これぞ「三三の落語」 柳家伝統の“滑稽”を、自分のスタイルで昇華させる柳家三三

よみうりホールで「柳家三三独演会」を観ました。(2020・08・14)

よく喬太郎師匠が「未来の人間国宝は三三にまかせた!」と言うことがあるけれども、あながち虚言ではないと僕は思っている。小学生で「文違い」で落語に目覚めた蛭田少年が中学卒業前に小三治師匠のお宅を両親を伴って訪れ、「高校ぐらいは出ておきなさい」と言われて、真っ直ぐに「紺屋高尾」か「幾代餅」か、というくらいに三年の年季があけて、小三治門下に入ったというエピソードが表しているように、「落語に情熱を傾け続ける男」の物語はまだ中盤に差し掛かったばかりである。

滑稽噺の柳家と言われ、先代小さん、小三治の系譜は確固たるものだが、真打昇進前後の三三師匠は、演芸ファンのあいだで、「三三の二つの三は、小三治の三と、三遊亭の三か」と言われたくらいで、圓生師匠をお手本にしているのではないか?と思えるほどに、ストーリーテラーの手腕が飛びぬけていた。先輩の談春師匠に可愛がられ、談春七夜で抜擢で連日開口一番を務めたばかりか、「乳房榎」を三三→談春のリレーで何の苦も無くやってのけた技量であった。

それが、近年は本人が意識しているのか、していないのか、不明であるが、「滑稽噺」の柳家に急に舵を切ってきた。それも、小三治師匠が先代小さんの相似形でないように、三三の滑稽噺は小三治のそれとはまた一線を画す面白さがある。

この日は昼に「船徳」「茄子娘」「粗忽の釘」、夜に「お化け長屋」「妾馬」を演じた。「茄子娘」は扇橋師匠の流れを汲む入船亭の芸なので、それ以外の4席について、これが「三三の落語」という部分について、滑稽を切り口に見てみる。

「船徳」。徳が船宿主人に「船頭になる!」と決意表明するところ、「若旦那みたいな、か細い身体では無理だ」と言われると、「舟を漕ぐのは、力じゃなくて、コツだと聞いたよ」に、主人が「でも、コツだけじゃぁ動かないんです」。四万六千日にやってきた二人連れが女将に「生憎、船頭が出払っていまして」と断る知、柱にもたれて居眠りしている徳を見つけ、「いやだな、いるじゃないか。ちっておきだね!」と頼むところ。やらせてください!と言う徳に、女将が引き留めると、「私は四万六千日のお客様をお乗せするのが、夢だったんです!」。このフレーズが船を漕ぎはじめたときに生きる。

舟がスーッと動かずにぐるぐる回ってしまって、慌てて心配するお客。「大丈夫か?」「はい!この間、ひっくり返しただけですから」「え!?夢でも見たんだろ?」「はい!私の夢ですから!」(笑)。流してしまった竿から櫓に変えて、一生懸命漕ぐのだけれど、その掛け声が「エッチラ、オッチラ」。お客が「本当に大丈夫か?」と心配になるのもよくわかる。エッチラ!は可笑しい。石垣の舟がへばり付いたときも、お客が怒ると、徳は「じゃぁ、あなた、やってみなさいよ、難しいんだから」とキレてしまい、挙句の果てには「頭を下げてください」と、どっちが客なんだかわからないのが滑稽。

もう少しで大桟橋まで着くというのに、徳は諦めてしまい、あとは仕方なく川底に足をつけて歩いて岸までたどり着くしかないお客の哀れ。舟に乗っていかないかと、嫌がるもう一人を誘った男の客のセリフがふるっている。「これだけは言っておきたい。舟というものは、もっと早くて、涼しくて、いいモノなんだ。これだけは覚えていておくれ!」。いやぁ、怖がりだった客は、もう二度と乗らないんじゃないかな。

「粗忽の釘」。この噺は「三三の落語」を確立した感あり。一之輔師匠が春風亭の流れをしっかりと継いで爆笑噺にしているが、それとは全く別物と考えた方がいい。引越しが済んで、箒をかけるから釘を打ってと頼まれ、八寸もある瓦釘を打ってしまい、謝りに隣の家にいこうとして、お向こうの家を訪ねてしまうところ。ちょっと変わった八五郎を見て、ご主人が思い出し、「さっき、風呂敷包みを背負って口を開けてうろついていた!」「恐竜が来た!と子どもたちに人気ですよ」「釘を?・・・クギさん?」「路地をはさんでいるから大丈夫!・・・ロジさん?」。応対している主人の後ろで笑いながら仇名をつける奥さんは、似顔絵まで描いて、「回覧板に回すんじゃない!あの人を長屋中に知らせたい?」(笑)

落ち着けば一人前。ようやく隣の家へ行くが、タバコを吸って八五郎が女房とn馴れ初めを話し出す。これが粗忽の粗忽たる所以。屋敷の見習い奉公の女中と出入りの大工の間柄。弁当を遣うときに、きんぴらごぼうを差し入れされ、仇名がきんぴらごぼうになっちゃって、「あっしは、しがない、きんぴらごぼう」は名文句。気があるなと思い、縁日い誘い、繁みに入って、壁ドンならぬ杉ドンで告白。「その晩にできちゃった!」。「そのあとは涙で枕を濡らす日もあった。掌に転がされる、尻に敷かれる。でもね、これが夫婦の一つの形かなと、思っているんですよ!今は!今は幸せです!」。万感の思いを込めて、はじめて会う人の馴れ初めばかりか、今の夫婦の幸せを叫ぶのは粗忽以外の何物でもないでしょう。

「お化け長屋」。二番目に空き店を借りに来る職人の男の威勢の良さに、勝手に怪談噺を創作して借り手を追い返しちゃおうという魂胆の杢兵衛が圧倒されるところが肝で、ほかの噺家さん同様に力点を置いているが、その攻防戦の滑稽味に独自性を見出している。また、その職人が「じゃぁ、借りるよ!すぐに引っ越すから」と帰っちゃうことが多いが、今回はサゲまできっちり演じてくれて面白かった。

「あの空き店を借りたいんだ。レキと一緒に住むことになってね…妙な真似したら許さねえぞ!」。グルになっている辰に、「家主は遠方なので、この長屋の差配をしている古狸の杢兵衛さんを訪ねなさい」と言われ、「何十年もこんな長屋に住むなんてロクな奴じゃないな…おい!タヌモク!」。で、攻防戦へ。「店賃なし?タダ?そういうのはないかと探してたんだ。すぐに支度するからよ・・・何?わかってるよ。幽霊かなんかが出るんだろ?そんなの怖くて身請けができるか!あばよ!」

そこを何とか引き留めた杢さん。怪談噺に入ろうと「ここへおあんがなさい。もっと話をするのに不便だから」と言うと、「俺は人の話を聞くのが大嫌いなんだ。手短にな!」。で、結果、「膝の上に乗らないで!顔が近い!」。「あれはそう、今を去ること、ちょうど3年前」に、「手短にと言ったろ!3年前なら、3年前!」。寝乱れ姿の後家さんに、つい、ムラムラした泥棒が、胸元に手を入れたというところまで進むと興奮して、「おっぱい!?それからどうしたい?」と、杢さんの膝の上にまた乗っちゃう。「ここまで下がって!」。遠寺の鐘のゴーンや、仏壇の鈴がチン!や、障子がツツツーッに、突っ込みを沢山いれて、挙句に満面の笑みを浮かべて、Vサインして帰っていく情景が思い浮かび、可笑しい。

困った杢と辰の二人は、引っ越してきた男が湯に行っている間に、仕掛けを仕込み、幽霊が出たと見せかける作戦を実行し、男は思いのほか怖がりで親方の元へ逃げてしまう。改めて、「そんな幽霊なんか出ないだろう」と親方と一緒に長屋を訪ねると、ホンモノの家主が現れ、これは杢と辰の仕業だということが判明。追い返し作戦のために予め寝転んでいてくれと頼まれた按摩の富之市さんが「モモンガーッ!」と起き出したときは、家主までもが驚いたが、そこを含めて三三師匠のオリジナルな滑稽の世界を堪能できる一席だった。

「妾馬」。妹が殿様の側室になって、お世継ぎを産んでも、あまりよくその意味が分からず、あくまでザックバランな気性の八五郎がいい。そして、三三版妾馬の何よりの特徴は、家来・赤沼軍十郎が殿の目に留まった娘を探しに長屋を訪れ、井戸替えしていた八五郎と出っくわすところから始まる。そこから、滑稽ははじまる。素っ裸で井戸をさらっていた八五郎~角の荒物屋の大家~お鶴の母親、三人を順に赤沼はめぐるのだが、行く先々の人物が皆、おしゃべりで、「豆腐屋のガキがブリのアラを長屋のハバカリの金隠しの上に載せて、糊屋のばあさんが卒倒した一件」について、同じ話をパーパー喋るところに、三三落語の真骨頂あり。

「このばあさんは息継ぎをしているのか?」と赤沼が言っているところに、再び八五郎登場。「バテレンのお武家様!」。で、兄である八五郎が赤井御門守のお屋敷を訪ねるが、門番にも「アッチのトコのツルがコッチのトノコウのレキでして」。重役・田中三太夫にも「サンちゃん!」と呼び、老女にも「ゴロウジョさまのおばあさん」。そのザッカケない物言いを殿様が気に入ったというのも、わかる気がする。

お鶴の方様になった妹を見つけ、「良かったな!急に偉くなっても、威張っちゃいけない。実るほど頭をさげる稲穂かな。安倍という人に聞かせてやりてえな」。人情噺と多く演じられる「妾馬」を、三代目小さんをベースに、八五郎という実に憎めない、本音で生きて、嘘偽りがない、真っ直ぐな男を描くことで、滑稽の極みみたいな噺に仕立てた柳家三三は、30年後くらいに人間国宝になるかもしれない。