春風亭一之輔 その咄嗟の機転と配慮とユーモア ライブならではの愉しさがここに

世田谷パブリックシアターで「せたがや夏いちらくご」を観ました。(2020・08・09)

言うまでもないが、一之輔師匠は心優しい噺家さんである。サービス精神旺盛なことも、そのナマの高座を何度かご覧になれば、声を大にすることなど野暮の極みだ。ただ、落語を知らない人が普段着の一之輔師匠を見たら、「ゴッドファーザー」に出てくるイタリアンマフィアみたいな端正な顔立ちから、「怖そう」「とっつきにくそう」と思う可能性は少なからずある。だけど一旦、相好を崩した笑顔を見たら、「あぁこの人、好きかも」となり、そして高座を見て、「師匠は大変な照れ屋さんなのね。可愛い!」となり、胸はズキューンと撃ち抜かれること請け合いだ。

なんでこんなことを書いているか。この日、2列目に座っていた僕の妻がそうだからだ。一席目の高座のマクラの途中で、ひじ掛けに掛けていた日傘を倒してしまい、そのパタン!という音が会場内に響いてしまったこと、誠に申し訳ございませんでした。普段は演劇が上演されることの多い世田谷パブリックシアターの音響の良さゆえ、かなり響いたのでは。でも、そのあとの一之輔師匠は実に優しかった。マクラを途中でやめ、一人の客にすぎない彼女を必死にフォローしてくれた。

この落語会は「春風亭一之輔プロデュース」を謳っている。ゆえに、いつもの出演者として以上の責任があると、師匠は早くから会場入りした。マクラでは、「プロデューサーとして、この座布団も綿を詰め、縫いました」「プロデューサーとしてスタッフの食事にカレーを煮込みました」など、独特のユーモアで会場を和ませる。一之輔節炸裂!そのあと、コロナ禍で様々な感染拡大防止策を講じ、客席数も半分以下。その上でアーカイブを含むナマ配信をしたり、「万が一」という不安のある方にチケットの払い戻しも対応したり、至れり尽くせりの配慮は「プロデューサー・春風亭一之輔」ではなく、世田谷パブリックシアターの英断だと讃えた。お人柄である。

お芝居に出演した関係でPCR検査を受けたときの体験談を話された。検査室に入室すると一本の試験官が立てかけてあり、そこに一定量の唾液を入れる。十分な唾液が出ないときは、このボタンを押してくれと書いてある。案の定、出ないので押したら、看護師さんがやってきて、梅干しとレモンの写真のパネルを持ってきて、これを見ろと言ったそうだ。「実物じゃないのに、出るのか。俺はパブロフの犬じゃない!」と半信半疑だったが、「これが出るんだよ!不思議なくらい出たの!」。ここで僕の妻は笑い転げてしまい、思わず日傘を落としてしまったというわけである。

一之輔師匠は咄嗟の機転で、2列目上手通路側に座っていた妻の方を向き、深々と頭を下げた。両腕を掌で重ね、床に顔をこするつけるように。「プロデューサーとして、ひじ掛けの真ん中を削って、傘を立てやすくしていなかった私の責任です。申し訳ございません」「きょうは陽差しは強くて、日傘を使いますものね。申し訳ないです。紫外線が気になりますものね。お肌によくないですしね」。日傘を足元に寝かせておかなかった妻が完全に悪いので、彼女は必死に両手を拝むようにして、一之輔師匠に「こちらこそ申し訳ございません」と合図をして、結果、二人のやりとりが結構続いた。これは無観客ではあり得ないハプニングの楽しさだよなぁと思った。一般的に「客をいじる」というのはあまり芸人としてよくないこととされているが、果たしてそうだろうか。時と場合によるが、本当は客も案外嬉しいもので、彼女も不愉快どころか、申し訳ない気持ちと師匠の機転と配慮とユーモアに救われ、「ますます好きになった」。もしかしたら、他のお客様にご迷惑をおかけしたかもしれず、そのことは陳謝します。

で、仲入り後の2席目、「唐茄子屋政談」が素晴らしい出来だった。吉原通いでしくじって勘当された若旦那を吾妻橋で拾った叔父さんの愛情の裏返しのセリフがいい。「魚なんか焼かなくていい。今、川で魚に食われるところだったんだから」「蚊帳?要らないよ。蚊が食って、蚊の方が馬鹿になる」「みっともないだと!?お前なんか、その着物脱いで、大川に飛び込んじまえ」。ようやく若旦那が重い天秤棒を担ぐところも、その進行方向にいる近所の連中や納豆売りにいちいち声をかけて、「道をあけてやってくれ、初めての商いなんだ」と、この姿を早く親父に見せて、勘当が揺れるようにという思いがこもっている。

若旦那、ようやく唐茄子を売りに出たけれど、田原町のところで転んでしまった。そのときに事情を訊いて、親切に唐茄子を代わりに近所の知り合いに声がけして売ってくれる男。この男のキャラクターが実に明るくて賑やかでいい。「吉原に通い詰め?」「親から勘当?」「身投げ失敗?」「きょうから八百屋?」、興味本位にズバズバ質問する男に悪気は全くなく、逆に可哀想だと売ってくれるんだから。

特に、半ちゃんが、「唐茄なんか嫌いだ。ギャチャガチャじゃあるまいし」と反発していたが、その男の二階に居候をしていた時分のことを暴露され、10個も買わされるところは、一之輔師匠の真骨頂。懐、袂、両手に持って、さらに頭にも載せられた半ちゃん。若旦那に「すごい目で睨んでいる!」と言わせると、場面の情景が浮かび上がってくる。吉原田圃の回想もいい。やらずの雨でもう一晩泊まることになった若旦那。花魁の奢りで寄せ鍋をとり、若旦那の好きな焼き豆腐は熱いから、やけどするといけないと燗冷ましを口から口へ口移しするところ。花魁の「シラタキが舌の先で結べました」も。

貧乏で困っているおかみさんに売り貯めを全部やってしまった誓願寺店に、若旦那と叔父さんが訪ね、おかみさんも一度は梁に首を括ったけれど助かって、褒美に青差五貫文をもらって、勘当まで揺れて、めでたし、めでたし。とはいかない!のが一之輔師匠のすごいところ。「若旦那は何もやっていないんですよ。ただ、気まぐれで売り貯めを渡しただけ。それで、勘当が揺れていいのか!?」と問題提起。

結果、叔父さんは若旦那に唐茄子屋を続けさせることに。また唐茄子を10個買ってくれた半ちゃんと出会って買ってもらう、そんな繰り返しかも。若旦那はずっと八百屋の修行を続けているかもしれません。で、終わった。実に一之輔師匠らしい、昔から伝わる落語のストーリーに矛盾点を見つけ、もっと納得のいく演出はないかしら?と探求する。これは現代の噺家皆んながやるべき作業ではないだろうか。50年後、100年後にも落語という話芸が大衆芸能として生き残るために。