【三遊亭粋歌と春風亭正太郎】ネタ交換は音ではなく、台本で。古典は新作にフィードバックし、新作は古典にフィードバックする。
江戸東京博物館小ホールで「第2回三遊亭粋歌・春風亭正太郎ひざふに二人会」を開催しました。(2020・10・31)
第1回をお江戸日本橋亭で開催したのが7月30日。あれから3カ月経ち、寄席やホール落語の人数制限も徐々に緩和されつつも、まだまだこのコロナ禍は予断を許さない状況である。
粋歌さんがコロナ自粛期間中に創作した落語「新しい生活」を初めて聴いたとき、まさに私たちが求められているニューノーマルという今の暮らしの写し絵のように感じた。
9月下旬に開催された二ツ目による「珍品掘り起しの会」で正太郎さんが披露した「めだか」は先代正蔵師匠が手掛けた文芸モノで、父と子の情愛にホロリとさせられた。
二人とも、来年3月の真打昇進に向けて一歩一歩、着実に前進している姿がとても眩しい。この日も「真逆」という宿題に対して、実に愉しい高座で応えてくれて、嬉しかった。
粋歌さんが正太郎さんから「雛鍔」を習い、正太郎さんが粋歌作品の「当たり屋本舗」を演じた。事前のネタ交換は、音ではなく、どちらも台本だったそうだ。音で聴いてしまうとその演者のイメージが強くなり、新しい演者の個性が生きなくなってしまう、という考えからだそうで、これは実際の高座を拝聴し、なるほど合点がいった。「他人の落語」を「自分の落語」にする作業こそ、面白い落語を構築していくうえで、大事であり、それは古典も新作も変わりはないのだと思った。
前日に四谷区民ホールで開催された、噺「舞台 落語のラララ~真琴つばさ&さん喬・粋歌~」について語った粋歌さんのマクラも興味深かった。元宝塚トップスターの真琴さんが「転宅」と「死神」の二席を、さん喬師匠から習い、演じたそうだが、当初は一席の予定だったそうだ。ところが、“芸熱心”な元タカラジェンヌは、稽古をつけてもらっているうちに、どんどん落語に興味を持ち、のみりこみ、昼夜で二席ずつ演じることになったとか。
その高座を観た粋歌さんは、「さすが元トップスター!演じている!」と驚愕したそうだ。特に、死神のサゲで倒れるところ、女優だ!と思ったと。落語というジャンルを超えて、エンターテインメントの一つの括りとして捉えると、これが実に面白い!よく落語通の人で「俳優さんが演るのは『落語』じゃないから」と食わず嫌いの人がいるが、『落語』と捉えるのではなく、エンターテインメントとして捉えると、それはもう上質な高座だったと。僕も、アーカイブ配信で観たが、粋歌さんのおっしゃる通りだった。まだ、アーカイブ配信は続いているので、ご興味のある方は是非!
春風亭正太郎「権兵衛狸」
前日まで末廣亭の師匠・正朝主任興行10日間の食いつきを務めた。そこで出来なかったネタを、と。権兵衛!と言って戸を叩く狸からチャーミングで、悪戯モノの狸を懲らしめるのにも愛情があって好きだ。罰として毛を刈ってしまうところの仕草も愛くるしい。サゲは正太郎さんが敬愛する家元のリスペクト。
三遊亭粋歌「雛鍔」
番頭さんが訪ねるのではなく、旦那が謝罪にくるバージョン。僕はこちらの型が好きだ。旦那と植木屋が互いに思いやっている気持ちが伝わってくる。その後、羊羹を茶菓子に出せと女房に細かく指示を出す亭主のところ、それから金坊が戻ってきて穴開き銭を見つめながら白々しく「お雛様の刀の鍔かなぁ」と言うところ、粋歌さんのキャラクターが生きた表現で面白かった。
林家彦三「染色(そめいろ)」
二代目圓歌→林家正雀師匠と伝わるネタ。紺屋の若旦那が遊郭遊びが過ぎて勘当され、花魁を身請けして所帯をもったが、その元花魁の女房は若旦那を裏切って借金を残して家出してしまう。世を儚んだ若旦那は橋から身投げするのだが。助けられた船に乗っていた男に一部始終を芝居台詞で語るところ、前回の勉強会「やっちゃう?!」のネタおろしのときよりも格段に進歩していた。
三遊亭粋歌「すぶや」
開口一番、「何年ぶりかの古典ネタおろし。私には新作がある!と、荷がおりました」。でも、真打になっても古典のネタは増やしていきたいと。「古典一席が、新作の何席分にもフィードバックしますから」。このネタは何度聴いても笑えるね。東京に住むと狐に取りつかれると言っていたのに、もう!それだけ、東京は魅力的な町だし、いつまでも憧れの首都であってほしいと思う。
春風亭正太郎「当たり屋本舗」
自分が噺家になる前に塾の講師をしていたアルバイト経験をマクラに、30歳を超えても定職に就かずキャバクラ通いにうつつを抜かす息子と80歳を超えても運転免許返納を拒みパチンコ屋通いをやめないおじいちゃんの両方に悩まされる母の気持ちに共感する人も多いのでは。「当たり屋」ならではの古典のクスグリを入れたり、オリジナルのアレンジ満載で、サゲまで変えちゃった正太郎さん。また、聴きたいです!