三遊亭萬橘 コロナ禍における「強情」と「純情」と 高座へのその思い入れが愛おしい

日本橋社会教育会館で「萬橘 人形町スペシャル」を観ました。(2020・08・04)

三遊亭萬橘師匠は「配信拒否」の噺家さんである。落語はナマで、木戸銭を払って会場に足を運んでいただいたお客様の前で演じてこそ生きる、という信念。コロナがこういう状況の中で確固たる意志を貫き通す萬橘師匠に敬意を表したい。誤解があるといけないので、あえて加筆するが、コロナ禍に即応して配信を取り入れる噺家さんにも僕は敬意を表している。つまりは、このご時世に対して、落語のことを真剣に考え、真摯に向き合い、結果、「自分の考え」をきちんと示している噺家さん全員を尊敬してやまないということだ。僕が今回のコロナ禍で感じたことは、多種多様な意見を幅広く受け入れる寛容の大切さだ。萬橘師匠はこれまで繰り出してきた独自性のある落語同様に、高座に対するスタンスにおいても素晴らしいと思った。

で、今回、ようやく、久しぶりに萬橘師匠の高座に巡り会えた。ご本人もおしゃっていたが、この3カ月余りでどれだけ仕事がキャンセルになったかしれない。でも、歯を食いしばった。喋りたくて喋りたくて仕方ないという気持ちが溢れている高座だった。特に二席目の「マイクタイソン物語」は、自分の好きなボクシングについて語りたくて仕方なかった師匠の思いの発露とでも言ってよい。聴いているこちらが、興奮して立ち上がってボクシングのテクニックの説明までしてしまう師匠を見て、ちょっと涙が出そうになった。内容は面白くて面白くて笑いがいっぱいなのだけれど、僕の悪い癖で、この三遊亭萬橘という人間を愛おしくてしょうがないということまで考えてしまって。

「麻のれん」。強情についてマクラで振った。それは冒頭に書いた萬橘師匠の落語や高座に対する思いにも通じて、共感した。で、「強情」は「純情」にも通じると思った。他人は「意地っ張り」と思うかもしれないけど、それくらいの方がいいとも思う。按摩の杢市さんは「目明きは粗忽で、不便でいけない」と言う。なまじモノが見えるだけに、欲張りになったり、逆に諦めたり、気を遣ったりしなきゃいけない。「盲(めくら)の方が気楽だ」。なんて乱暴なことを言うんだと批判を受けそうだが、目が不自由な方のお気持ちはその方自身しかわからないことで、その立場になっていない人間がとやかく言うことじゃない。そんなことをこの噺は教えてくれる。

その上で、だ。「わかっている」を繰り返し、旦那のお宅に泊まることになった杢市さんは、間取りや構造まで熟知しているから寝間への案内は不要と断る。そこに杢市さんの「意地」があり、それは「プライド」にも通じる。だから、それは尊重してあげるべきで、旦那も女中もそうしているし、そこが美しいと思う。麻のれんを蚊帳の入り口と思い込み、八畳間にしては随分と狭いなぁ、布団も敷いていないじゃないか、と思いながら板の間に寝て、蚊に散々に刺されてしまう。そんな杢市さんは愛すべきキャラクターだと思う。「すまなかったねえ」と翌朝に旦那は詫びるけれども、お互いに信頼関係があって、鷹揚だからいい。そういう人間付き合いって素敵だなぁと思う。こういうユーモアを、コンプライアンスというわけのわからない言葉で縛った現代がどれだけ許容できるのか。そこに文化があると思う。

「マイクタイソン物語」。ボクシングに詳しくない僕だが、モハメドアリとマイクタイソンの名前くらいはわかる。ミニマム級からヘビー級まで何と17階級も細分化されていることを初めて知ったが、それを言い立てのようにスラスラと並べる萬橘師匠に愛を感じた。タイソンの身体を「鋼鉄」と呼んでいるんだそうだが、その体躯が目に浮かぶ。また、ボクサーとして一番のピークである25歳から4年間を、レイプ疑惑で有罪判決をうけた服役で棒に振った悲運も、師匠の言葉から察することができた。復帰戦で敗れた悔しさも含め。そして、耳齧り事件はタイソンを象徴する出来事だと感じた。ボクシング愛溢れる高座だった。

「へっつい幽霊」。熊さんが若旦那のところに、「道具屋からへっついを引き取り、二分で立てんぼうにしないか」という儲け話をしに行くところから始まる独特の演出を久しぶりに聴いて嬉しかった。「幽霊がへっついから出るという噂」は承知の上で、二人はへっついを天秤に担いで運搬する途中で、力仕事が向かない若旦那が蹴躓いて卵みたいな丸くて白いものがコロコロ転がる様子も可笑しい。棚から牡丹餅の300両をやはり立てんぼうで、熊さんは博奕で、若旦那は吉原で一遍に使いきってしまうのが、二人の性分をよく現わしているなぁ。

何とか、もう一度300両を熊さんが若旦那のお店にかけあって都合して、へっついを前に、「さぁ、出やかがれ」と熊さんが幽霊が出てくるのを待っていると、出てきたのは明るい幽霊!「どーも!」。全然、うらめしくないのがいい。300両返してほしいという元左官の長兵衛の幽霊に、「出るとこ出るか!?」と凄み、なおもしつこいので、「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とか念仏を唱えちゃう熊さんに、ギャー!!と叫ぶ幽霊の長兵衛が愉しい。

萬橘師匠のオリジナルだと思うんだけど、「お前は、へっついの持ち主には、こうやって出てくるのに、道具屋にはなぜ出ないんだ?」と言う熊さんの問いに、長兵衛が「出ているんですけど、情がない人には見えないんですよ」と答えるのが、とても良いと思った。「俺は見えているが、血も涙もない博奕打ちだぞ」に、「あなたは情がある人だ」。秀逸なフレーズではないか。あとは、熊さん同様に博奕が大好きだった長兵衛が久しぶりにサイコロを見て嬉しくなり、受け取って転がすところの表情と、「手を上に向けたら激痛が走る」というクスグリ含め、二人の丁半博奕の愉しさは、「情がある」熊さんと幽霊だけど人間的な長兵衛の心の交流という感じで、萬橘師匠の独自性を久しぶりに堪能しました。