一龍斎貞寿「赤穂義士伝」 殿中刃傷から討ち入りまでの1年10ヶ月を見事な構成で読む。その講談への愛に感動。
上野広小路亭で「寿会 一龍斎貞寿独演会」を観ました。(2020・10・23)
貞寿先生は講談を愛する講談師である。どこに講談を愛していない講談師があろうか、とお叱りを受けそうだが、その「愛」の熱量が物凄いのである。「シャクフシハナシ」という公演が代官山にあるライブハウスで、喬太郎(落語)奈々福(浪曲)貞寿(講談)という構成で定期的に開かれているが、三人とも自分の分野の芸を愛するのと同等に、他の二つの話芸も敬愛している魅力的な組み合わせだ。
僕はそこで、真打昇進直前の一龍斎貞寿という講談師を知り、その高座の熱量に圧倒された。もはや男も女も関係ないという令和の時代だが、元々は武士の芸であった講談、男の美学である講釈が、女流が「女を意識しない読み物」を読むことに、聴き手がなんの抵抗もなく受け入れる時代になったと思う。素晴らしいことだ。ましてや一龍斎のお家芸である義士伝は主君の仇討という男のドラマである。その義士伝を聴き手に共感を持って聴かせることのできる女流講談師が今ここにいることを再認識できたことを喜んだ。
プログラムから本人の挨拶を抜粋する。
「独参湯」という薬湯をご存じでしょうか。江戸時代の薬で、万病に効く起死回生のきつけ薬のことです。なんにでも良く効くところから、転じて、歌舞伎の世界では、常に大当たりをとる人気作品の事を「独参湯」と例えられるようになったそうです。その代表的な作品が、「仮名手本忠臣蔵」…赤穂義士伝です。すでに天明のころには、「忠臣蔵の狂言、いつとても大当たりならぬ事なき」といわれ、忠臣蔵はどんな不況な時でも大当たりをする「芝居の独参湯」と例えられる様になりました。
いま、このコロナ禍において、演芸界は一変しました。お客様の前で高座に上がる、という当たり前のことが出来なくなりました。こんなこと、だれが想像したでしょうか。恐る恐る日常を取り戻すべく動き始めても、いままでのように、「ぜひ来てください!」と声高に言うことすら憚られる中、自主公演を行うことは賢いことではないかもしれません。でも、いまだからこそ。「忠臣蔵がやりたい」そう、思いました。
赤穂義士伝は、一龍斎のお家芸であり、私自身が講談師を志すようになったきっかけでもあります。こんな時代だからこそ、赤穂義士伝を読ませていただきます。(中略)講談を、演芸を、心置きなく楽しめる日が一日も早く戻りますよう。「独参湯」に願いをこめて。本日はご来場誠にありがとうございます。
一龍斎貞寿
赤穂義士伝「殿中刃傷」~「岡野金右衛門 恋の絵図面」~「南部坂 雪の別れ」
元禄14年3月14日の松の廊下の刃傷から、翌15年12月14日の討ち入り本懐までの1年10カ月のドラマを、義士とそれを支える女性の姿にスポットをあてた長講は、まさに貞寿先生の巧みな構成力と演出力によって、男も女も関係なく、心にグッと迫る読み物であった。
殿中刃傷は、京からの客人をもてなす役目の浅野内匠頭と、その指導役である吉良上野介との遺恨から生まれたものだが、その遺恨は何だったのか?は明らかではないと貞寿先生はハッキリと言って、浅野の妻・阿久里への横恋慕とか、赤穂の特産の塩の利権だとか、饗応役指導料の支払い問題だとか、諸説あるとガイドするのが導入としてわかりやすい。じりじりと意地の悪い吉良に対する堪忍袋の緒が切れた浅野の気持ちが伝わってきたし、それを止めようとする梶川与惣兵衛の姿も目に見えた。本来は喧嘩両成敗であるところ、吉良には一切のお咎めがなく、浅野家だけがお家断絶、内匠頭は切腹というのも合点がいかないのもよくわかる。さぞ、無念であったろうと。
その主君の無念を晴らそうと仇討をする家来は少なく、分配金をもらって赤穂を去っていく武士がほとんどだった中、漢気のある四十七士のみが1年10カ月という時間をかけて仇討本懐を遂げるべく、密かに着々と準備を進めていた、その執念たるや、いかばかりかと思う。その例を岡野金右衛門にとって絵図面奪取のエピソードで表した貞寿先生のアイデアが良い。
神崎与五郎らと酒店を開き、その奉公人として身分を隠していた九十郎こと金右衛門の不器用だけれど一所懸命なところが心惹かれる。上杉家に女中奉公していた、おつやという、歳は17、8の娘が九十郎に惚れていることに目をつけた神崎が岡野にモーションをかけるように命じるが。これが不器用ゆえに、逆におつやが好感を持ち、おつやの方から夫婦約束を取り付けるのだから、世の中はわからない。
おつやの叔父さんが大工で、吉良邸の絵図面を持っているわけだが、それを外に持ち出すのは大工仲間のご法度、当然、おつやの願いは叶わない。だが、惚れた弱みというか、この場合は強みといった方がいいのか、おつやは九十郎に好かれたい一心で絵図面を盗み出してしまうのだから、すごいよね。でかした、といわんばかりに神崎らは、その絵図面を映し取り、仇討のリーダーである大石内蔵助の手に渡るわけだ。それで大石東下りを決断するのだから、絵図面を盗んだおつやはすごい。
ここからが「南部坂」パートになるわけだが、ここも忠臣蔵ドラマに女あり。瑤泉院、出家した浅野の奥方・阿久里の元へ大石が訪ねる場面も、何事も慎重に、隠密裏におこなっている大石の用心深さとそれゆえの苦悩が滲む。瑤泉院は当然仇討ちをしてくれるものだと思っているが、大石は警戒に警戒をし、偽りの「暇乞い」をするのだから。浪々の暮らしに疲れ、山科に籠る。その前の江戸見物だと嘘をつくわけだ。
そんな「裏切り者」大石に瑤泉院も、戸田局も怒り、「二度と会いたくない」というが。紅梅という吉良サイドのスパイが潜んでいたわけで、そこまでを読んでいた大石の思慮深さに感服する。紅梅が盗もうとした、大石から瑤泉院に渡された一巻の書き付け。それは討ち入りを誓った義士たちの血判状だったわけで、その前日に瑤泉院を訪ねた大石の思いや、いかばかりか。女というものは、かくもさもしきものであろうか、許してくだされ、内蔵助。
一方、討ち入りがあるとの情報を得たおつやの叔父さんは、絵図面を早く九十郎に渡して来い、吉良の屋敷は人に知られぬ仕掛けが沢山してある、と言うが。すでに「その絵図面は見せました」と、おつやが答えると、「よく見せた!」と褒める。ここでもう一度「金右衛門 恋の絵図面」に戻る、貞寿先生の演出が光る。そして、おつやは本当は討ち入り前の九十郎に会いたいのだが、大事な時ゆえ邪魔をしてはいけないと配慮する。おお!叔父さんも「立派な武士の妻だ」。
太鼓をドーンと鳴らして、これだけで「討ち入り成功」を表現し、翌日に転換する演出も素晴らしい。寺坂吉右衛門が瑤泉院のところに昨夜の様子を伝えにくる描写が素晴らしい。昨夜の次第を物語る件は貞寿先生の流れるような読みに酔った。そして、瑤泉院は浅野の位牌を抱き、泣きはらしたという場面で終わった。
素晴らしい赤穂義士伝をありがとうございました。
ちなみにこの公演は「ツイキャス」配信で26日から観られるそうです。