【柳家三三 三夜 三道楽】飲む、打つ、買うは男の甲斐性。でもね、ほどほどがよろしいようで。

あうるすぽっとで「柳家三三 三夜 三道楽」を観ました。(2020・10・28~30)

この会のチラシのボディコピーにこう書いてある。

飲む、打つ、買うは男の甲斐性、江戸の粋などと申します。柳家三三が三夜続けてお届けする江戸三昧は、今ではすっかり影をひそめてしまったがゆえに憧れる「飲む、打つ、買う」をテーマにした噺をそれぞれ一席ずつ、一夜で3席お届けします。

丁半博奕は違法だし、吉原はなくなってしまったし、せいぜい、酒を飲みながら、馬券を買ったり、パチンコをしたりするのが現代の道楽とするならば、僕らはある種の「憧れ」をもって落語を聴いているのかもしれない。僕は酒は弱くて嗜む程度だし、パチンコや競馬、競輪の類もめったにやらない。ご婦人は好きだが、お金で買うことはない。噺の中の任侠の世界に生きる男伊達は、宵越しの金は持たずにガラポンやって、酒をグイッとあおり、こっちから口説かなくても女性にもてる。カッコイイ。やはり、憧れなのだなあ。

というわけで、三夜通いました。

第一夜

「ずっこけ」

酔漢・川柳師匠に落語協会夏の寄合の帰りに飲みに誘われた思い出をマクラに。この噺の主人公(?)の酔っ払いに川柳師匠を重ね合わせて聴いてしまった。徳利が並んでいる瀬戸物屋を居酒屋と間違え、交番を赤いランプが目印のバーだと言い張る泥酔状態。寅兄ぃが背負って帰ると、どてらだけ担いで、本人は「ずっこけていた」なんて、落語だなぁと愉しくなる。

「清水の小政」

講釈ネタからの移植だけど、喬太郎師匠の「小政の生い立ち」と微妙に違う。ガキたちの博奕ごっこ、とは言っても、きちんと茶店の婆さんにサイコロを振る壺代わりの湯呑みとゴザの借り賃は払っているのがすごいが、その博奕ごっこの胴を取っているのが政吉で、しっかり者だ。そこへ酔っ払いのゴロツキが邪魔しにきて、子供を脅していくらか掠めようとするが、額が足りないと因縁をつけると、政吉はこんなゴロツキはとっちめた方がいいと、天秤棒で叩く。そこに仲裁に入ったのが、旅路の次郎長と石松という設定。

政吉が父親亡き後、病気の母親のために明神様に願掛けし、魚の行商をするので、奉行から青差し五貫文を戴く孝行息子だということもわかり、ますます感心する次郎長。子分になって任侠の世界に入り、母親を安心させたいという政吉を、堅気で暮らすよう勧めるが。最終的には、清水を訪ねた政吉は子分にしてもらい、大きな働きをすることになる、清水港の小政と畏れられる存在になる出世譚の序開きを軽妙に聴かせてくれた。

「文違い」

三三師匠が小学校2年生のときに「落語って面白い」と思ったきっかけの噺だけに思い入れも深いのだと思う。カギを握る人物が何人も出てきて、優しくしたり、騙したり、人間の裏表を巧みに表現しなければならない噺だが、自由自在に演じ分けるのはさすが。主演男優賞は芳次郎だろうが、出番は少ない。主演女優賞はお杉だが、半ちゃんは助演男優賞以上の役割を果たしている。田舎から出てきた角造にも助演男優賞をあげたい。そんな男女を思うようにしてしまう小筆は、噺に実際には登場せず、手紙の文面だけだが、すごいと思う。そして、このトリックの二重三重の構造こそが、廓の人間模様であり、魅力なのかも。

第二夜

「狸賽」

人なのか狸だろうか月朧。秋の暮れ仏に化けし狸かな。サイに化けてくれと言われ、女房に化けてしまう狸、可愛い。妻(さい)じゃない!サイコロの賽!

「明烏」

三三師匠のこの噺で好きなのは、母親が吉原に行く時次郎に渡す「武運長久」のお守り。これを、翌朝に浦里花魁といちゃつく時次郎が、もてなかった源兵衛に渡そうとするところ、めちゃくちゃ可笑しい。「お巫女の館」の「巫女取締り」が、御榊を持って「かしこみ、かしこみ」と神道もどきをやるのも楽しい。時次郎にここが吉原だとバレたときの開き直った源兵衛の台詞、「そうです。ここが世に言う吉原の女郎屋です」というのもいいなあ。

「試し酒」

下戸の三三師匠が、よくまあ、大酒飲みを演じるなあと感心する。清蔵の一杯目、息もつかずに一気に飲み干す。夢中で味もわからない。二杯目、味わって。いい酒だから、酒の塊が口の中に身投げしているようだと。丹波の酒呑童子が親戚という冗談も。三杯目、冗談も。酒を注ぐ女中を綺麗と褒めて、「酒の上の戯言だ」。酒をこしらえた唐土の儀狄が帝に二度と作るな、酒は国を亡ぼすと言ったという蘊蓄も。

四杯目、都々逸も。お酒飲む人、花なら蕾、きょうも酒、酒、あすも酒。酒は米の水、水戸様は丸に水、意見する奴は向こう見ず。五杯目、ここからが勝負、早いところカタつけると言って一息で飲む迫力。

第三夜

「錦の袈裟」

女郎買いに行きたいと面と向かって言う与太郎に対する女房の愛情が素敵。「春の陽だまりみたいな笑顔」を見ちゃうと、許せちゃうのかな。手前どもの親類の狐に娘が付きました。この後のやりとりがイカしてる。「お寺しくじったら、亡くなったお父様に面目ないよ」「でも、セガレの供養に行くわけだし」(笑)。

「親子酒」

前日の「試し酒」でも書いたが、下戸の三三師匠の酔っ払いの演技力抜群。普段、スイーツばっかり食べているのに、何でだろう?と考えた。きっと、お酒の宴は出ているから、多種多様な酔っ払いの生態をよく観察しているんだろうね。壁塗り上戸、鶏上戸、そして薬上戸は絶品でした。

「猫定」

回向院の猫塚の由来は諸説あるそうだが、この噺は因果因縁がハッキリしていて、怪談噺というより、因縁噺と言った方がいいかも。博奕打ちの定吉が悪党ではなくて、寧ろ被害者で、女房おたきと密通をしていた男を定吉に代わって仇討ちした猫の「熊」の恐ろしさが共感を呼ぶ。よくやった!と。熊さんは見ていた、猫だと侮ることなかれと。

居酒屋の三河屋から引き取ったドラ猫だけど、定吉は子供がいないこともあって、可愛がった。そして何より、壺の中の目が判って、定吉に都合よく鳴き声で教えてくれるのだから、その可愛がりようは益々。大きな図体から「熊」と名付けて、それこそ猫可愛がりして、情も通じていたのだろう。

定吉の旅の間に、深い仲になったおたきと間男は、まさかこの「熊」が情事を見ていて主人を裏切っているなんて思っているとは思わなかったんだろう。そこで終わっておけばよかったのに、ついには定吉が邪魔になるほど深い仲になり、殺害まで考えるとは恐ろしい。

定吉を殺害後に、「熊さん」は間男の喉を食いちぎり、続いて自宅で待機していたおたきの喉も食いちぎる。これは幽霊より怖ろしい。そして、並んだ夫婦の棺桶から二人とも立ち上がり、睨み合いをするあたりの描写も怖ろしい。

となると、博奕にのめり込むのも良くないが、間男がエスカレートする方がよっぽど怖いということだね。よっぼど、吉原で女郎を買って遊んだ方がいいってことでもあるのか。

酒もほどほど、女もほどほど、ギャンブルもほどほど。それは現代社会にも言えることかもしれませんな。