立川志の輔「抜け雀」 よく辛抱して真打になった。が、これからが勝負だ。弟子を思う師匠の愛情が伝わってきた。

三鷹市公会堂で「立川志の輔独演会」を観ました。(2020・08・15)

場内アナウンスが終わり、二番太鼓が流れ、幕が開くと、高座には深々と頭を下げて座る二人が並ぶ。上手に立川志の輔師匠。下手に三番弟子の立川志の春。志の春は今年4月に真打に昇進したので、志の春師匠と表記すべきだが。コロナ禍で、有楽町朝日ホールでの真打昇進披露の会、およびホテルニューオータニでの真打昇進披露パーティーも延期になった。その後も出演予定をしていた会は、ことごとく休止、または延期。こうやって親子で並んで口上をするのも初めてだという。定員の半分の人数制限なので、きょうとあすの二回公演に。

立川志の春。1976年、大阪出身。イェール大学卒業後、大手商社に入社し3年勤務。退職し、02年に立川志の輔に入門。11年、二ツ目昇進。20年、真打昇進。古典、新作の両刀遣い、語学力を生かした英語落語にも意欲的に取り組む。コロナ禍の中、YouTubeでの配信も。

口上で志の輔師匠は「この子は全く落語を知らずに入門してきた。3番弟子だが、その分、上の二人の弟子よりもスポンジのような吸収力があった。オンライン落語というのも、やっているらしい。初めてやったときには『できることなら、二度とやりたくない』と言っていたのに、視聴者からの感想などが返信でくるのを読んで、『やってよかった。もっとやりたい』と。もう3回やっているそうです。無反応はつらいと思う。私にそんな芸当はできない。だけど、これからの社会では無視できないこともわかっている。やっていかなくてはならないことでしょう」。と、新しく真打昇進した志の春を讃えた。

志の春師匠の高座は「厩火事」。マクラで「私が二ツ目に昇進する1週間前に東日本大震災がおきました。つくづく、そういう星の下に生まれたのだと思う」。「頑張っている英語落語が、オリンピック開催で生かせる!と思い描いていたのに、使えたのは「ステイ・ホーム」だけでした」。

「厩火事」での隠居に駆け込むおみつを、パーパーおしゃべりな女性を強調する演出で、時折挟む「私のことをおかめって言うんです。似ているだけに悔しい!」「お前のおしゃべりなところが好きなんだって言うんです」といったオリジナルフレーズが生きる。孔子を「子牛とモーします」とか、「物干し?洗濯モノを干す?…モロコシですか」とか。挙句に隠居に言われた通りに亭主の大事にしている皿を持ち出し、傘の上でぐるぐる回して踊るのには笑った!

志の輔師匠。コロナ禍について。東京都の感染者数が毎日発表されると、「200、300がどうした?」と、その乱高下に麻痺してしまう。ゲーム感覚になってしまう。結局は一人一人が注意するか、しないかでしょうとも。日本には古くから「手洗い、うがい、換気」の生活習慣があった。おふくろに「おやつの前に手を洗ってから食べなさい」と言われていた意味の大きさを改めて考えると。現代は新幹線や飛行機が発達したので、ウイルスの到達速度も早くなって、こんな地球規模の感染になってしまった。江戸時代だったら、病の流行はこんなに大きくならずに収まっていただろうとも。「風の神送り」という風習があって、町内に流行る病を隣町に、「送れよ、送れ。風の神、送れ。どんどん送れ」と言いながら、皆で風邪の流行を退散させようとしたんだそうだ。

「みどりの窓口」。切符の入っている、その箱を開けろ!そして、持っている切符を全部並べろ!そうだよな。僕の祖父は明治生まれだったが、切符の自動販売機の後ろに係員がいると思っていたし、銀行のATMは使わず、必ず窓口で入金や出金、振込をしていたもん。この噺に出てくる老夫婦の、長野に住む娘夫婦と福井に住む孫の複雑な家庭事情がとても気になる!

中入りはさんで、二席目。これからはネットは無視できないと、落語の配信について「やっていくべきなんでしょう」。落語は噺家のおしゃべりから観客がイマジネーションを働かせる、お客様にゆだねる部分の大きいエンターテインメントだが、今増えている「無観客落語」による配信は、噺家の方が「受けている!」と爆笑をイメージしなきゃいけないとも。「自宅の壁は笑わない。やっぱり、お客様が教えてくれるのだ」と言い、圓生師匠が京須さんと制作した、今やバイブルのようになっている「円生百席」の完成度に言及。名人はいかにすごいか。レコーディングスタジオであれをすべて録音したことが、信じられないことだと。

「抜け雀」。衝立から雀が抜け出したのを目撃した宿屋主人のパニックぶりはいつも楽しい。チチチ、トテト、パピ、ピポパポ、チュンチュン!擬音とアクションで情景を女房に伝える姿に爆笑。そして、雀を描いた絵師の父親が噂を聞き付けて宿を訪ね、衝立を見て、「ぬかりがある」と、止まり木のある駕籠を描いたときの、ダメな奴だなと言いながらニコニコと笑みを浮かべている様子。これが志の輔師匠とだぶって見えた。

落語のラの字も知らなかった弟子が、よく辛抱してここまで来て、真打になったという喜び。そして、真打になったからと言っても、これからの方が大変であり、勝負だ、まだまだこれから気を抜かずに落語に取り組みなさい。子を思う親の気持ち=弟子を思う師匠の気持ちが伝わってきて、なんだかジーンとしてしまった。

「親を駕籠かきにした」で、頭を下げ、万雷の拍手の中、幕が下りる。まだ拍手は鳴りやまず、幕が再び上がる。高座には師匠と弟子が冒頭と同様に並んで座っている。三本締め。幸せな気分に浸った。