【俺たちの円楽党】新作落語で見事な表現力を魅せた兼好師匠。五代目圓楽の十八番に独自の工夫の冴えを魅せた萬橘師匠。

なかのゼロ小ホールで「俺たちの円楽党」(昼の部)を観ました。(2020・11・25)

演芸写真の第一人者である橘蓮二さんがプロデュースする演芸会「極」シリーズの第7弾である。円楽党というのは俗称で、現在は「五代目圓楽一門会」というのが正式名称だけれど、その団体の中で今、面白い噺家のツートップとしてほとんどの人が、三遊亭兼好師匠と三遊亭萬橘師匠を挙げるだろう。(異論のある方、ごめんなさい)。

その二人にただ二人会をさせるような蓮二さんではない。それぞれに二席、その中に一席は新作を入れてくださいというオファーである。普段、兼好師匠も萬橘師匠もほとんど新作をかけない、古典主流の噺家なのだが、何度か新作は稀に聴いたことがあり、その新作がまた面白い。そこに目をつけるとは、さすが見巧者の橘蓮二さんである。

この日に萬橘師匠がかけた「マイクタイソン物語」は、8月にオフィスエムズさんの主催の「萬橘SP」で聴いており、そのときにブログで触れているので割愛し、兼好師匠の披露した新作落語「スカイツリー」について書くことにする。ただ、萬橘師匠のもう一席の「浜野矩随」が、素晴らしく、五代目圓楽が得意としたネタでもあるので、これについても書くことにします。

兼好師匠というのは世の中の事象を分析して高座のマクラにする天才だ。だけれども、事象観察だけでなく、人物観察の眼も鋭く、それが古典落語にも生きているのだと思っている。今回披露した「スカイツリー」という新作落語は、太神楽のコンビの物語である。ここで感じたのは、袖から太神楽の芸を実に細かに観察され、それを再現できる能力である。別に傘や茶碗や撥、毬を高座に持ち込むわけではない。言葉と形態模写で、観客にさもそこで太神楽が展開しているかのように表現するのにはビックリした。明らかに情景が見えるのである。

太神楽のコンビ、蛸之助・蛸太郎。先代の蛸太郎の名人芸に憧れて、蛸之助は入門した。先代亡き後、息子の二代目蛸太郎が入門し、コンビを組んだ。カエルの子はカエル。二代目の生まれ持った才能は素晴らしく、撥に毬と茶碗を交互に乗せ、最後に上から庖丁を落とすという先代の至芸「東京タワー」をいとも簡単に習得してしまった。蛸之助ができなかった憧れの芸だ。

さらに二代目はさらに毬と茶碗を高く積み上げてから庖丁を落とす「スカイツリー」を完成させた。あっぱれである。ところが、先日、ミスをして庖丁を客席に落としてしまった。それで高座が怖くなったと怖気づいてしまった蛸太郎。出番のある会の楽屋に現れない。蛸之助が心配するが…。結局はハッピーエンドに終わる人情噺的な要素もある新作だった。おそるべし兼好師匠、である。

萬橘師匠の「浜野矩随」も出色だった。従来の「浜野矩随」に3点の工夫を加えた。

一つ目。矩随が三本足の馬を彫ったのは、居眠りをして気を抜いて一本の足を切り落としてしまったが、これでも一分で買い取って貰えると思っているところに慢心があり、だからいつまでも下手なんだというのが従来の型。ところが萬橘型は・・・名人の父親も三本足の馬を彫った。だが、これは走り抜ける馬の躍動感を出すために、あえてそうしたのだと若狭屋は諭す。で、それをお前がただ真似してもそこに魂はこもっていない。自分の馬を彫ったことにならないのだと怒る。自分のオリジナルができない職人はダメだと罵倒したのだ。

二つ目。「死んでもいいから形見に観音様を彫ってくれ」と母親が言うが、萬橘型では、先代の父親は観音様の信仰心が大変篤い人で、それゆえに観音様だけは彫らなかったという設定にした。そこをあえて、息子に彫ってくれと頼む母親は、「自分のオリジナルを作れ」というメッセージをこめていたのではないか、ということが推測される。

三つ目。矩随の彫った観音様を見た若狭屋は、その出来の良さにビックリし、経緯を訊くと、母親と水盃を交わして家を出たことがわかる。慌てて戻ると、すでに母親は自害して、絶命していた。ここの部分を残酷だと、後味が悪いと言って、母親は寸でのところで助かったというハッピーエンドにする演者が最近は多いが、萬橘はそこをあえて母親は死んだものにした。その方が、母親の覚悟、息子に名人として開花してほしいという切実な願いが強調される。

というわけで、「俺たちの円楽党」という看板に偽りなしの兼好・萬橘二人会だった。この二人は落語協会とも、落語芸術協会とも親交が深いので、いい意味で刺激となり、落語界の将来を活性化する大きな存在になるはずだ。