落語と講談と浪曲 三つの話芸は持ちつ持たれつ、刺激しあって進化する。同じ演目を聴き比べるのも愉しいね!

晴れたら空に豆まいてで「シャクフシハナシ」を観ました。(2020・08・27)

柳家喬太郎師匠のプロデュースで4年前から続いているこのシリーズは、浪曲の玉川奈々福先生、講談の一龍斎貞寿先生を迎えて、三つの話芸を楽しんでもらおうという企画だ。シャク=講談、フシ=浪曲、ハナシ=落語。この3つは非常に密接に絡み合った話芸だ。講談が基になって落語や浪曲になったり、落語を講談や浪曲にしたり、それがまた、その芸の特徴や本質もあるのだろうか、脚色するとまた違った味わいの構成、演出、はたまた全くストーリーが違う方向にいくことすらある。僕も落語との付き合いは40年以上あるが、講談や浪曲に関しては勉強を始めて10年未満のひよっこなので、「え!」と思うことが多い。ようやく今年から時間の余裕ができたので、色々な講談や浪曲を聴くようになった。

面白い。兎に角、面白い。講談は一番ネタが多いし、連続モノも多い。それを一番歴史が新しい浪曲が、脚色している作品は数多くあって、でも戦前戦後の全盛期は他の二つの話芸より人気を圧倒していたから、え?主流は講談なんだ!というのものゾロゾロ。特に作家の方が脚色しているので、どちらが本家かわからなくなってしまうことも。広沢虎造が有名にした「清水次郎長伝」だって、講談ですから。もちろん「天保水滸伝」だって。

落語で「中村仲蔵」をずっと聴いてきたが、基は講談だし、浪曲にも「仲蔵」はあるが、皆、違う。「井戸の茶碗」しかり、「柳田格之進」しかり。談志師匠が講談好きだったから「慶安太平記」や「人情八百屋」「妲己のお百」などを高座にかけたしね。逆に、圓朝作品は落語から講談に移植されている。「牡丹燈籠」しかり、「真景累ヶ淵」しかり、「乳房榎」しかり。あ、怪談が多いか。

古い時代だけではない。三遊亭白鳥作品である「任侠流れの豚次伝」は、講談だと神田鯉栄先生、一龍斎貞寿先生も読んでいる。浪曲の玉川太福さんは、三遊亭円丈作「悲しみは埼玉に向けて」や白鳥作「豆腐屋ジョニー」なども浪曲にしている。こういう分け隔てがないのが、話芸のいいところではないでしょうか。

で、この日の貞寿先生と奈々福先生の二つの高座について、そのあたり含め書きます。

一龍斎貞寿「亀甲縞大売出し」

伊賀上野の城主・藤堂高敏は足軽の杉立治平を寵愛した。唯一の特産である綿が大変な不作の年、高敏は家来を集め、財政を立て直す良い策は何かないか、身分の上下関係なく意見を募る。ここで杉立は、綿ではなく織物として、松坂木綿に対抗して売り出したらどうかと提案。織物30万反が織り上げられ、亀甲縞と名付けられた。

この織物をまず大坂から売ることに。同僚の野口太兵衛とこれをいくらで売るべきか考える。品としては1反15匁以上で売って遜色のない物である。まずは野口が大坂・心斎橋の袴屋九衛門の店へと出向いて1反を12匁5分で買ってくれるよう求めるが、番頭は9匁5分でしか買い取れないと言う。藤堂家へ帰ってこのことを報告すると、杉立は家から100両という金を貰って、今度は自ら先の心斎橋の店を訪問する。良い品なのになぜ9匁5分でしか買ってもらえないのか尋ねると、買い手がどのくらいいるかで決まるものだと教えられる。

さぁ30万反という織物をどうしよう。杉立は考えながら立ち寄った茶屋で、二代目市川白猿團十郎の芝居が町では評判になっていることを知る。杉立は成田屋・二代目団十郎の元を訪れる。成田屋に事情を話すと、「任せろ」と言う.さて翌日の芝居は大入り満員である。芸妓連中が客席で揃いの亀甲縞の浴衣で総見、ほかの客の目を引く。さらに、二幕目「雲流清左衛門」で、舞台に上がった成田屋が途中でパラリと上衣を脱ぐと、その下に身に着けてるのは芸妓たちと同じ亀甲縞。客席一同驚きの声を上げる。客席が静まると、成田屋はこの亀甲縞を是非買い求めて下さいと宣伝の口上を述べる。

芝居が終わってどこであの亀甲縞を買えるのかと騒ぎになり、心斎橋・袴屋九衛門の店へと人々が押し寄せる。驚いた店の番頭はすぐに杉立の元に駕籠を飛ばし、亀甲縞10万反を注文するが、杉立は1反17匁5分でないと売れないと言う。「モノは買い手がつけば、その値がつく」。さらに残りの20万反は24匁5分で売れた。こうして莫大な利益を得、藤堂家の財政は危急を逃れた。その後、杉立は家老にまで昇りつめた。

先日、奈々福先生の浪曲「亀甲縞の由来」を聴いたばかりだったので、よりストーリーの面白さを噛みしめることができた。登場人物の固有名詞や反物の値段の若干の差などはあるが骨格はほぼ同じだった。浪花節は節でうなる部分も多いので、ストーリーをシンプルにしているが、講談は噺に説得力と信憑性を持たせるために、より具体的に情景や心情を描く演出を施しているのがわかる。面白い。

玉川奈々福「ライト兄弟」

これは小佐田定雄先生の作品を奈々福さんが脚色したもので、小佐田先生にとっても初めての浪曲台本であり、8月1日に木馬亭の「おはよう浪曲会」でネタおろしされた作品だ。僕自身はネタおろしには立ち会えなかったが、8月19日のらくごカフェ「奈々福・太福姉弟会」で聴き、今回が2回目だった。晴れ豆さんがライブハウスということもあったし、奈々福さんがさらに手を入れて面白いものにしていることもあるのか、いやはや傑作だった。

オーヴィル・ライトは叔父さんのジョーンズに汽車の中で出会う。20世紀の発明と言えば?というオーヴィルの問いに、ジョーンズは、ステーブンソンの陸蒸気、エジソンの活動写真、電燈、蓄音機、ベルの電話、コダックのカメラを列挙するが、オーヴィルは苛々。もっと大切なものを忘れていませんか?「ライト兄弟の飛行機か!」「おぉ、わかっているじゃないか。ブルックリンの生まれだってねえ」「ニューヨークっ子よ」「食いねえ、食いねえ、ホットドッグ食いねえ!あれはパナマ運河と並ぶ派手な仕事だよ。中島みゆきも歌っている。人は昔、鳥だったのかもしれないね」

だけど、ジョーンズ叔父さんはあれは夢物語だという。「ギリシャの鳥人イカロスじゃなし。バカ丸出しの研究だ」「なんだと!?アイダホのポテト爺!」。コーラの入ったコップを落とす。「だが、科学が進歩して、その夢が叶うなら、力になろう。金は出す」。甥っ子の夢を買った。

ライバルはラムエル・ラングレー。ライト兄弟を偵察に数人の子分を連れてやtってきた。だが、彼らが営む小さな町の自転車屋を見て、「こいつらには無理だ」と気を許す。だが、そのラングレーは飛行実験に失敗。ライト兄弟の出番である。ウェルバー・ライトが操縦桿を握る弟のオーヴィルを励ます。成田山のお守りも持った。いよいよ夢をかけた飛行へ!さぁ、どうなりますか!・・・ちょうど時間となりましたぁ。

小佐田先生いわく「なにせ、空を飛ぶものだもの落ちはいけない」。なんで落としてなるものかぁ。講談の偉人伝のようなものかと思ったら、実に落語的な爆笑噺。実はこの作品、元々は小佐田先生がある落語家の師匠に向けて書いていたものを、変更して熱心な奈々福さん宛てに浪曲にしたものだそうである。なるへそ、クスグリ沢山だ。そして、これは奈々福さんの脚色によるものだろう、随所に「天保水滸伝」「清水次郎伝」のエッセンスが盛り込まれ、これがまた堪らない。

というわけで、落語、講談、浪曲の三大話芸は持ちつ持たれつ、刺激し合って高め合う良い関係にあるのだと、改めて思った次第。いやあ、演芸は面白い。