TOKYO-FM「Blue Ocean」 住吉美紀の「こっちへ歩んでみようよ」と導く声が聞こえてきた

月曜日から金曜日の午前9時から11時まで、僕はTOKYO-FMの「Blue Ocean」を聴いている。今年の3月いっぱいまで、「すっぴん!」(ラジオ第一)を担当してライバル番組だったのだが、その番組も廃止となり、僕も退職したので、切り替えた。

パーソナリティーの住吉美紀さんのおしゃべりが好きだ。親しみのある男女隔てなく愛されるキャラクターが前面に出ていて、昔、この時間を担当されていた坂上みきさんの頃にも僕は聴いていたが、その親しみやすさはよく似ているような気がする。

特に「銀座美人」は大好きなコーナーで、さまざまな銀座のお店のスタッフの方に、住吉さんが事前にロケに行って収録したインタビューを5日に分けて放送しているが、取材相手への接し方がとても温かい。

「オトナのなんでも相談室」も好きで、リスナーのお悩みに彼女が自分の人生経験からのアドバイスが真剣で、持ち前の姉御キャラが生きている。彼女の真骨頂だ。さらに素敵なのは他のリスナーからのアドバイスをきちんと拾っている姿。そこに共感を覚える。

住吉さん、住吉さんと何度も書くのも他人行儀なので、「すみキチ」と書かせていただくことをお許しください。僕が最初に一緒に仕事をしたのは彼女が新人アナウンサーだったNHK福島放送局時代、BSハイビジョン「相馬野馬追」の完全生中継でリポートしてもらった。その後、2000年のミレニアムカウントダウン世界一周の総合演出をしたときに、彼女はロンドンからの中継を担当した。

そして、2004年には公開生放送「日曜スタジオパーク」で住吉&高市佳明アナウンサーのコンビと一緒に1年間番組を制作した。福島時代から「すみキチ」と呼ばれ、その気取らないキャラクターでスタッフから愛されると同時に、何度も彼女の機転に助けられたことか。いやぁ、そのときのすみキチと「Blue Ocean」のすみキチは、いい意味で変わっていないんだよなぁ。

で、僕が4月から新しい生活をスタートさせて、「Blue Ocean」を本格的に聴き始めたと思ったら、すみキチは新型コロナウイルスに感染してしまった。とっても、心配した。ひたすら回復を祈った。果たして見事に完治して、5月末に番組に復帰したときは自分のことのように嬉しかった。

入院中のブログがすみキチの人柄を表している。「すみきちブログ」から5月1日の「コロナ記」と題した文章を抜粋します。

みなさま、大変ご心配をおかけしております。温かいメッセージなども多数いただき、本当にありがとうございます。考えたり、文章を書いたりする力が漸く少し戻ってきました。まだ入院していますが、平熱や微熱まで熱が下がってきました。こうして落ち着いた今思い返しても、「まさか自分が新型コロナに感染するなんて」という驚きは変わりません。

そもそもは4月15日水曜朝、BlueOcean の生放送前に(ちなみに、番組はちょうどこの日から、自宅からのリモート生放送に切り替えていました)準備をしていたら、コンコンという小さな空咳がちょこっと出始めた、というのが始まりでした。のど飴を舐めれば普段だと治まるような小さな咳払いが、なんとなくずっとある。しかし息苦しさや大げさな咳はない。ふむ。翌日、少し熱っぽさを感じて熱を測ると、37.2度ありました。「いや、これは今週きっと仕事のストレスが強いせいだ」など、違うと信じたい気持ちでいっぱいでした。

そして、金曜朝。38.2度まで上がっていました。あーこれは間違いないなと、自分で確信。とりあえず生放送に穴を空けまいとそのまま自宅リモート放送に臨み、放送が終わったところでスタッフに発熱した旨伝えるのが精一杯。あとは寝込みました。そこから一気に熱は上がり、その日のうちに39度。その後39~40度が1週間続きました。体か精神かどちらかが壊れてしまうかもと思った夜もありました。さらに途中からは強い胃のムカつきがあり、吐き気と格闘しながら食事をとったり、頭痛にも耐えたり。こんなに激しく、そして長くウィルスと戦ったのは、生まれて初めてです。

入院は、高熱3日目に差し掛かり、アレルギー性の喘息もあり心配と周りの方からの強いアドバイスに押され、這うようにして夜間救急に行ったことがきっかけ。いま思えば本当にあのとき入院できてよかった。あそこでもしも入院していなかったらと思うと…正直、ゾッとします。間違いなく、life changing event。まだわからないけれど、もう元には戻れない、人生観も変わりそうです。

そして、この度お世話になった医療関係者の方々には、心から、心から感謝いたします。的確な処置はもちろん、「大丈夫」という絶妙なタイミングでの強い励ましや、看護師チームのみなさんの明るい話し声や優しいお声掛けにどれだけ人は救われるのか、まさに、心身に染み入りました。ここに心より敬意と感謝を表したいと思います。

このウィルスはスルっと入り込んできます。私自身、神経質なくらい気をつけていましたが、それでも、職場など最低限と思われる接触でも感染してしまうこともあるんだということを実感しています。そして一度感染、発症すると長いです。どうぞ、みなさま他人事と思わず、自分事として、接触を減らすこと、免疫力が下がらないよう心身ともに健康的な生活をすることを今は大切にされてください。

私はまだもう少し戦わねば、体力も落ちて、今まともな声も出ません。しかし、自分の体はほんとにがんばってくれた。そして、きょうも病室から見える街路樹の緑と青空が綺麗です。嗚呼、生きてるって、素晴らしい!以上、抜粋。

緊急事態宣言が解除されてからも、感染者数はまだまだ収束という言葉を使うことのできない状況。都内の寄席や劇場はコロナ感染予防策を徹底しておこなう必要があり、しばらくはこういう日常を来年以降も覚悟しなければならないだろう。そういうときに、このようなすみキチのメッセージを読むと、改めて気が引き締まる思いだ。

すみキチは2011年にNHKを退職したが、その2年前に「自分へのごほうび」を幻冬舎から刊行している。そこに、勇気をもらったメッセージがあるので、抜粋したい。

中学からの友人トモちゃんは、ライフワークのために、中米のホンジュラスに住むことを決めた。(中略)わたしは彼女の生き方が好きだ。自分の“calling”、つまり「召命」に従って生きているからである。

この先何をしていくかを決断するとき、人はまず不安を回避しようとする。例えば、暮らすための収入を安定確保する、社会信用を得てそれを失わないようにする、ひとりでは心もとないので何かしらの組織やコミュニティに属しておく、歳とともに当然のように生活を安定させていくなど、条件を固め、「枠」をつくるのだ。そのあと、枠の中でいかに自分の召命に近いことができるかを探る。

しかし、トモちゃんはそういうことをすっ飛ばして、とにかく召命に従い、条件はあとから調整する。半年間収入がなくなる恐れがあっても、それを受け入れて行動してきた。しかも、必死の形相でやている感じがしない。しなやかに実行しているのだ。

誰にでもちゃんと“calling”ってあるんじゃないかと思う。些細なことから大きな人生の決断まで、いろんなレベルで。耳をちゃんと澄ませば、腹の底というか、胸の中というか、己の奥深くから、「こっちへ歩んでみようよ」と導く声がすると思うのだ。以上、住吉美紀著「自分へのごほうび」(幻冬舎)より抜粋。

腹の底、胸の中、己の奥深くからの「こっちへ歩んでみようよ」という声に導かれるように、僕はいま、一歩一歩確かめるように踏みしめながら前へ進んでいる。すみキチのカラカラという陽気な笑い声に後押しされながら。ありがとう!