立川吉笑 時代の波を読み、新しい落語のスタイルを模索し続ける。落語にスタンダードなんてない!
HatenaBLOGで「立川吉笑ひとり会」(2020・07・04&08・01)を観ました。
立川吉笑さんは表参道で毎月第一土曜日の昼に「ひとり会」と称したご自分の主催の独演会を開いている。このコロナ禍で中断していたが、7月、8月は開催し、ご自分がブログ用に使っているHatenaBLOGでアーカイブを残し、料金を払った人にだけ期間限定で見られるようにした。YouTubeやら、ツイキャスやら、movieやら、peatixやら・・・。デジタルに疎い僕は、落語の配信があるたびに色々なツールを使って配信をしている噺家さん、それをバックアップしているスタッフの方々はすごいなぁと思う。そんな中、吉笑さんのようにHatenaBLOGを使って映像と音声の配信までやっている人はめずらしいのでは。(僕が知らないだけだったら、ごめんなさい)
そして、吉笑さんのすごいのは、おそらく、ほとんどを自力でやっているということだ。元々、そちらの方面に詳しい方であることは存じていたが、7月分については収録の途中でバッテリーが切れてしまい、音声のみに最後の高座の途中から切り替わったが、音声だけでも収録できていて良かった。そりゃあ、多くの優秀な技術スタッフや性能の良い機材があれば、良い配信はできる。だけど、それができるのは人気があって、財力がある一部の噺家さんに限られる。著名な芸人さんだって、全面的なボランティアでやっているわけでないから、寄付を求めたり、「投げ銭」というようなシステムを導入している。
若くて才能がある噺家さんが順調に成長していただくためにも、演芸ファンは、こういう吉笑さんのような試みを応援していきたいと思う。もちろん、魅力的なコンテンツあっての配信だけれど、カメラは一台、それも据え置きで十分だ。問題は音声で、これはクリアに収音するマイクをお使いいただきたい。音声がクリアであってこその話芸。だから、ナマ配信にこだわる必要はないと僕は考える。むしろ、安定した映像と音声を供給することに心を砕いてほしい。
コンテンツが面白くて、映像と音声が許容範囲だったら、2000円から3000円の価格帯で僕はその落語会を観たいと思う。時間の都合があるから、ある程度のアーカイブ期間はほしい。あと、無料ではなく課金をしてほしい。コロナ禍以前に木戸銭を払って、行きたい落語会に行っていたのと同じ感覚だ。もちろん、演芸を知らない人に、その魅力をしってほしいという思いをもって取り組んでいる芸人さんの素晴らしさは評価してやまないが、それもどこかで境界線を引かないと、マスメディアと同じ運命をたどる。コンプライアンスの問題も出てくるだろう。コロナ禍から5カ月経った時点で、配信について思うことをちょっと脱線して書きました。
7月の吉笑
立川吉笑「大根屋騒動」
消費者のブランド信仰、煽り広告による動向、ネーミングの消費行動へ影響の妙。吉笑さんの落語はそれをさりげなく、しかも江戸を舞台に描き出す。練馬大根か、亀戸大根か、はたまた大藏大根か。大根の前に「伝統」をつけたら、どうなるか。「おいしい」をつけても動くのか。で、結局は「普通」が一番?
立川吉笑「前前前世」
人間は自分の「前世」を知りたくなる動物なのかな。それがエスカレートすると、その前、その前と知りたくなる。八五郎と熊五郎の因縁対決にそれを反映させた。織田信長と明智光秀、蘇我入鹿と中大兄皇子、ベッソスとダイオレス3世…。時代は紀元前330年、アケメネス朝にまで遡っちゃう!
立川吉笑「明晰夢」
寄席に行った八五郎は高座で展開する落語の登場人物の行動と一緒。またその人物が寄席に行き・・・。これはマトリョーシカ落語か。結局、自分という存在は落語の登場人物なのか!落語を聴いている俺は確かに俺だけど、その落語に出てくる俺はだれなのか?「粗忽長屋」にも似た哲学。
8月の吉笑
立川吉笑「告白コース」
自分の両親が学生結婚をクラウドファンディングで実現したことを知った息子の衝撃。面白い!とSNS上でバズって、世界中に反響があり、3億円が集まった。そのリターンを遂行するために、息子は駆け落ちや結婚式の日時まで決められていて、結婚式に参列する権利、親戚になる権利、さらには余興で「てんとう虫のサンバ」を唄う権利まで。「ソーゾーシー」の企画開発担当らしい発想!
立川吉笑「くじ悲喜」
くじの擬人化を通して、人間は自分かどれくらいの人物なのか知りたい動物なんだというメッセージが伝わる。くじ自身が自分が何等賞なのか、めくって知りたいという願望。「ティッシュペーパー」だったときの落ち込み。「ティファニー」だったときの喜び。それが一体何になるのか!?という。
立川吉笑「くら」(仮)
火事で店が焼けてしまって悲しむ主人。だが、万事心得て、瞬間的に主人思いの判断と行動をした番頭。売上金や奉公人の給金、大切にしていた掛け軸、子息の思い出の品。だけど、肝心要なものを忘れていて…。人生は用意周到なんて有り得ないと教えてくれる。
立川吉笑「約百物語」
目標を達成することは大事だけど、目標のための目標であっては無意味であり、無理やり、その目標を達成しても意味がない。自動車販売店のセールスマンが書面上だけ売ったことにして、ノルマを達成し、販売実績をあげ、それが「新古車」として市場に出回る不合理にちょっと似てるな、と思った。コジつけはよくないよ。建前なんかいらない。本音で生きよう。