シリーズ【あのときの高座】①立川談春「たちきり」(2010年3月27日)

2010年3月27日。新宿厚生年金会館大ホールの公演から。
落語界のおくりびと、談春師匠は歌舞伎座、大阪フェスティバルホールに続き、収容人数2000人のこの大ホールを昼夜2公演、満席にした。ちなみに、このホールは28日にさだまさし、29日に松山千春が公演して、その幕を閉じたそうだ。師匠自身、このホールには特別な思い入れがあるのだそうだ。

1984年3月27日に、談志師匠に入門し、談春という名前をもらった。17歳だった。一対一でドキドキしていたら、「俺の前で一席演れ」と言われた。「できません」と答えると、「何でもいいいから演ってごらん」と言われ、小さいネタを演ればいいものを、「大山詣り」を演った。「オイ!それは誰のだ?」「志ん朝師匠です」「小さん師匠のは違うんだけどな」。やっていいことと、悪いことがあることを初めて気がついた。どーしよう!10代の頃、落語は9割5分は大好きだった志ん朝師匠で覚えた。トントン拍子でいけば、志ん朝師匠に入門するところだった。ところが、談志35周年の落語会で「芝浜」を聴いて、大逆転した。これで、志ん朝師匠には永久に会えないんだ、と思った。一緒の落語会に出ればいいなんて、到底想像もできなかった。

それが、入門して10年目に突然、志ん朝・小三治二人会に出てほしいというオファーをもらった。その会場が厚生年金だった。平成7年のことだ。師匠・談志は「何でもいいから、やってこい!」と言った。「お前、仲良いの?」とも聞かれた。志ん朝師匠には亡くなるまで、3度楽屋でご一緒している。その5年後、2度目にお会いしたとき、覚えていてくれた。「知っているよ!馴染みだよな!」。憧れの人から、そう言われたときは嬉しかった。3度目は志ん朝師匠自らが呼んでくれた。

厚生年金でやった理由は二つ。一つは、その志ん朝師匠との出会いの場であったこと。そして、もう一つは、落語家として最初にこの会場を使ったのが談志だったということ。この頃の談春は大きなホールでしか演らないと批判的な声もあるだろうが、そんなことはない。成城ホールという小さな小屋で毎月ネタおろしに近い独演会を開いているのは事実だし、この厚生年金で25周年のファイナル独演会をやったのには、そういう理由があったのだ。果たして、この日の「たちきり」は素晴らしかった。やはり、この人の落語を聴かずして、現代の落語を語ってはいけない。

立川談春「粗忽の使者」
立川談春「愛宕山」

立川談春「たちきり」
若旦那の徳三郎は十九歳。極堅い男だったが、芸者だった十七歳の小糸に惚れ、恋仲になった。末は一緒になろうと固く誓ったが、湯水のごとく芸者遊びにうつつをぬかす徳三郎に、両親は心配した。番頭に相談すると、百日の蔵住まいをさせることを提案し、実行する。蔵の中にポツンと置かれた息子のことを思い、母親は辛抱できない。

「番頭や、うちの徳三郎も50日が過ぎたよ。もう、あの子も了見が定まったと思う。身体も強くない。患ってしまうよ。蔵から出しておくれ」。すると、番頭はきつく言う。「若旦那はまだ芸者のことを思い切ってはいません。百日経っても、了見は変わらない」。母親が反発する。「嘘です!お前は意趣返しをしているんだろう!店を持つための嫁を紹介したら、一緒になりたい女がいる、と。それが芸者だった。私達は叱った。子を持つ親の気持ちがどういうものか・・・歳を取って授かった子だから可愛くて仕方がないんだ。お前は縁の薄い子。孤児同然で八百屋が連れてきた。立派な商人に仕込んでくれと。まさか、子が授かるとは・・・。身代はお前に継がせようとした。でも、実の子が生まれると話が違う。暖簾分けするのに、子どもの頃の幼なじみの芸者と一緒になると言う。反対した。それを怨みに思っているのだろう?」。

番頭は冷静に若旦那の話に戻す。「若旦那の了見が変わるから良いのか、変わらないのが良いのかわからないのです。惚れた女が芸者だったんだと啖呵を切った。胸が痛んだ。金で付き合っているんだろうと思った。でも、そうなのか?どうなのか?わからないのです。50日、手紙が一本も途切れないのです。百日続かないとも言い切れない。そう簡単に50日の間、一日に何本も手紙が届くことを軽く受け止められません。もし、百日の間、その芸者の手紙が若旦那に届くようなことがあったら、若旦那に代わって、私がお願いします。その芸者を嫁として迎えてやってくれませんか?」「お前さんは駄目だと諦め切れたのかい?」「女に言われました。悪縁なんだ、と。百日で七夕になります。織姫と彦星が一年に一度の逢瀬をする。カササギという鳥が幾羽も二人を結んでくれるのだそうです。手紙という名のカササギが百羽届いたら、相手の気持ちに嘘はないと思います」「身体だけは間違いがないようにね」。

そして、百日目が来た。「若旦那!」「番頭さんかい?」「きょうが百日目です。よく辛抱なさいました」「大手を振って、蔵から出られるんだね。ちょっと出かけてくるよ。小糸のところへ、一目、顔だけも見たい。百日や二百日で私の了見は変わらないんだ」「いい、悪いじゃないんです。先様はどうでしょう?小糸さんです」「移り気するような女じゃないよ」「実は毎日手紙が届いていました。70日を過ぎても届いていた。このまま百日続いてくれないか、そうしたら私が間に入って夫婦にしようと心に誓っていました。ところが、80日目に朝一本届いて、それっきりでした。所詮、客だ。しゃぶりたいだけ、しゃぶる。見切りだと思えば、掌を返すのか。百日もちませんでした。これが最後の手紙です。残りの手紙も封を切らずに預かっています」。開けてみると、薄墨で大きく「一目」と書いてある。若旦那は居ても立ってもいられず、「心移りしたなら、それでいい。一目会いたいから、行かしておくれ!」。「約束してください。日の暮れには帰ってきてください。ご両親が首を長くして待っておいでです」。番頭の言葉を後にして、若旦那は柳橋に向かう。

「こんにちは!」「どなた?若旦那!」「久しぶりだったね!小糸に一目だけ会いたかったんだ」「女将さん、若旦那がお見えになりました」「通して頂戴」。女将さんが応対に出る。「すまなかったね。色々と訳があって」「ようこそ来てくださいました」「一目だけ。いるんだろ?お座敷?」「小糸ですか?いますよ。もう、どこにもいきません。私の傍を離れません。会いたいですか?おかけになってください。若旦那、小糸はここにいます」。そう言って、女将は仏壇を開ける。「よく見てください。いるでしょう?」。中には白木の位牌。「小糸が死んだ?誰が殺した?」「誰も殺しやしませんよ。死んだんですよ」「いくら患っていても、私を一目見ないで、小糸が死ぬわけないよ!」「若旦那が小糸を殺したと言わなきゃいけないですね。お芝居に行く約束をしていましたよね。前の晩から髪をこしらえて、ずっと起きているって。居眠りなんかしない、若旦那がいたらドキドキするって。着物と帯を出して、これでいいかしら?って。ご飯を食べないんです。若旦那がすぐ来るからって。ここで待っているからって。迎えに来てくれるからって。そのうち、夜になっちゃって、あの子、うなだれて、帯を解いて、着物を脱いだ。若旦那、お見えになるかなぁ?お母さん、私、きっと二度と若旦那に会えない・・・と泣きだした。遣いも便りもなかった。私、どう声をかけていいか、わからなかった」。

女将は続ける。「二階で臥せっていました。馬鹿ですよ、私は怒りなんかしません。声を殺して、忍んで泣いて。朝ごはんも、昼ごはんも要らないって。私、きつく叱りました。いい加減にしなさいと。あなたの商売は芸者でしょ。若旦那は大店の跡取り息子。商人なのよ。そんなことで、メソメソしてどうするの?日が暮れる頃、お辞儀して、叶えてくださいって。手紙を一本だけ書かせてくださいって。一本だけよ、と許した。若旦那は急な仕事で旅へ出たと聞きました。訳があったんだ、もう少ししたら会えるよ、励ましました。どこにいるの?元気でいる?いつ戻るの?手紙が来るわよ。小糸が可哀相だった。朋輩衆の皆が手紙を書いてくれた。50日が過ぎた。満足に夜も寝られない。ものは食べない。声の掛けようがないですよ」。

「八十日目の朝に三味線が届きました。若旦那が誂えてくれた、別誂えの二人の紋が入っている。比翼の紋なのよ、こんなお金のかかる三味線を届ける人がいますか?寝て、食べて、元気になって!若旦那の愛想が尽きますよ。あの子、半分死んだみたいな顔して、嬉しそうに三味線を見ていた。何か言っている。起こして、何?って聞いた。『弾きたい』って。一撥、当てた。どうしたの?そうしたら、あの子、もう、この世のものじゃぁありませんでした。事切れていました」。

若旦那が泣きながら、叫ぶ。「訳があったんだよ!百日の蔵住まいをさせられていたんだ!「わかります。心変わりするような方じゃない」「どうして小糸は信じられなかったんだ。それが悔しくて・・・」「きょうが三七日。あの子が呼んだのかもしれません」。三味線を仏壇の前に置く。「若旦那、一口飲んでください」「酒なんか、飲めないよ」「口も湿さずに帰ったら、小糸に叱られます。一口、どうぞ。三味線がひとりでに鳴っています。待っていたんだもんね。若旦那、小糸は喜んでいますよ。良かったわね。若旦那、おいでくださったわよ。言ってあげてください」。

若旦那が小糸に話しかける。「小糸!芝居がはねたら、夜桜を見に行こうって約束したな。二人で桜を見に行こうな」「若旦那、今は七夕ですよ」「来年、見に行こうな。再来年も、そのまた次の年も、ずっと桜を見に行こうな。俺は女房は持たない。女は傍に寄せ付けない。お前一人だけだよ」「良かったわね」。ここで、女将が意外なことを言う。「若旦那、この家を一歩出たら、小糸のことは綺麗に忘れてください」「忘れられないよ」「忘れなきゃいけないの。人はね、いいことも、悪いことも、忘れなきゃ生きていけないの。この子は大丈夫。私がいます。私はこの子ことだけで生きていく。若旦那はこれから先がある。信じるより、忘れる方が辛いもの。でも、忘れられます。ご両親やお店の方を怨んじゃ駄目ですよ。皆、よかれと思ってやったこと。それが、ちょっとこじれただけ。若旦那と小糸は、そういう定めだったんです。悪縁だったんですよ」。

ここで、三味線の音がプツリと切れる。「母さん!小糸が逝っちゃう!」「何があっても、小糸は三味線を弾きませんよ。仏壇のお線香が丁度、立ち切れました」。こんな胸が締め付けられるような「たちきり」は聴いたことがない。女将の「信じるより忘れる方が辛いこと。でも、忘れなきゃいけないんです」、そして「若旦那と小糸はそういう定めだったんです。悪縁だったんです」という台詞に、熱いものがこみあげてきた。登場人物がすべてが良い人で、美談になりすぎているきらいはあるが、女将の語りは切々と心に響いて、運命の哀しみと切なさを増幅させた。素晴らしい名演が聴けたことに、感謝したい。