講談協会定席 純愛物語や親孝行、クールな現代だからこそ“人の情け”が光るんだ。

上野広小路亭で「講談協会定席」を観ました。(2020・08・27)

この日の番組はこのような並びであった。

一龍斎貞司「木村又造」

田辺一記「本田作左衛門 意見の窯割り」

一龍斎貞奈「猿飛佐助誕生」

宝井梅湯「石山軍記」

神田織音「恋の練り羊羹」

宝井琴桜「般若の面」

神田すみれ「夕立勘五郎 猿橋」

一龍斎貞山「怪異談 牡丹燈籠由来噺」

主任の貞山先生の「怪異談 牡丹燈籠由来噺」については、きのうのブログに書いた。これ以外に印象に残った2席について書きたい。

織音先生「恋の練り羊羹」はご自身の創作だろうか。それともどなたかの創作を習ったのだろうか。とても面白くて、よく出来た新作講談という印象を持った。

大阪天満に店を構える菓子屋の駿河屋は紀州公の御用達になるなど、評判の店。そこで一所懸命に働いていた喜三郎はその甲斐あっての暖簾分けが叶い、25歳で独立し、京伏見からも発注のくる店として頭角を現す。とりわけ羊羹の味は餡に寒梅粉と赤穂の塩をいれた、ほどの良い甘さが人気を呼んだ。

この噂は肥後熊本の細川の殿様の耳にも入り、大量の発注を受ける。ところが、量が多いために納入期日に間に合いそうもない。気の強い喜三郎の女房おいちは職人と一緒に夫には内緒で小豆の分量をごまかし、何とか納入を間に合わせた。細川家に蒸しあがった羊羹を持って参上した喜三郎だが、細川の殿様に「餡の香りがいつもと違う」と見抜かれてしまう。自分の店だけでなく、暖簾分けを許した総本家駿河屋の暖簾も汚した喜三郎はお詫びをするが、許されず、職人は全員が総本家に戻され、多額の賠償金を払う羽目に。女房おいちも離縁して里へ帰る。喜三郎は独り身で江戸へ出てやり直すことを決意する。

口入屋の上州屋が身元引受人となってくれて、両国にある三河屋という鰹節問屋に御用聞きとして住み込み奉公で働く。三河屋の一人娘おきぬは19歳。喜三郎はお伴で大川の花火を観に行く。途中で入った茶店で「ところてん」を食べる。大坂では蜜で食すが、江戸では酢醤油と辛子で食べることに驚く。いつしか、おきぬは喜三郎に思いを寄せるように。沢山の縁談がくるのだが、すべて断ってしまう。それが喜三郎のせいだと気づいた三河屋主人は喜三郎に暇を出す。

世話をした上州屋は気の毒に思い、一間を貸して、喜三郎に菓子の行商をやらせる。人柄もあったのだろう、繁盛。それだけではなく、江戸では蒸し羊羹が主流だったが、それに工夫を加えられないか、と考えていた。ある日、売れ残りのところてんが翌日に乾いてカラカラの寒天になっていた。これを水洗いして、鍋に入れ、小豆と砂糖と赤穂の塩を入れて、練り羊羹を作って、上州屋に食べてもらうと、これが「歯ざわりが良く、バカ甘くない」と好評。

日本橋に開業し、「江戸元祖 練り羊羹」として売り出すと大ヒット。稼いだ金で総本家から3年で証文を買い戻すことができた。ある日、店に「羊羹をください」と一人の尼さんが訪れる。よく見ると、それは三河屋の一人娘のおきぬであった。喜三郎は総本家でをしくじって多額の借金を抱えていたこと、それを返済できたらお迎えに上がりたいと思っていたことを打ち明ける。おきぬも、生涯、喜三郎以外の男とは一緒になりたくないと尼さんになったという。お互いの思いを確かめ、夫婦になることを誓い、祝言をあげた。練り羊羹の店はますます繁盛したという。いや、ストーリーもわかりやすく面白いが、それをドラマチックに読む、織音先生の高座も素晴らしい。

宝井琴桜「般若の面」は三代目桃川若燕が小さな新聞記事を基に創り上げた作品だそうだ。大人の悪戯心が起こした、心温まるエピソード。それとともに、孝行の二文字を忘れない娘の気持ちにジーンとなった。

漁師の田沢勘作はお亀と夫婦になる。女房はその名の通り、「おかめ」によく似ていた。仲睦まじく、やがて女の子が生まれ、ていと名付けた。何年か後、勘作の乗った船を嵐で沈ませてしまう。勘作の命は助かったが、田沢の家は網元に船の弁償するため借金で生活が苦しくなる。夫婦で夜逃げの相談をするが、それを娘おていは懸命に引き留める。結局、おていが家を出て奉公をすることになった。おていは父親に連れられ、隣町の松月堂という煎餅屋へ。事情を聞いた旦那、九兵衛はおていを預かることを快諾し、しかも弁償金も立て替えてくれるという。父親は感謝しながら帰る。

おていは3歳になる男の子の子守りをすることになった。それだけでなく家の多くの仕事をこなし、朝早くから夜遅くまで実に良く働く。ある晩、九兵衛がおていのいる女中部屋の前を通りかかるとボソボソと話し声が聞こえる。一人でいるはずなのに何を話しているのだろうと思って障子の隙間から覗いてみると、おていは箱を覗き込んで「それではおっかあ、おやすみなさい」と話しかけている。

不思議に思った九兵衛は、おていがいないときに、部屋に入っておていが覗き込んでいた箱の中を見てみる。中には「おかめ」の張り子の面が入っている。なるほど、この面を母だと思って語り掛けているのだなと納得した。いたずら心を起こした旦那は、孫の玩具箱から般若の面を取り出し、お定の箱の中の「おかめ」の面と入れ替えた。

夜、部屋に戻って来たおていが箱の蓋を取り覗き込んでみると、「おかめ」の面が、恐ろしい顔をした般若の面に変わっている。お定は母親が病気か怪我で苦しんでいて、それでこんな恐ろしい形相になっているに違いないと思う。居ても立っても居られない。夜明けまでには間があるから、ひとっ走りして母親の様子を見にいこうと、般若の面を無造作に懐へ入れて、無断で店を飛び出す。

おていは暗い山道を走る。山中には金毘羅のお堂があり、そこを通り過ぎようとすると、暗がりには大きな男が二人いる。男は、薪に火がなかなか点かないのでどうにかならないかと困っていた。おていは枯れ葉や枯れ枝を集めマッチに火を点ける。モクモクモクとものすごい煙がのぼる。あまりに煙いので、おていは般若の面を顔に付ける。

「おじさん、これでいいかしら」。お定は顔をあげると、煙の中から突然恐ろしい形相の般若の顔が出て来たので、二人の男はびっくり仰天する。「出たぁ」。この叫び声を聞いて、お堂の中から十五、六人の男が飛び出してバラバラバラと逃げていく。おていは呆気にとられる。そのまま山を下り、懐かしい我が家へと帰る。夜中なので両親とも寝ていたが、母親には何も変化はなく、どこも具合が悪くないので、思わず嬉し泣き。誰かがいたずらで面をすり替えたのだろうと言い聞かせられる。

朝一番に間に合うよう、父親に連れられて平潟町へと戻る。金毘羅堂を通りがかった時、中を覗いてみると月明かりに照らされて壺皿やサイコロや沢山のお金が散らばっているのが見える。ここに良からぬ連中が集まって博奕をしていたが、二人の男の叫び声を警察の手入れの合図と勘違いして逃げ出したらしい。

松月堂では、いつも朝一番に起きるはずのおていがいないので大騒ぎになっていた。戻ったおていから事情を聴く旦那。母親を思う心に感心するとともに、面をすり替える悪戯したのは自分だと白状する。旦那の提言で、金毘羅堂の一件を警察に届ける。堂に残された175円13銭という大金は遺失物として掲示されるが、もちろん博奕の場に忘れた金が自分の物だと名乗って出る人などいない。一年が経過し、金はすべておていの元に下げ渡され、借金に苦しんでいた田沢の家は救われた。他愛ない悪戯が巻き起こしたエピソードと、素直な娘おていの親孝行の気持ちが心温まる。

織音先生、琴桜先生のような読み物は落語にはない。若干説教じみていると嫌う方もいるかもしれないが、僕は好きだ。講談、浪曲はその「人の情け」の部分をクローズアップするところでこそ、光ると思う。恋物語や親孝行、結構じゃないですか。とかくクールな現代には、こういう価値観が見直されてもいい。