「殺意 ストリップショウ」 一番純粋な感情が怒り。強いからこそ壊れていく。三好十郎と鈴木杏の共通した思い
三軒茶屋シアタートラムで「殺意 ストリップショウ」を観ました。(2020・07・22)
鈴木杏の女優としての力を観た。昭和初期に生きたストリップダンサー・緑川美沙が語る半生から、人間のあり方を浮き彫りにする一人芝居だ。日本の戦中戦後を代表する劇作家・三好十郎(1902~58)が人間の愚かさや卑小さ、それと相反する強さとおおらかさを過剰なまでのセリフ量でえぐった作品だが、鈴木は2時間の舞台で、その力を存分に見せつけた。
あらすじ(プログラムより)
とある高級ナイトクラブ。最後の夜、最後のステージを終えたソロダンサア緑川美沙が突如、客に自分の身の上話を語り出す。南の国の小さな城下町に生まれた彼女は、日華事変、2・26事件の直後、兄の勧めで上京し、“真実の進歩的思想家”で左翼の社会学者である山田教授のもとに身を寄せる。そこで山田教授の弟・徹男に淡い恋心を抱き、二人は心密かに気持ちを通わせる。やがて日本は戦争に突入し、「日本民族の世界的必然だ」や「大東亜共栄圏」や「天皇中心のアジア社会主義連邦」など、山田教授の口から、軍国主義に迎合した言葉が語られ始めるが、美沙はそれも信じようとする。ほどなくして徹男は戦場へ赴き、命を落とす。仇を討つような気持ちで気が違ったように特別女子挺身隊員として働き、白熱しきった中で敗戦を迎えた美沙は、愛国を掲げた徹男が悔いなく出征する後押しをした山田教授が、再び左翼になったことを知る。やがて、表はクラブのソロダンサア、実は高級娼婦となった美沙は、ひょんなことから、ついに山田教授の殺害を決意し…。
「三好十郎作品集」(河出書房)第二巻で、「『殺意』について 三好十郎」という解説文がある。
人間の持っている諸感情の中で、一番正しいとか一番好ましいとはいえぬかもしれぬが、一番純粋なものは「怒り」であろう。「愛」は往々にしてそれ自体にいろいろの段階と色儨を含み、多種多様の乱反射や軟化や腐敗や自慰を生み出して、複雑に微妙に深くなり得るものであるだけに、なかなか純粋ではあり得ない。憎悪や怒りは、もっと端的に直線的で明確でソリッドである。医学でたとえれば、「愛」は内科的で、「怒り」は外科的だ。(中略)
そして、時に私はそれらの複雑な深い思いの重荷を内に蔵していることに耐えきれなくなり、しかもその圧迫はあまりに強く、かつ急であるために、内科的処理を待っている事が出来なくなり、外科的な手段を採らざるを得なくなった。私の手が取り上げたのは「怒り」のメスである。そのような作品の一つが、この「殺意」だ。おもしろい事に「怒り」に点火されて書きあげた作品なのに、私自身はこの作品を愛している。以上、抜粋。
三好先生が戦前・戦中・戦後を通じて180度ガラリと思想や信念を変えながらも恥じない人々の醜悪さを暴き、そうした人々への憎悪と復讐を何度も取り扱っている。それは、太平洋戦争を跨ぐ人間たちの醜悪、憎悪に限らないのではないか。これらの作品のテーマは、現代社会にも通じるものがあるのではないか。この芝居を観て僕が感じたことは、この一点に集約される。
プログラムの中で演出の栗山民也さんが書いている。
先日この国のリーダーが「日本は新型コロナウイルスの死者数が少ない」と誇らしげに語っていたことに、私は大きな絶望感を感じました。全ての死者にはかつての日常と生活があり、演劇の仕事は、そうした一人ひとりの魂を再生することです。そして、幕が下りた瞬間、全員がぎゅっと抱きしめ合うような空気に満ち、そこに一つの宇宙ができるのが芝居。昭和に生きた一人の女のあらゆる声を検証し、現代の俳優の肉体でよみがえらせるのが、今回、演出家に課せられた使命だと感じています。以上、抜粋。
三好先生が描いた戦前・戦中・戦後への「怒り」は、そのときよりは幾分文明とかいうものが発達したかもしれないが、現代における国家の醜悪、組織の不条理はまるで変っていない。「怒り」ばかりである。
さらに、プログラムの中から、鈴木杏さんの思いを抜粋。
美沙は、弱いから壊れていく人ではなく、強いから壊れていく人のような気がして、ポキンと折れてしまうのもそれなりの強度があるからですし、純粋ゆえにヒビが入ると乱反射してしまうというか…。本当はまっすぐ歩ける人だったし、本人もまっすぐ歩いているつもりだったけれど、戦争や時代のせいで、どんどん世界の端っこに追いやられてしまった。けれどもその運命に抗わず、死にもしないし、とにかくたくましく生きて、どんなに人生が狂っても芯の部分は純粋なんです。逆に、不純に染まれたらもっと楽だったのでしょうね。台詞の中に「キタナイとかキレイとか、というだけではないその事の中には、何か大事なことがある」という言葉がありますが、どんなに絶望的な状況になってもこの人の奥底には純粋で美しいものが流れ続けていて、それは愛おしいし、美しいし、演じながらもそこに救われている感覚があります。以上、抜粋。
「不純に染まれたらもっと楽だったのでしょうね」の言葉が沁みる。
読売新聞の劇評(07・21夕刊)から抜粋。
生半可な俳優では尻込みしかねない濃厚な役と格闘し、戦中戦後の日本人の心の危機を描いた物語から、現代にも通じる普遍的価値を体現した鈴木は称賛に値する。惜しむらくはコロナの時世。満員の観客に見てもらうべき作品だった。以上、抜粋。
コロナ禍だからこそ、三好先生のメッセージは響く。世田谷パブリックシアター芸術監督の野村萬斎さんも「大きく変動していく社会を生きた、一人の女性の半生を描き出す」「鈴木杏さんが大役に挑む、演劇的事件ともいうべき上演」と「ご挨拶」に書いている。ウイズコロナの状況下で上演に尽力されたスタッフに敬意を表します。ありがとうございました。