古今亭駒治 鉄道ファンは奥が深い。「撮り鉄」「乗り鉄」は知っていたが…「押し鉄」って!これがまた面白い!

新潮講座で「鉄道×演芸スペシャル 駅学入門~スタンプの謎」を受講しました。

講師の古今亭駒治師匠は鉄道落語が有名だが、それだけでなく創作落語全般で活躍されている若手新作のホープであることは演芸ファンには説明の必要もないだろう。この講座では、まず、駒治師匠が鉄道落語を2席演じて、残り半分は、もう一人の講師である鉄道編集者の田中比呂之さんが「駅スタンプ」の楽しみかたについて駒治師匠と対談形式でレクチャーするというもので、とても興味深かった。

というのも、「好きこそものの上手なれ」とはいうけれど、なかなかそう簡単に世の中はいかないというのが世の常だと思っていたが、この田中比呂之さんのプロフィールはすごい。新潮社に入社して、スポーツなど色々な書籍や雑誌の編集および営業を担当するも、最終的には鉄道趣味が高じて「日本鉄道旅行地図帳」シリーズの企画編集を08年にヒットさせて以来、社内で認められ、鉄道企画ものを数多く刊行。17年に定年退職。以降もフリーの「鉄道編集者」として活躍し、新潮社との縁も切れずにこうした新潮講座の講師をするなど、良好な関係を保っている。素晴らしい。この日の「駅スタンプ」の話も非常に面白くて、鉄道ファンでない僕でも十分に楽しんだ。

まず、駒治師匠は「遥かなるよみうりランド」と「車内販売の女」の2席。

「遥かなるよみうりランド」は、「前」がついている駅を訪ねて、それがどれだけ「前」なのかを検証するのをライフワークにしている師匠ならではの作品。小田急線の「よみうりランド前」は駅から山道をひたすら登らなくていけない立地なのに、京王線の「京王よみうりランド」はゴンドラに乗ってひとっ飛びという現実に着目している発想から面白い。知らずによみうりランド前駅を利用したカップルは、山道で50年前に彼女と生き別れた仙人のような老人と出会うが…。

ディズニーランドに行きたい彼女と、巨人戦を観に行きたい彼氏の中間をとって「よみうりランド」になったとか、老人が「ビートルズのジョンは元気か?」と尋ねるとか、下山しようとすると分かれ道があって間違えると「小田急向ヶ丘遊園」にいってしまうとか、小ネタも面白い。だが、この噺の面白さは骨格にある人間模様だ。京王に負けないようにお客を騙し続け、駅前の日高屋で呑んでいばかりいる駅長、そこの後ろめたさを感じる新入りの駅員、長年売店で缶コーヒーを売り続けるおばちゃん。そのおばちゃんはなんと「仙人」が50年前に生き別れた彼女だったとは!「まさか、あの人が生きていたなんて!私は駅長に監禁されてここで働いているのよ!」。

「仙人」から託された手紙が秀逸。イマジン。想像してごらん、よみうりランドのない世界を。よみうりランドに平和に行ける世界を。世界のみんなが一つになれば、必ずうまくいく・・・。結局、駅長の悪事は暴露され、「仙人」と売店のおばちゃんは50年ぶりの再会を果たし、駅名は「日高屋前」に!(爆笑)。

「車内販売の女」は新幹線のぞみで車内販売で売り上げナンバーワンを争う女性2人のライバル物語。「お弁当にコーヒー、時代の先端をいく雑誌『ウェッジ』はいかがでしょうか」という売り声からして愉しい。売り上げトップのマキは年間1億2千万を稼ぐ(JR東海の社長の年収より多い!)、だがそのうちの8千万円は名古屋に遠征に来た巨人軍の選手からの売り上げとか、グリーン車に笑点メンバーが勢揃いしているときには新入りにはお釣り用の円を全部ウォンにに変えたりエプロンを隠したり嫌がらせをして馴染み客を奪われないようにするとか、高須クリニックの全身整形でおでこにSuica対応の磁気を埋め込んだとか、もう小ネタ満載でそれだけでも笑える。

ライバルだったタエコは京成スカイライナーで「アサヒスーパードライ」を727本売った伝説のナンバーワンから転向して乗り込んできたが、マキの嫌がらせに耐えかねて、いまは金魚売りに成り下がっているとか、対決したときは金魚の水に「氷結」を入れられて、「あなたは常磐線のグリーン車でドジョウでも売ってなさい!」と言われたとか、こちらもまた小ネタ満載で面白い。最後の対決では、その「氷結」の売り上げ本数で競う闘いに…。決着がつかずに、東京駅に到着してもバトルは続き、その対決を乗客がみたいとホームは黒山の人だかりになってしまう始末!でも、最終的にはこんな醜い争いをしても仕方ないと和解するというのが、駒治師匠の落語の根底に流れる温かさだと思った。

で、後半の田中比呂之さんの講義。興味深い話は沢山あったが、簡単にまとめます。

来年で駅スタンプ90年。1931年(昭和6年)に、福井駅がはじめたのが最初と言われている。その前にもあるが、駅名、風景、年月日が入ったもの、という定義でいうそうなるとか。「撮り鉄」「乗り鉄」などあるが、「押し鉄」。95年に石川県能登鉄道の蛸島で「乗り鉄」全線完了した田中さんは、08年に「日本鉄道旅行地図帳」シリーズ刊行。駅めぐりをスタートし、定年後も悠々自適に「押し鉄」生活を過ごしているそう。約5000種の駅スタンプを所持。

今年7月にJR東日本は78駅のスタンプをリニューアル。そこから見えるもとは…。上野駅。1935年(昭和10年)に最初の駅スタンプから西郷さんがデザインされている。パンダ来日(72年)、トントン誕生、東北新幹線開業など節目ごとにスタンプにおけるウエイトは西郷さんからパンダに傾き、ついに、今年のスタンプからは西郷さんが消えた!

戦時中は、樺太や朝鮮、台湾、満州、いわゆる外地の鉄道の駅スタンプも。昭和10年ごろに旅行ブームがあったことも普及に拍車がかかった。JTBの「旅」という雑誌(その後、新潮社に移り廃刊)が、事細かに「駅スタンプ」を特集し、紹介して、ブームが過熱した。「旅」自体、一時はスタンプの情報誌と化したこともある。時刻表のライバル社である鉄道弘済会(現・交通新聞社)がスタンプ帳を発売したことも。

浜松町は増上寺と東京タワーとかもめ。大井町は大井工場があったことから、スパナとヘルメットと鈴ヶ森。東京駅は銀の鈴と二重橋とつばめ(国鉄本社の名残?)。駒治師匠も「押し鉄」ではないが、「駅に降りたったら、押しますよ」とおっしゃっていたが、僕も小学生の頃、観光地に行くと、必ずそこのキーホルダーを買って集めることをしていた(当時は日付が入れられる機械があった)から、意外と、駅スタンプのハマるかも!