三遊亭粋歌 「圓朝に挑む!」12年の歴史に、新作落語で新風を吹かせた!

国立演芸場で「圓朝に挑む!」を観ました。(2020・08・29)

圓朝の作品を取り上げる企画「圓朝に挑む!」は、2009年にスタートし、今回で12回目を迎えた。基本的に、圓朝作品を演じる会だが、この会に第1回からほぼ出演している圓太郎師匠が、「そろそろ縛りを緩くして、堅苦しくないものにしよう」と考え、今回を迎えたそうだ。

三遊亭 圓朝(1839-1900)

幕末から明治に活躍した落語家で三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として言われている。敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。二葉亭四迷が「浮雲」を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした。お墓のある谷中・全生庵では毎年、命日である8月11日に奉納落語を含めた圓朝忌がおこなわれる。

以下、第1回からの演者と演目を列記する。

2009年2月28日「大仏餅」柳亭左龍「名人長二」隅田川馬石「文七元結」入船亭扇好「闇夜の指」橘家圓太郎

2010年2月27日「死神」橘家圓太郎「青の別れ」入船亭扇好「鰍沢」隅田川馬石「朝友」柳亭左龍

2010年8月29日「三番蔵」入船亭扇辰「黄金餅」三遊亭圓馬「操競女学校」橘家圓太郎「心眼」春風亭柳橋

2012年3月24日「両手に花」春風亭柳橋「お札はがし」入船亭扇好「お峰殺し」三遊亭圓馬「双蝶々」隅田川馬石

2013年3月23日「にゅう」柳亭こみち「塩原多助一代記 戸田の屋敷」桂米福「やんま久次」蜃気楼龍玉「因果塚の由来」橘家圓太郎

2014年3月21日「茗荷宿屋」柳亭左龍「粟田口霑笛竹」橘家圓太郎「宗悦殺し」鈴々舎馬るこ「雨夜の引窓」春風亭百栄

2015年3月21日「お若伊之助」隅田川馬石「算段の平兵衛」橘家圓太郎「畳水練」柳家三語楼「札所の霊験」蜃気楼龍玉

2016年2月17日「怪談阿三の森」橘家圓太郎「政談月の鏡」金原亭馬治「松と藤 芸妓の替紋」古今亭志ん丸「霧隠伊香保湯煙」三遊亭圓馬

2017年2月4日「西洋の丁稚と日本の小僧」柳家わさび「お札はがし」三遊亭天どん「お峰殺し」隅田川馬石「おかめ団子」橘家圓太郎

2018年2月24日「下女の恋」林家彦丸「豊志賀の死」橘家圓太郎「霧隠伊香保湯煙 後編」三遊亭圓馬「怪談乳房榎 龍の腕」三遊亭萬窓

2019年6月30日「英国孝子ジョージ・スミス伝」金原亭馬治「鰍沢」橘家圓太郎「月岡芳年」田辺銀冶「心眼」古今亭文菊

そして、今回のネタは以下の通り。

「八景隅田川」金原亭馬治「応挙の幽霊」柳亭こみち「今も昔も」三遊亭粋歌「操競女学校」橘家圓太郎

圓太郎師匠がおっしゃっていた通り、こみち師匠は圓朝忌が行われる全生庵に所蔵されている円山応挙の幽霊画にちなむ噺だが圓朝作品ではないし、もっと画期的だったのは、粋歌さんが新作落語「今も昔も」とチケット発売時に発表されていて、果たしてどのような新作落語になるのか?とても楽しみだったが、現代を描きながらも、圓朝に寄り添った非常に優れた作品で、さすが新作落語の旗手だと脱帽した。

まず、圓朝作品二題。

「八景隅田川 発端~おあき旅立ち」金原亭馬治

幕末、天狗党の乱の時分。金満家、島田清左衛門の向島の寮に押し込んだ泥棒は軍用金に千両箱3つを盗み、娘のお秋を「一晩借りる」。慰み者になってしまったお秋は泣いてばかりで痩せ細り、具合は悪くなるばかり。女中のお雪が心を開くよう、自分の経験を語る。昔、d屋敷奉公していたときに白須権太夫に言い寄られ、不首尾をしてしまった。以来、屋敷を出て給金のようなものを届けてもらっている。お秋さんも、打ち明けてくれれば、どうにか工面すると。

お秋は言う。一度、身を任せた「あの方」にどうしても会いたい。泥棒のことだ。お雪は白須に相談する。すると、眉に大きな黒子があることから、「お尋ね者の重四郎ではないか。剣術の朋輩だったが、主人をしくじり、流山に隠れているという噂がある」という。引き合わせる算段をするから300両用意して、一生にここを出ようという。白須、お雪、お秋の三人。どっぷりと日が暮れた。お嬢様、お疲れでしょうと、白須はお秋をおぶう。だが、古井戸に放りこんでしまう。「さぁ、行こう!」と、白須はお雪の手を取り、「300両あれば、夫婦仲良く暮らせる」。だが、お雪はきっぱり断る。すると、白須はお雪も刀で斬って、井戸の中へ。そのまま随徳寺。村人が二人を発見して、野辺の送りを済ませた。

井戸の中には怨念が残る。「オーイ」と声がする。流山近郊の百姓二人が通ると、「生きております・・・うらめしい」。女の情念。死んだはずのお秋はどっこい生きていた!引き揚げ、医者に見せ、薬を飲ませ、全快。お秋は三度笠姿で巡礼の旅へ。憎っくき重四郎と白須権太夫を捜す旅・・・。

「操競女学校~お里の伝」橘家圓太郎

麹町に住む300石を取る将軍家の御小納戸番・永井源助は人望も厚く、剣術に優れ新陰流の道場も持っていた。讃岐丸亀の村瀬東馬は永井道場に毎日通い、親交があった。そして、村瀬の友人、関根元右衛門の姪、お里16歳を奉公させ、剣術指南してほしいと願い出た。お里はよく働き、頭も良く、剣術もめきめきと上達した。3年を過ぎた時には武芸に秀で、裁縫や料理もでき、器量もいい。

元禄15年12月15日。読売が出て赤穂浪士の討ち入りがあって、敵討ちの本懐が達せられたという。それを聞いてお里はホロリと涙を流した。永井源助はお里から話を聞くと・・・。父は尼崎幸右衛門。上役の岩淵伝内が母に言い寄り、父が不在のときに母を手籠めにしようとしたが、父が帰宅。母は『夫の敵』と岩淵伝内を追って脇差しを投げ打ち左肩にキズを負わせた。しかし、父は刀の柄に手を付けられず、「武士の恥」と尼崎の家は没収、その秋に母も亡くなった。その時「男の子なら仇討ちも出来るのに…」と言い遺した。9歳の時、その話を聞き、ここで稽古をしていた。理由を訊いた永井はそれなら教え方が違うと、さらに真剣な稽古をして、翌春に免許皆伝になった。

岩淵伝内は江戸旗本屋敷にいる事が分かったので、身元引受人・勘蔵の紹介でお里を江戸へ偵察に行かせる。お里は3年の間に75軒屋敷を替えた。75軒目は本所割下水でご進物お取り役・坂部安兵衛屋敷。殿様と使用人として小泉文助とお滝婆が切り盛りしていた。正月の七草の行事も終わって酒好きの文助に充分に呑んで良いとの殿様からのお言葉で酌人にお里を付けた。わしの女房にならんかと文助は酔った勢いでお里を口説く。

お前に似た女に恋をした。今から19年前、亭主が出掛けたのを幸いに、女に強引に迫ったが、亭主が帰ってきた。あとのことは、お里が母から聞いていたことと一致。国元を聞くと、讃岐丸亀京極備中守の藩中で働いていたという。文助の本当の名は岩淵伝内!もろ肌脱いで傷口を見せた。お里は悔しさがこみ上げてきたが、永井から敵に巡り会っても絶対手出しをしてはいけないと、言いつかっていた。岩淵伝内は今井田流の使い手だから、わしが助太刀をするからと、強く言われていた。翌朝、お暇をいただいて永井の元に走った。直ぐに永井、村瀬から京極備中守の殿様に話が届いた。殿様は召し捕れと言い、坂部安兵衛の了承を受け召し捕り、京極備中守上屋敷において殿様御前で仇討ちとなった。そして、岩渕伝内とお里の勝負は、お里の見事な勝利。殿も小膝を叩いて感心。200石を加増、230石になり、尼崎家は再興となったという。

最後に。

「今も昔も」三遊亭粋歌

妻がアパートの大家さんに訊かれる。「旦那さん、大丈夫?」。亭主が昨夜、ベロベロに酔って、アパートの前で倒れ、植木鉢を割ってしまったのだ。タクシーにアパートの前で乗り、ここが自宅だと言って、初乗り運賃を払うかどうかで運転手とトラブル。まるで「替り目」だ。朝食もハムエッグが出ると、「これで一杯飲める!」。会社でもトラブルメーカーで、ゲームのプログラム企画を担当していて、「酒さえ飲まなければ、世界的ヒットメーカーになれるのに」と言われている。

大家さんが「うちの亭主も大トラだったのよ」。でも、ある作戦によって25年前に変わった。ある本を手に取った。三遊亭粋歌著「三遊亭園朝『芝浜』に学ぶ 男の戯言は全部夢にしておけ」(笑)。内容は愚痴の羅列でためにならなかったが、「芝浜」を独力で調べた。そして、あることを思いついた。名付けて「芝浜作戦」!

酔っぱらって帰宅したときに、宝くじ2億円が当たった!と嘘をつく。すると、夫は飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。寿司、鰻、天ぷら、酒・・・。そして、翌朝に「仕事に行かないの?」。え!?と言う夫に、矢継ぎ早に「夢よ!夢を見たのよ!」。それだと不安だったので、不動産屋をやっている弟に電話させて、「昨夜、電話してきた駅前の土地、もう契約しておいたから。アパート建てて経営するからって、言っていたやつ、仮予約のお客さんを強引にキャンセルさせたから」。これで、夫は必死になってローン返済のために毎日働いた。そして、ローンは返済。悠々自適のマンション経営!

コロナ明け、大家さんと久しぶりに会って聞かれる。「どうだった?芝浜作戦は」。

ベロベロで帰ってきた夫に、宝くじ2億円当たったと嘘ついたら、「ヤッター!」と叫んだ。そして、スマホに向かって色々調べ始めた。そのあと、あちこちに電話。栄養ドリンク飲んで、パソコンの一心不乱に長時間向かい、3時間くらい寝て、ご飯食べて、風呂入って、またパソコンに向かって、また3時間寝て、を繰り返し。2週間14日目に、パソコンのエンターキーを押して、「終わった」とつぶやいて、机にパタンと突っ伏した。「何が終わったの?」「夢だよ、夢」「え?」「ありがとう、夢がかなったよ。これまで会社に不満持っていたんだ。面白い企画書書いても、時期尚早とか、予算がない、とか却下され続けていた。それが、好きなものを自由に作れるチャンスと思い、会社辞めて、知り合いのクリエーターと連絡とって、実現したよ。なんだかなんだで、制作費1億5千万かかったけど。大丈夫だよな?」って。

私は2億当たったことが夢、と言い聞かせたら、「夢、だったのか」と本当に倒れてしまい、病院で3日間眠り続けた。その間、社長に連絡したら、「退職届は保留にしてある」、ゲームの話したら、「企画書、見せてくれ」。それで、「1億5千万は会社でなんとかするから、このゲームはうちで発売させてくれ」ということになり、それがステイホームで流行った「集まれ仏像の森」というオンラインゲーム。ワイドショーで特集され、世界中の大ヒットになった。

そのことを夫に報告すると、「そんなの夢だよ」と言って信じない。以来、疑い深くなってしまい、社長賞を受賞したことも「夢だ、夢」。そのうち、自分の都合に合わせて夢にする癖がついちゃって。外国製のゲーム勝った領収書も「夢だよ」、10万円のはずれ馬券も「夢だよ、夢」。私の方が煙に巻かれちゃって、酒はやめたけど、夫はかえって悪化しているんじゃないか。社長からは「集まれ仏像の森2」を作ってくれと言われているが。

「そろそろ、あれは嘘だったと言ったら?」という大家さんに、「でも、不安なんですよね。タイミングが難しい。『集まれ仏像の森2』ができるまで待とうかなと。しばらく様子を見ます。芝浜作戦だけに、延長(えんちょう)します」。

12年の歴史ある「圓朝に挑む!」の歴史に、新作落語で新風を吹かせた粋歌さんに拍手を送りたいです。そして、これは創作落語の新しいページとして残っていくのではないかとすら思います。だって、圓朝師匠だって、当時は新作落語で名を馳せた名人だったのですから。