前略 天野祐吉さま 世の中を斜めから見てあぶりだすユーモア精神。先生に少しでも近づくよう努力します

天野祐吉さんは46歳のとき、博報堂から独立して「広告批評」を創刊した。1979年のことである。糸井重里のキャッチコピー「不思議、大好き。」(82年)「おいしい生活」(83年)がヒットし、仲畑貴志、川崎徹なども活躍して、コピーライターブームが起きる少し前のことである。「広告批評」は2009年の休刊まで30年間刊行され、天野祐吉さんは2013年に他界した。

この秋になると、僕は天野さんのことを思い出す。不思議なご縁だ。僕が就職した88年の秋、僕は初任地の名古屋にいた。一人暮らしのアパートに一本の電話がかかってきた。「一緒に仕事をしませんか?」。え!?天野さんは僕が4月から放送局に就職したことをご存じだったし、何かアルバイト的なことをやってれないか、ということかと思った。よくよく聞いてみると、そうではなくて、「広告批評」の編集部に来ないか、ということであった。僕自身、揺れた。初任ではニュース報道という現場に配属され、バラエティー番組などを制作したいと思って入局したのに、「話が違う」と悩んでいる時期だった。

その頃は修行期間で、色々なことを経験することが、いつか自分のめざすクリエイティブにつながる(結局、それは夢物語だったのだが)、何事も経験だと腹をくくって歯を食いしばり働いていた時期だったので、天野さんには丁重にお断りをした。もうひとつ、お断りをした理由は、「安定したところに就職して安心した両親を心配させたくない」ということだった。それは後年、僕がノイローゼとなり親に心配をかけてしまったので、若干の後悔をしている。まぁ、それは言っても詮無いことだが。

天野さんと出会ったのは、大学4年のやはり秋。晩秋だったか。あるカルチャーセンターで、天野さんが「広告的文章の書き方」という講座を持ってて、就職が決まったあとに、余暇を楽しむために受講した。天野さんは84年から毎週、朝日新聞に「私のCMウォッチング」というコラムを連載していて、僕はその連載のファンだった。あの軽妙な落語のマクラみたいな文章が好きだった。よく真似して、書いたりしていた。マスコミの就職試験には必ず作文があるので、それは役立ちもしたし、得意な方だった。だから、天野さんの講座では優等生で、懇意にしてくれたというのもある。

僕は足立区千住の生まれ育ちだが、天野さんも千住生まれと知った。また、父親と同じ昭和8年生まれというのも、なんという奇遇。落語も好きだという。そんなに沢山おしゃべりしたわけではないが、生意気な言い方をすれば、気に入ってもらえていたのだと思う。

名古屋時代の3年目に東海地方ローカルの45分のバラエティー番組「とうかい発見伝」制作のチャンスをもらったときは、「江戸時代に名古屋に日本一の貸本屋があった!」というテーマで、当時の料理本「豆腐百珍」や大衆小説「南総里見八犬伝」、春画を集めたエッチな本まで面白おかしく紹介して、江戸の風俗を考察する番組に仕立てた。そのときに、スタジオコメンテーターに天野祐吉さんをお招きした。快く引き受けてくれた。

それから随分して、東京でラジオ番組を担当するようになってから、「ラジオなぞかけ問答」を担当した。今は廃止されてしまったが、10年以上、毎日続いた投稿コーナーで、毎月の優秀賞を決める師範を4人の方に月番制でお願いしていた。落語家の古今亭志ん輔師匠、講談師の神田紅先生、コラムニストの泉麻人さん、そして天野祐吉さんだ。ここでも、天野さんには大変お世話になった。いつもユーモアにあふれた人、それも世間をちょっと斜めから眺めると面白い!という視点が僕は大好きだった。この「なぞかけ問答」が廃止になって暫くして、天野のさんの訃報に接した。「広告批評」の二代目編集長の島森路子さんの後を追うように天国に逝ってしまった。

今年の春に退職して、好きな演芸に少しずつ携わる仕事をはじめた。まだまだ、ひよっこなので、毎日が勉強。その中で、大学生の頃から好きだった天野祐吉先生の世の中を斜めからユーモラスに斬る精神は忘れずにいたいと思っている。師弟でもないのに一方的に先生と呼ぶ無礼をお許しください。いま、先生は僕のことをどんな気持ちで天国から見ているのだろう。

最後に、僕が就職して間もない88年5月号の「広告批評」に掲載された僕の文章を紹介して終わりたい。当時の時代が見えますよ。

ワコールにラブコール

近頃の女性のオシャレはタダモノではない。何がスゴイって、ブラジャーのデザインや色まで「その日の気分で選ぶ」時代なのだ。ヤル気マンマンの月曜日、何かありそな花金アフター5、なんて女性の胸の内を曜日別に一つ一つ見せてくれるワコールのCMに、こちらの胸もドキドキ!

今日まで一連のワコールのCMは、我々のブラジャーに対する意識革命ではなかったか。フトントホックブラの利便性やら形状記憶合金ワイヤーの仕組みまで知らされて、男たちのブラジャーコンプレックスは一掃。

それまでとかく日陰の身だったブラジャーを、ネクタイやブラウス同様、欠かせぬファッションに育て、その社会的地位の向上に貢献。ワコールは「女の時代」の影の立役者かもしれぬ。

それにしてもあのCM、エレベーターの中で上司に、「きょう、何曜日だっけ?」と尋ねられたOLのビックリした表情を見て、「もしや、ノーブラ?」と変な期待をしてしまうのは僕だけだろうか。

足立区 矢部義徳 23歳 会社員