大相撲秋場所開幕 谷風、雷電、双葉山、そして一本刀土俵入り。相撲浪曲に酔いしれた。

お江戸日本橋亭で「浪曲日本橋亭」を観ました。(2020・09・09)

「相撲の演題~恒例浪曲日本橋亭九月場所~」と題した公演、13日に初日を迎えた大相撲も楽しみだが、こうやって相撲にちなんだ演題ばかりを聴くのはとても楽しかった。江戸時代の谷風や雷電から昭和の名横綱・双葉山、さらには歌舞伎でも有名な「一本刀土俵入り」まで、すっかり堪能しました。

「双葉山」東家三可子/馬越ノリ子

定次は幼少時代に友だちの吹き矢で右目を失明、9歳のときに母親を亡くした。だが、父親の踏ん張りで3人の子どもを育てた。「左目が見えれば上等だ」という意気が凄い。15歳のときには父の手伝いの船の仕事で右小指を失ってしまう。だが、5尺8寸で20貫の身体で父は相撲取りにさえたいと思い、定次も「横綱になる!」。大分巡業に来た立浪部屋に、双川警部の口利きで入門が決まる。警部の苗字の「双」でもあり、「栴檀は双葉より芳しい」からとって双葉山と名付けられた。良い四股名である。

昭和5年幕下、6年十両、7年入幕。トントン拍子の出世。10年初場所を小結で迎えたが、初の負け越し。悔しい。それ以上に悔しがったのは父親だ。「右手小指さえあったら…。勘弁してくれ。船でお前を働かせなかったら。みんな、俺がなせる罪」と男泣き。だが、双葉山は答える。「見ていてくれよ、父さんよ。明日から10倍、20倍、人より多く稽古する」。

次の場所には三役に復帰。11年春場所、男女川を破り、夏場所は関脇になり、玉錦も破る。69連勝のはじまりだ。12年に大関昇進、13年に35代横綱、双葉山誕生。晴れの姿の土俵入りに、父も喜びひとしお。14年夏場所に安芸ノ海に敗れて70連勝ならず。20年初場所、引退。45歳で理事長となり、2期務め、56歳で死去。誉れは高き、双葉山の物語!

「雷電 小田原情け相撲」東家一太郎/東家実

谷風親方とその弟子雷電の一行は6年ぶりに小田原で3日間の勧進相撲興行。初日、二日目と飛び入りの素人相撲、相模灘岩五郎がプロの力士を負かして活躍し、脚光を浴びる。このままだと面目丸つぶれだ。宿の伊勢源では、あす千秋楽の相手を誰にするか、を話し合っている。不知火や柏戸などが名乗りをあげるが…柱にもたれて雷電は居眠りして、知らん顔。

そこに宿屋の番頭が子供連れの女性を連れてくる。ボロを着た、身なりの汚い客だが、「どうしてもお目にかかりたい」というので通した。伊豆の下田からわざわざやってきた母子は「谷風に会いたかった。亭主の仇を討ってほしい」と頼む。その理由とは…去年秋の鎮守祭の素人相撲は東大関が亭主の八蔵、西大関が相模灘岩五郎だった。結びの一番、相撲は八蔵が優勢で岩五郎を土俵際まで追い込んだが、禁じ手である逆手を岩五郎が使い、行司が不案内なのをいいことに勝利を手にした。八蔵はこれが元で床に伏せ、死んでしまった。ずっと亭主の仇討ちをしたいと思っていたら、小田原場所に傲慢な岩五郎が出ていると聞いた。金を工面して江戸の力士に意趣返しをお願いしたいと下田を出た。ところが、相模灘岩五郎は二連勝。死んで恨みを晴らそうと、我が子に言い含め身投げをしようとしたところを、旅の人に止められたと。

「死んで花実が咲くものか。谷風関は情け深いと噂に聞く。頼んでごらん」と言われ、やってきたと。これを聞いた、雷電は泣き出した。「あすの相手はワシを立ててください。素人相撲が馬鹿馬鹿しいと、寝たふりをして聞いてたが、母子の願いをかなえたい」。女房おさわはの苦労を思い、谷風も心打たれた。雷電は谷風と兄弟の契りを交わし、「この男を弟と思ってください」。谷風は盆に10両を載せ、ほかの関取衆も併せて5両を載せ、おさわの前に差し出す。「故郷下田で相撲を見られない人も多いだろう。早く帰って、仲良く暮らしなさい」。

雷電はうがい手水に身を清め、必勝祈願の支度を整え、翌日の取り組みに臨む。結びの一番、雷電vs相模灘。歓声とともに、立ち合い、右四つ。「お前の力はこれだけか。素人さんがお前のおかげで迷惑するんだ」と心に思った雷電は相模灘の両腕をカンヌキに極め、ポキポキと圧し折り、土俵の下に投げ飛ばした。おさわと子どもは、その技と力に手を合わせ、下田に帰った。後に黒髪を切ったおさわは亭主の八蔵の墓参りをした。なんという、イイ話!

「人情佐野山」花渡家ちとせ/馬越ノリ子

日本橋の米問屋、上州屋の息子だった力士、佐野山は店が潰れるは、父親は死ぬは不運続きで貧乏暮らし。負け続け、貧乏長屋の佐野山と陰でいわれる有り様だ。しかし、伊勢屋のお嬢様のおゆきは昔から佐野山に恋心を抱き、いまもそれは変わっていない。おゆきの父親は「娘を騙して金を貰おうとしている」とか、「悔しかったら谷風の足元くらいに寄ってみろ、意気地なし」と罵声を浴びせ、情け知らずだ。

ブルブルと身体を震わせ、黙って見送る佐野山の胸の血潮は逆流。足腰の立たない母親が布団から這い出して、「繁之助、堪えておくれ」。貧乏と看病で負け続けるのは当然だが、昔は上州屋が伊勢屋の面倒をみたこともあり、この冷たい態度には、納得がいかない。佐野山も「世の中というものがわかった。浮世は土俵と同じ。勝ちたい!」と男泣きする。だが、伊勢屋主人、金兵衛の本当の気持ちは違った…。

人気力士の谷風の前に手をついて金兵衛は「佐野山をなんとかしたい。元の強い佐野山に戻したい。我が子のようにかわいい」と頭をさげる。横綱・谷風は「わかった」と言って、筋書きを立てる。「憎まれ者を買ってでた金兵衛さん、きょうの苦しみは喜びに変えるようにしましょう。そして、お嬢さんにも笑ってもらおう」。強いばかりではなく、人情に厚い谷風梶之助である。弟子を集めて、佐野山の家に行かせる。帰らないで、泊まり込みで母親の看病をしろ、と命じる。

そして、佐野山は谷風にきっちりと稽古をつけてもらう。さらに、谷風は年寄の雷権太夫を訪ねる。一方、佐野山は猛稽古を重ね、力みなぎる。そして、迎えた初日、金兵衛とおゆきは相撲見物。佐野山の対戦相手は、なんと谷風!ちょうど時間となりました~。あぁ、続きが気になる!というか、これまでの講談「谷風の情け相撲」や落語「佐野山」のイメージを払拭する一席だった。

「一本刀土俵入り」玉川こう福/東家実

「取的さん!こっち向いておくれ」。我孫子屋の二階から宿場女郎のお蔦が声をかける。ヨタヨタある歩きの茂兵衛は、空腹だ。「親方から見込みがないと、追い出された」。姉御肌のお蔦は酔って、手櫛をかきあげる色気もある。「関取のなりそこないかい。国へ帰ればいいじゃないか」「嫌だ、俺は関取になるんだ。国へは帰っても親も兄弟もいない。独りぼっちなんだ。親戚も薄情。一生懸命、稽古して出世して、故郷に錦を飾って、親戚に土下座させるんだ」。

上州瀬田郡駒形村広瀬川。両親の前で横綱土俵入りを見せてやりたい。親孝行を涙ながらに物語る茂兵衛の思いが、お蔦の胸にグッと迫る。お蔦は帯に挟んであった金包みを出す。「あちきは黙っていられない気性なんだ」と、巾着を渡す。「なにか、食べな」「姐さんは困りはしないか。じゃぁ、半分もらう」「横綱になるんだよ。しっかりね、取的さん」。さらに櫛と簪を投げる。「持っておいき!」。泣いている。茂兵衛も男泣き。「優しい人がいるもんだ」と拝む。「横綱の卵が泣きべそは似合わない」とお蔦が言うと、名前は駒形茂兵衛、越中八尾の生まれだと明かし、「もう一度、部屋を志願し、きっと土俵入りをみてもらう」と誓う。見送るお蔦の目に熱い涙。

11年が経った。茂兵衛は久しぶりに常陸の国、取手宿へ。お蔦はイカサマ博奕で追っ手に追われる夫の辰三郎と再会する。そこへ、お蔦を探し歩いた駒形茂兵衛が現れる。「その節はお世話になりました。10年間、御礼を言おうと思っていたが、やってと探し当てた。相撲はモノになり損ないました」。そう言って、茂兵衛は金包みを「ご恩返しだ、納めてください」。そして、「あっしにお任せください。あとのことは引き受けました」。お蔦と辰三郎を逃がし、追っ手を棒きれでバッタバッタと倒して人の山をつくる茂兵衛。「思い出した!茂兵衛さん!」「お行きなさい。お達者で!」。そして、満開の八重桜の下、しがない一本刀土俵入り。芝居の情景が浮かぶ高座だった。