宝井琴調「しばられ地蔵」 大岡越前守は犯罪だけでなく、人情を裁く。上司と部下の信頼や親友の存在の有難みを改めて思った。
国立能楽堂で「釈迦と閻魔」を観ました。(2020・11・28)
宝井琴調先生が読む「大岡政談 しばられ地蔵」を聴いて、とても幸せな気持ちになれた。大岡政談は数多くあるが、この講談にはファンタジーを感じた。基本的に講談は史実、ノンフィクションに脚色を加えた読み物だし、大岡政談のほとんどはかなりの脚色が加えられていると言われている。いや、寧ろ、脚色が加わっているからこそ、長い年月を経て、われわれ現代の人間にも愛されているのだと思う。でも、今回の「しばられ地蔵」はとびきりの夢物語で、それが大変に気持ちよかった。
越後屋の荷担ぎ人足・弥五郎は夏の日照りを避けるために一時的に南蔵院の木陰で休息をとった。疲れもあったのか、不覚にも居眠りをしてしまって、目が覚めたときには荷車ごと、白木綿反物500反が盗まれてしまった!
この事件を解決した大岡越前守の裁きは、普通に考えたら狂気である。「南蔵院の守り本尊である地蔵が泥棒の手助けをしたに違いない。召し捕って吟味をいたす!」って(笑)。片腕の同心、池田大助に耳打ちして事が運ぶ。地蔵尊を縛り上げて、荷車で護送し、お白洲の場へ。そして、物言わない地蔵に対し、「お前は白木綿の盗人を知っているであろう。白状せよ」と詮議をする。その狂気に野次馬根性で見物にきた町人たちが笑う。そりゃそうだよね。
だが、これが大岡様と池田大助の間で練られた戦略。奉行の詮議を嘲笑うとは何事だ!笑ったものは残らず召し捕るぞ!ただし。この、「ただし」が肝心。白木綿一反を差し出す者は許す。一人ずつ名前と住所を書かせ、提出させた白木綿は300反を超えた。そして、ここからが戦略の肝だ。集まった白木綿をすべて越後屋に検めさせる。すると!その中に、盗まれた白木綿が2反出てきた!
その提出した2名に、どの店で買ったかを聞き取り、その店がどこから仕入れたかを問うと、同一人物が浮かんだ。くまん蜂の三八という男。この男が盗難の容疑で呼び出されると、あえなく犯罪を自白。三八は三宅島に遠島に。そして、弥五郎の潔白がここに見事に証明されたわけである。すごいね、古畑任三郎か、刑事コロンボか。
この読み物のすごいのは、真犯人を突き止めたことにとどまらないことだ。弥五郎の主人である越後屋左衛門は、弥五郎が白木綿を盗まれたことを報告したとき、「どうせ、博奕で取られたんだろう」と信用せず、十両弁償しろと激しく責めたてた理解のない上司。その罪をも大岡様は裁いて、「奉公人を盗人よばわりするとは何事じゃ」と、白木綿500反を没収したのである。
さらに、大岡様が行き届いていることがある。「十両弁償しろ」と言われ、途方に暮れた弥五郎は大川に身投げしようと歩いていた。そこに友人の善太郎が「どうした?」と声をかけ、事情を訊き出し、金はないけれど何とから弥五郎を助けてやりたいと考えた友達思い。考え抜いたのが、ご法度と言われた「かっこみ願い」。南町奉行の大岡様はお慈悲深いと聞く。何とかしてしてくれるんじゃないか。死ぬか、生きるか、というときに、こういう友人の存在はありがたい。この善太郎の友情を高く評価し、大岡様は白木綿を250反ずつ二人で分けて商売しろと温かい言葉をかける。パーフェクトな裁きだ。
犯罪を裁くだけではなく、人の情けを裁く大岡越前守。上司はもっと部下を信用すべきである。親友という存在は実に有難いものである。この2点において、ファンタジー講談(?)「しばられ地蔵」は僕をとっても幸せな気持ちにさせてくれた。