完治した。「オーイ!誰かいないかい?腹が減った。何か食わせてくれ」「先生!旦那が起き上がりました!」「治りましたよ」「重湯かなにかを?」「天丼を2人前。旦那と私の分」。薄皮を剥がしたように治してしまった即席医者の評判が広がる。大概は枕元。たまさか足元に死神がいると、「申し訳ありません」と言ったか言わないかのうちに病人が亡くなる。「あの先生は名医だ。生き神様だ」。大儲けして、金がザクザク入る。女の子たちが懐に惚れて寄って来る。女の子を連れて上方見物。お伊勢参り。「先生、私は紀伊國屋!」。

金を使い果たして、サバサバしたところで、「また儲ければいい」と医者の看板を出したところ、今度はさっぱり依頼なし。たまさかあっても、死神は足元。借金ができる。「こんなはずじゃなかった」。そこに現れた、近江屋卯兵衛の手代。「お願いでございます。一年でよろしいのです。旦那の命を延ばしてください」。訪ねると、店が潰れかけている。女将さんは早くに死に、一人娘がいるだけ。「早く孫の顔を見たい」。お嬢様は食べるものが喉を通らない。「いい女だなぁ」。案の定、死神は足元。「治してさしあげたい。しかし、寿命はどうにもならない。手の施しようがない。ご勘弁を。諦めてください」と言うと、お嬢様は「そこを何とか。私も生きていかれません。お礼は番頭がやりくりします。三千両でいかがですか?」「千両あれば、長者番付に名前が載る。遊んで暮らせる。だが、治せないものは治せない。弱った」。

「賭けですよ。生きるか、死ぬかの賭けです」。そう言って、男は妙案を考えつく。「機転の利く、腕っぷしの強い若い衆さんを4人、用意してください。長い勝負になりますよ。眠れませんよ」。布団半回転作戦。「半分だよ。一回転では意味がない」「頑張らせていただきます」。夜が更けて、草木も眠る丑三つ時、障子から月の光が差し、死神の眼球はギロリギロリと不気味に輝き、病人はウンウンと唸り、脂汗を流す。この場面描写が師匠は実に巧い。やがて東の空が白んで、小鳥がチュンチュンさえずると、死神はコックリと舟を漕ぎ、ウトウトと居眠りをはじめた。「ここだ!」と目配せをする巳之吉。枕元の死神はハッとする。つかさず、煎じた薬を飲ませる。死神は消え、近江屋の主人は全快。「ありがとうございます!早く婿を取ります。孫の顔を見せてあげます。やはり、ご名医だ」「賭けに勝っただけです。お嬢さん、いいお婿さんが来るといいですね」。三千両を懐に入れて、表へ出る巳之吉。

そこに「巳之吉!巳之!」と呼ぶ声。「お父っあん!」「何が」「名付け親じゃないですか」「馴れ馴れしい。していいことと、悪いことがあると言ったろう?足元の死神には手を出すなときつく言ったはずだ。病じゃない。寿命なんだ。今更、言ってもしょうがないが」「でも、あんな風に頼まれたら・・・」「今度ばかりは助けてやる。二度とするなよ」。三千両を手にして、神棚もいいのにこしらえて、安穏に暮らしていた巳之吉。

しばらくして、近江屋の手代が再び訪れる。「お願いがあります。旦那ハピンピンしているのですが、今度はお嬢様が患いました。先生しか頼る方はいない」。近江屋へ。「いつぞやは。近江屋卯兵衛でございます。このようにピンシャンしています。ところが娘が・・・目の中に入れても痛くない娘が。不憫でならない。何とか、助けてもらえませんか?」「でもね、また足元なんですよ」「?」「お嬢様の足元に・・・そこに・・・治してさしあげたいんですがね」「親の言うことをよく聞くいい娘だったんです」「辛いなぁ」「お礼は差し上げます。治してもらった暁には、娘を差し上げたと思っています。婿に入って頂く。この店の身代を差し上げる」「あのお嬢様が?この身代が?親の言うことは聞かなきゃいけませんよね?親なら許してくれるんじゃぁ。仏の顔も三度まで」。

死神が「巳之吉!妙な了見をおこすなよ」と目で訴えている。巳之吉は咄嗟に白湯を口に含む。布団を半回転させる。口から口への口移し。「お前、また俺を枕元に・・・」と言って、死神は消えた。「ありがとうございます。一度ならずも、二度までも。先生、この家に来てもらえますか?不束な娘ですが」「はい」「所帯を持ってくれるぞ」「実はお慕い申し上げていました」。真っ赤に頬を染めるお嬢様。「改めて伺います」。表へ出る。

「オイ!オイ!」「お父っあん!」「きつく言ったよな。一度は許した。そのときに何と言った?」「親子でしょ?私の気持ちはわかるでしょ?」「お前の親は近江屋になった。縁も所縁もない」「名付け親じゃないの?」「何て、名前だ?」「私は・・・アレ?エ?何て言いましたっけ?」「俺が知るわけない。てめえは誰だ?」「私は誰なんですかね?」「俺と一緒について来い」。

無理やり連れていかれる。足が独りでに動く。「いいから、黙って歩け!」。暗くて狭い空間に、男は連れ込まれる。「暗いよぉ。真っ暗じゃないかぁ。どこにいるんです?死神さん」。すると、向こう側が段々とが明るくなり、夥しい蝋燭が並ぶ空間が広がる。「この蝋燭は何?」「一本一本が人間の寿命だ」と死神。消えたばかりの蝋燭を指して、「九十三で死んだ婆さんだ。穏やかに死んだ」。「長いのに消えたのもある。寿命は定められているが、たまさか気づかないで死ぬこともある」。「半分くらいの長さで威勢よく燃えている。その人はまだまだ生きる」。「その脇で今にも消えそうなのは、どこかの爺さんかい?」と聞く男に、「お前のだよ」と死神。「だって、初めて会った去年、お前にはまだまだ寿命があると言っていたじゃないか」「その隣に長く燃えている蝋燭があるだろう。近江屋の爺のだ。それが今朝までは、お前の寿命だった。お前が余計なことするから。婿になるために、命を売ったんだ。あっ、間違えた。娘の命と引き換えたんだ」「死ぬのは、近江屋の父?娘?俺?」「誰がいい?」「二人を助けたんだ。今更・・・」「じゃぁ、お前が死ぬか?」「死にたかありませんよ」「仕方ない。娘と引き換えだ」「あのお嬢様は私の嫁。これから面白おかしく暮すんです。助けてください」「お前は誰だ?」「誰かなぁ?面白おかしく暮すんだ。助けてくださいよ」。

死神は「ここに点しかけの蝋燭がある。これをお前にやる。消えそうな蝋燭に移し替えれば、お前の寿命だ。ただし、消えると死ぬぞ」と死神が不気味に囁く。目に汗が入って、なかなか移せない。「生きるんだよ!」「震えているぞ。震えると、消えるぞ」。「その火が点いたら、また俺がお前に名前を付けてやろう。今度は戒名だよ」。すると、背後の死神が息を吹きかけ、蝋燭をフッと消す。「あぁ、消える」。男がその場に倒れてジ・エンド。見事な「新版・死神」は人の命の儚さを見事に表現した名作として後世に残るだろう。