柳家さん喬「たちきり」 いつまでも探求する心を忘れない話芸に対する稔侍がここに

日本橋三井ホールで「COREDO落語会」を観ました。(2020・08・01)

柳家さん喬師匠の「たちきり」はこれまでも何回となく聴いたことがあり、その度に泣かされてきたが、今回ほど心に響く名演を聴いたことはない。と書いてみて、いつ以来だろう?と調べてみたら、なんと2014年に目白の自由学園明日館での口演まで遡った。その前は12年日本橋社会教育会館「さん喬十八番集成」、09年三鷹市芸術文化センター。人間の記憶なんて曖昧である(苦笑)。

でも、今夜の「たちきり」が最高だったということだけは確信をもって言える。僕自身、この噺の魅力はいくつかあって、その一つは家の金を使い込んで毎日向島に通う若旦那に改心してもらおうと、奉公人の身でありながら、「乞食になってください」と心を鬼にして言う番頭の本当の優しさ。お金の有難みを知ってほしいという、肉親である大旦那に成り代わって心配する気持ちが伝わってくる。百日の蔵住まいという提案に渋々応じる若旦那だが、百日が明けたとき、若旦那は番頭に対して感謝の気持ちをこめて「ありがとう」と言う。すべてはこれに現れていると思う。

そして、誰もが思う魅力は芸者の小春が心底、若旦那を愛していたということだろう。芸者なんてもんは客商売、誰にでもいいことを言って、その気にさせて、花魁とは言わないまでも、色気を小出しにして、思わせぶりで、少しでも多く通ってもらおうという計算高い女性なんだろうと思う。実際、番頭のところに毎日、小春から若旦那の手紙が届いても、「どうせ客を呼び込む手練手管」と思われていた。さすがに最後の方になると、「待てよ。これは本当に恋い焦がれているのかも。百日続いたら、添わせてあげようか」と思うが、80日で手紙が途絶えると、「やっぱりね。諦めたんだ。所詮、芸者なんてそんなもの」と思われてしまう。

しかし、小糸は違ったのだ。芝居見物の約束をしていると、朝早くから身支度をして心を弾ませる。ところが、若旦那がいつになっても来ない。忘れたのか。お仕事が忙しいのか。おかあさんに許しをもらって手紙を書くが、何日も音沙汰がない。不安になる。「若旦那は、私のことが嫌いになっちゃったんじゃないかしら」。でも、そんなはずはない、と信じる。若旦那からもらった、櫛や簪を布団の上に小間物屋のように並べ、「これはいつ、どこそこで買ってもらった」と思い出に耽る。

一途な思いは募り、食事が喉を通らない。痩せ細る。体力が弱る。若旦那からの贈り物である比翼の紋の三味線が届いて、一筋の光が見えるが、若旦那は来ない。三味線を弾く力もなくなる。最期まで棄てられたとは思いたくないと若旦那のことを信じ続ける。そして、「かあさん、私、疲れた…」という言葉を遺し、あの世へ逝ってしまった。もう、その小糸の心理描写だけで、涙が禁じ得ない。

その小糸の弱っていく様子をかあさんから聞き、「なんで、私は蔵を蹴り破ってでも、小糸に会いにこなかったんだ!」と、激しく後悔し、自分を責める若旦那の気持ち。かあさんも蔵住まいの件を聞き、なんと不遇なことかと残念に思う。きょうは三七日。「供養してあげてください」と言われ、仏壇に線香をあげ、すすめられた猪口の酒を口にする。そのとき・・・。

三味線の音色とともに、小糸の声で、確かに小糸の声で、「四つの袖」が聞こえてくる。驚く若旦那。「小糸と一緒によく唄った『四つの袖』だ」。

愚痴じゃなけれど これまあきかしゃんせ

たまに逢う夜の楽しけば 逢うて嬉しさ別れのつらさ

ええなんのからすがええ意地悪な

おまえの袖とわしが袖 合わせて歌の四つの袖

最後の「合わせて歌の四つの袖」のところは、若旦那も一緒に唄う。すると、そこでパタリと三味線が途絶え、唄もやんでしまう。「え!続きを唄っておくれ」「若旦那、お線香が立ち切れました」。

いや、こんな「たちきり」は聴いたことがない。生前の小糸の一途さに心打たれた後に、この「四つの袖」。お囃子の太田その師匠の演奏だ。実に心に沁みる唄声である。そして、最後にさん喬師匠も一緒に「合わせて歌の四つの袖」と唄うと、感動はクライマックスに。

これまで、三味線が鳴り、若旦那が好きだった「黒髪」(上方では「雪」)を小糸が演奏しているという演出しか聴いたことがなかった。後日、さん喬師匠にお尋ねしたら、「お囃子のその師匠にお願いしてやってみました。あれで噺の収まりがよくなりました」とのこと。素晴らしい探求心。さん喬師匠とその師匠の功績に心から拍手を送りたい。ありがとうございました。