落語も歌舞伎も 「芸というのは本来、演じ手とお客様を“つなげるもの”なのに」

配信で「ぎんざ木挽亭おんらいん」を観ました。(2020・07・23)

去年9月に単独で真打に昇進した柳亭小痴楽師匠は新宿末広亭の7月下席(21日~30日)夜の部で昇進以来初の主任の真っ只中。また、春風亭正太郎さんは来年3月下席から真打昇進して62年ぶりの大名跡である九代目柳枝を襲名することが発表されたばかりというフレッシュな組み合わせだ。

同じ古典落語の担い手でも、小痴楽師匠は江戸前の歯切れよさがあり、正太郎さんには心地よいリズムとメロディがある。この日は、正太郎「船徳」。暢気に「船頭になる」と言い出した若旦那の徳次郎が、一見粋に見えるが現実は厳しい力仕事に汗だくで必死になる様と、四万六千日様にお参りにきた男二人組の困惑から不安へ変わっていく様が合体した騒動記として愉しい。小痴楽「花色木綿」は、たまたま父親の五代目痴楽師匠(故人)が持っていた八代目柳枝のテープ「花色木綿」を聴いて、それまで落語に全く関心がなかったのに、「俺、噺家になりたい!」と思った、きっかけの噺だとか。間抜けな泥棒より、褌しか盗まれていないのに「溜まった家賃を払わずに済む!」と閃いたずる賢い長屋住人の八五郎が小痴楽のキャラクターと重なり、面白い。

この二人の落語が終わったあと、特別ゲストに歌舞伎俳優の中村壱太郎さんを迎えてのトークが、松竹ならではの配信であり、興味深かった。ちなみに、この3人の中では壱太郎さんが29歳で一番若い。芸年齢は一番上だが。

壱太郎さんが落語を初めて聴いた記憶は米朝師匠が歌舞伎座公演をしたときだとか。2002年、「百年目」と「一文笛」を演ったときと思われる。壱太郎さんは父が四代目中村鴈治郎さん、祖父が四代目坂田藤十郎さんという代々上方歌舞伎の血筋だが、渋谷生まれの渋谷育ち。きっぱりと「この歌舞伎で生きていこう!」と思ったのは、高校3年のとき、祖父が鴈治郎から坂田藤十郎を70歳で襲名したときだそうだ。「この仕事に引退はないんだ」という祖父の覚悟が決意を固くさせたという。これを受けて、「落語家も引退はないよな」「先代圓楽師匠くらいかな」「歌丸師匠は亡くなるまで、まだまだやりたいことが沢山あると言っていた」。

壱太郎さんは女形を演じることが多い。男性が女性を演じることについて。「歌舞伎は綺麗な役だとしたら、白塗りで外面から入ることができる」。落語は町娘、芸者、花魁、色々な役があり、演じ分けが難しいのでは?「船徳」の船宿の女将なんてどういう気持ちで演じるのですか?という問いに、正太郎さんは「女将は長屋の女房のように男同様にガサツというわけにはいかない。どこかに品がないといけない。元芸者。色気を商売にしていたが、今は肝が据わっている。だけど、凛としたところが必要。で、客あしらいが上手い」。深い。

「船徳」に関連して、「結構、動きのある噺ですよね」と問われ、「でも、我々は座布団の上という制約があるからこそできる、という面がある」と。逆に(お芝居をやることになって)「立っていると何もできない。動きかたがわからない。え?歩くって、どうやればいいんだっけみたいな」と小痴楽師匠。壱太郎さんが「落語に興味があるんだけど、演じすぎちゃうんじゃないか」というのがあってと言うと、正太郎さんが「役者さんに落語を教えたこともありますが、役者さんは100%その役になりきっちゃうんですよね」。70%で役をやり、残り30%の自分が客観的に見ていて、指示を出していると。

小痴楽師匠が「以前、歌丸師匠に『紙入れ』を習いたいとお願いしたら、まだお前は若いから駄目だと断られたことがある」と。若いと芸が臭くなり、「フッとした色気がでない」のだと。言えるのは、歌舞伎も落語も自分の中で消化して、「自分のモノ」にしないとお客様の前にお見せできないということだと。「でも、役者さんに落語をやってほしいな」と言うと、「ラジオドラマ的な番組で一人何役も演ったことがあったんですけど。難しいな、と思いました」と壱太郎さん。「通し狂言を何話にも分けて、連続ドラマのように見せるのは面白いですよね」とも。「たとえば、ズーム歌舞伎で1~5話まで演って、舞台で6話目を演るとか」。

色々なアイデアがポンポン飛び出した。「こっち側で落語『七段目』を演っていて、あっち側で歌舞伎の舞踊をやっている」というようなコラボレーションとか。「『明烏』は1回だけ舞台化したことがあるんですよ。『船徳』も歌舞伎にできないかな。船が石垣にへばりついちゃうところとか、面白そう!」とか。歌舞伎だと「文七元結」「らくだ」あたりが世話物としてよく演られる。「乳房榎」「牡丹燈籠」は怪談としてかなり本格的に歌舞伎になっている。最近では「星野屋」を小佐田定雄先生が脚本化して演じられた。まだまだ可能性はいっぱいある。

コロナ禍について。「芸というのは演じ手とお客様を“つなげるもの”だった。だけど、いまは離れなさいという。これはとても大変なこと」という壱太郎さんの発言に重みがあった。