【玉川太福 男はつらいよ葛飾立志編】この浪曲は古典でもあり、新作でもある。人間味を唸る醍醐味がそこにある。

日本橋社会教育会館で「玉川太福 男はつらいよ 全作浪曲化に挑戦」を観ました。(2020・11・17)

山田洋次が描く「人間っぽさ」は、そのまま浪曲師・玉川太福の人間味に通じるところがある。その人間味は普段の暮らしから滲み出るものだと思うのだが、それが自分の浪曲に自然と浮きあがってくるのが太福浪曲の魅力なのではないかと勝手に思い込んでいる。

瀧川鯉八、春風亭昇々、立川吉笑と組んだ創作話芸ユニット「ソーゾーシー」は人気を呼び、コロナ禍にも負けずに全国ツアーを展開している。そこで創作される太福さんの新作浪曲は「地べたの二人」を代表とする日常の何気ない人間の風景を描いた可笑しみが魅力で、特段奇を衒ったところがないのが受けている理由だと思う。

そして、忘れてならないのは玉川太福はけして新作派ではなく、古典との両刀遣いだということだ。浪曲の代名詞のようになっている「清水次郎長伝」や、玉川のお家芸である「天保水滸伝」といった連続物は勿論、一話完結の人物伝でも良い味わいを出している。そして、そこにも太福特有の人間味あふれる人情が流れている。

「男はつらいよ」の全作を浪曲化しようと考えたのは、それらが合体した理由によるものではないか。もちろん、2時間弱の映画を40分弱の浪曲にするのは、創作であるのだが、ゼロから発想する新作浪曲とは違う。そこかしこに古典の匂いがするような気がする。元々、浪曲は講談を基に浪曲作家が浪曲にしたものが多い。古典といっても、明治に入ってからの芸能なので、新作の匂いがする。

そういう古典とか新作とかという概念を取っ払って、人情を節と啖呵に乗せた話芸が浪曲。そう考えると、「男はつらいよ」の全作浪曲化に取り組む玉川太福という男は、浪曲の将来をずっと先まで見通している浪曲師とはいえまいか。そんなことを考えた。

今回は昭和50年12月公開の第16作「葛飾立志編」である。山形から上京し、寅さんを訪ねにきた最上順子(桜田淳子)は、去年母親おゆきが亡くなったことを伝えにやってきた。実は寅さんは毎年正月になるとこの母子家庭に「娘の学費の足しにしてくれ」と送金をしていたという。一文無しになって困り果てていた、赤ん坊を背負ったおゆきを助けてあげた命の恩人、ということをちっともお首に出さない寅さんの美学がなんともかっこいい。そして、順子に「困ったときは、また訪ねてくるんだよ」と声をかけ、見送る。その後、寅さんは何も言わずに山形へ向かい、おゆきさんが葬られた墓参りに。墓前で一人静かに花を供える人情。寺の住職(大滝秀治)が「おゆきさんは学問がないばかりに男に騙され、母子家庭になってしまった。その愚かを知っている人間は愚かではない」と諭されるのがいい。

御前様(笠智衆)の親戚で、東大で考古学の助手をしている礼子(樫山文枝)がとらやの二階に居候することになるが、ここで寅さんが学問に目覚めるのがいい。礼子に惚れたという不純な動機はあるけれど、山形の住職から「学問がないふがいなさ」も教わっているから、寅さんの一途な思いは否定できないだろう。人は何のために勉強するのか。何のために生きているのか。それは己を知るためである。人間は考える葦である。礼子に家庭教師をしてもらえる毎週水曜日夜7時半からの時間は幸せだったろう。

そして今回の重要人物は礼子の恩師・田所教授(小林桂樹)だろう。彼は礼子が教え子でありながら、彼女に恋をしてしまう。学問はできても、恋愛の方はからっきしダメ。だから、寅さんが逆転して、田所教授に恋のレッスンをするというのが可笑しい。いい女だなあ、イカシているなあ、長く一緒にいたいなあ、幸せにしたいと思う、この人のためなら死んでもいい。これが恋だよと。

一念発起した田所教授が原稿用紙に礼子に宛てた詩を送るのが堪らない。「愛する君よ、私の心は慰められ、悲しみは消えてしまうのだ」。礼子へのプロポーズ。だが、礼子はそれを読んで元気を失くしてしまう。寅さんとの家庭教師の時間も断ってしまう。そして、受話器を持つ礼子がいた。「先生、すみません。結婚はできません」。

ああ、人間ってなんて複雑な生き物なんだろう。礼子が落ち込み、田所が落ち込み、寅さんまでも落ち込んだ。「もう少し、俺に学問があったらなあ。何もできない」。正月を迎えたとらやでは、さくらから注いでもらったお屠蘇を礼子が飲む。その頃、三重・津の空の下には寅さんと田所の傷心男の旅が続く。振られた男二人の気持ちにシンパシーを感じる浪曲だった。